11-奇縁 I





それから、何か用事があるらしくシャルさんとマチさん以外はどこかへ行ってしまった。もう日も暮れているので灯りは蝋燭だけで、その頼りないオレンジ色が不十分に照らしているものだから、部屋の殺風景さは五割増といったところだ。その上、風が出てきたのか窓ががたがた言い始めてやけにおどろおどろしい。皆無口だから尚更である。
早く帰って来ないかなあと思いながら、すっかり定位置になった部屋の隅で膝を抱えなおすと、薄暗闇の向こうからシャルさんの声がした。

のいたとこって、どういう感じなの?」

部屋にはマチさんもいる。けれど私に尋ねているのは明白だったので、ようやく沈黙が破れる、とほっとしたような、浮き立つような気持を抑えながら、一言ずつ言葉を選んで答えた。

「・・・・世界が違う、なんてことになっちゃいましたけど、それはべつに気にすることないと思うんです。」

私のすぐ傍にある蝋燭の炎が、私の言葉に合わせて揺らぐ。それがなんとなく心地よくて、今度はあまり間をとらずに答え続ける。

「向こうもここも、環境はそんなに変わらないと思います。人がいるところは皆似たようなものって言いますし、多少考え方や生きる過程が違っても、始まりと終りはきっぱり同じです。生まれれば存在して、死ねば消えるだけ。・・・。」

ひとつ深い呼吸をして、首を竦めた。少し大仰に言いすぎた気がする。

「ふーん・・・」

小さくなった私にシャルさんは意味深に相槌を打ち、それから数秒おいて続ける。

「俺達はちょっと変なとこ出身でさ。生まれるのも死ぬのも、どっちかって言うと“ふーん、それで?”って感じなんだよね。」

私は言葉に詰まった。その言い回ししっくりくるな、という独り言のような言葉を耳に、ただぽかんとシャルさんの方を眺める。しかし彼はそれ以上は何も言わず、部屋はまたもとのように静まってしまった。音がすっかり冷めた頃に、私は膝をきつく抱え、目を閉じる。

――確かに私も、生きるとか死ぬとか言うことをそれほど重く考えているわけではない。
でもシャルさんとは意味が違う。私はただ生まれることが良いことなのかどうか判断できるほど大人ではないだけだ。生の意味も死の意味もわからない。もしかしたら私にとって“不都合”で、消してしまったのかもしれない。どちらにしてもそれを受け止めることすらできない私に、判断できるわけがなかった。

私の入れ物は、あるべき容量も、色々なことを濾して飲み込むだけの力も持ち得ていない。この悪癖は私を利己的に守るもので、成長させるものではない。むしろ子供のまま、いつまでも殻に籠り続けるためのものなのだ。


その私が救世主だなんて、あるわけのない話だった。赤い塊や虚ろな視線をぼんやりと浮かべては消す。身体が芯から震えるのをさらにきつく抱き寄せて、私はまた小さく縮こまった。
頼りない音を立てて揺れる窓から吹き込んでくる風はやけに冷たく、背中が冷えて少し寒い。蝋燭はあくまで灯りで、部屋を暖めることはなかった。私はその小さい灯をじっと眺め、整然とした書庫を巡回するように記憶を手繰る。

いざ思い出してみると、私の記憶は小奇麗に纏まっているらしかった。あの辻褄の合わない継ぎ接ぎした感じは、あまりにも忘れたことが多すぎて記憶の棚が乱れていただけで、本来はこうして片付いている。それは決して正しく記憶しているという意味ではないのだろうが、とにかく私の中ではそれできちんと片が付いていた。そのきっちりと並んだことの中から、慎重に“世界教”を取り出す。


――世界教。新興宗教ではあるが、教祖の財力に物を言わせて大層な教会を建てていた。その内装はどこか幾何学的で、白か黒のものしかない。大部分は白だが、生活できるスペースや椅子などの家具類はすべて黒だった。幹部によれば、白が“神”の世界、黒がこちらを示しているのだという。よって世界教では白は崇高な色とされているのである。ならば、あの時白い祭壇を赤くした教徒達は、彼らの言う“神”を冒涜したことになる。
しかし残念ながら、彼らのしたことは何の意味もないことだった。私は確かにここではないどこかから来たが、そこは何のことない、ただの世界だ。

小さな灯がまた揺れる。その下でゆっくりと流れ落ちる蝋を目で追いながら、私はぼんやりとあの雪道を脳裏に描いた。――あのあたりの記憶は、どうやら本当に取り出せなくなってしまったらしい。自分がどうやってあの道に逃げたのか、どのくらい歩いていたのか、見当がつかなかった。

「・・・マチさん。」
「何?」
「初めにお会いした場所の地名って、わかりますか?」

訊ねると、彼女は首を傾げた。

「・・・何だっけ?」
「ラカック。それがどうかしたの?」

答えてくれたシャルさんの方を向いて、その名を反芻する。――ラカック。聞き覚えはない。

「・・・あそこの傍にある山の方に、世界教の教会があると思います。」
「あぁ、なんだ。案外近かったんだね。」

シャルさんが手でも打ちそうな明るさで頷く横で、マチさんはじっとどこかを眺めていた。何となく気になって彼女や彼女の視線の先を見ていると、ふと目が合う。

「・・・覚えてるわけではないんだ?」
「あ・・・はい。」

薄暗闇でほとんどの物がぼやけている中でも、私を見ているとはっきりわかるその目や言葉になんとなく気後れして、前髪を触りながら視線を床に落とす。
彼女の台詞には覚えがあった。誰かによく言われていたのだ。ただその誰かが具体的に誰だったか、思い出す気にはなれない。

膝を抱え直して、また世界教のことを考えることにした。
――あの穴。もしもあれをもう一度、裏返ったりせずにちゃんと通ることができるなら、もしかすると帰れるのかもしれない。何でも逆をやれば戻れるとは限らないけれど、考えとしては的外れでもないだろう。

顔を上げるとまたマチさんと目が合った。そのままぼんやりと眺め、ぽつりと訊ねる。

「・・・連れて行って頂けませんか?」
「教会にかい?」
「はい。」

こくりと視線を上下させると、シャルさんが何か言うのを遮って、彼女は「わかった」と頷いた。シャルさんは頭を掻き、私もぽかんとする。

「こっちとしても用がないわけじゃない。あとで団長に訊いてみるよ。」
「あ・・・ありがとうございます・・・・」
「でも、行ってどうするのさ。」

シャルさんの呆れ声に顔を向けると、いつの間にやら彼は顔がはっきり見えるくらい近くに来ていた。思わず壁際にさっと身を寄せてしまったが、そのまま素直に答える。

「た、確かめます。帰りたいかどうかを。」
「・・・帰りたいと思ったって、わかってる限りじゃ無理なんだろ?」
「大丈夫です。」

そう言うと、彼はそれ以上何も言ってこなかった。納得したのか呆れたのかはわからない。その反応に少し戸惑って何か言おうとしたところで、ドアが開く音がした。静かな二つの靴音と一緒に黒い影が入って来る。マチさんは待っていたように声を掛けた。

「どうだった?」
「何のこと無かった。三下だ。」
「でも面倒な能力者がいるわね。今のところこっちの行動は筒抜けみたいよ。」
「なら丁度いいんじゃない?が教会に行きたいってさ。」
「教会に?」

暗いところから、こちらを見下ろすような気配がする。思わず姿勢を正してご迷惑おかけしてます、と小さく呟くと、クロロさんは笑ったようだった。

「いいだろう。場所は分かってるのか?」
「すみません、はっきりとは・・・」
「はぁ・・・わかった、俺が調べる。情報提供はしてよね。」
「シャルさん・・・」

ありがとうございます、と言おうとしたところで、目の前の蝋燭が傾いて倒れた。驚いて身を硬くすると、ふいにガラスの割れるような音が聞こえてくる。ここは二階だが、同じ階ではないらしく、音は遠い。

「もう第二陣のお出ましか。」

クロロさんが呆れたような声色で呟いた。第二陣というと、例の懸賞金を目当てに、また誰かがここに来たんだろうか。身構えて立ち上がろうとしたところで、耳元の窓が枠ごと弾け飛んだ。
驚いて短く悲鳴を漏らすと、嫌な気配がにわかに押し寄せてくる。何か滑り気を帯びた気持ちの悪い生物のようなその気配を提げて、黒装束の男は私のすぐ横に、音も無く降り立った。彼は私を見つけると、まずはいかにも敬虔そうに頭を下げて、それから他の四人を静かに睨む。

「・・・その方を、返してもらおうか。」
「わあ、ようやく本体か。」

シャルさんの緊張感のない台詞を耳に、私は跪くような格好のままで、現れたその男の黒装束を爪先から頭の天辺まで凝視する。――見たことがある。あれは、あの胸の白い飾りは。

?」

名前を呼ばれてはっと横を見ると、そこにはいつの間にかマチさんが屈んで座っていた。私はその服の裾を引いて、男を指差す。

「か、幹部、です。私の治療をしたのも、あの人・・・」

心臓が、引き攣りそうなほどに早鐘を打っている。実際はっきりとした嫌悪感を感じるわけではない。ただこの心臓だけが私の記憶の深い穴を警告しているようだった。マチさんはまた私を俵のように担ぎ上げ、幹部の男から距離を取ると床に下ろして言う。

「落ち着きな、大丈夫だから。」

私は頷いて、胸を押さえながら深い呼吸を繰り返した。ちらりと窓の方を見ると、男は私ではなく、クロロさんをじっと見ている。まるで悪意を煮詰めたような、どす黒い嫌な空気が流れてくるようだ。

。」
「は・・・はい。」
「こいつがお前の治療をした奴に間違いないな?」
「・・・間違いないです。その人だけは忘れるはずない。」

はっきりと答えると、クロロさんが少し笑ったような気がした。見えているのは背中だけで、判断のしようはないのだが、空気でわかる。ピリピリと張り詰めているものの中に、弛緩したのではない、口元を引き上げるような気配が混じっていた。

「四番が下で待機してる。お前たちは先に合流していろ。」
「了解。」

クロロさんの指示にシャルさんがすぐ返事をして、私はマチさんに引かれるまま古ぼけた非常灯の黄色い光がちらつく廊下に追いやられる。振り返ったけれどその時にはもう扉は閉まっていて、箪笥が倒れたような大きな音がしたのを最後に、私の意識はまた不自然に途切れた。
廊下の奥で血の匂いがしていた。