09-破裂





ひとまずは自分の思考回路の構造をどうにかして知ろうと、結局もとの湿っぽい隅っこに蹲ってぶつぶつ覚えていることを反芻していると、急に視界が翳った。もともと傾いた燭台に細い蝋燭を立ててあるだけだったのでたいした違いではなかったが、同時にシャルさんの声がしたので気がついて顔を上げる。

「行き詰っちゃったみたいだね。」
「は、はい・・・」

シャルさんは膝を抱えて座り込んだ私にぐっと顔を近づけるようにしていたが(いかんせん顔が綺麗なので緊張する)、ふいに四角いものを取り出した。一瞬ぽかんとしてしまったが、すぐに本だと気付く。本と言っても、どちらかといえば絵本だった。薄い割に装丁が凝っていて、表紙は黒地に白で「モノクロのまち」と書いてあるだけだったが、光の加減でクレヨンで描いたような街の絵がうっすらと浮き出る。差しだされたので受け取ると、案外な重さがあった。

「ちょっと変わった本でさ。息抜きと、文字ちゃんと覚えたか、確認がてら読んでみなよ。音読で。」
「音読・・・ですか・・・」

よくやらされたなあ、と具体例は浮かばないがぼんやりと思いだしながら、丸めた背中を伸ばし、正座してから黒い本を開く。喉の調子は悪くなかったが、一度咳払いして、息を吐くようにタイトルを読んでから、深く深呼吸した。

「“あるところに、ちいさなまちがありました。”」





その街には黒い太陽が昇り、まっ白な月が光り、何もかもを灰色に染めていました。そこには色がないのです。何もかもモノクロ映画のようにひっそりと静まり返っていました。

あるとき、一人の旅人がやってきました。旅人はそれはそれは鮮やかな色を持っていました。しかし街の光を浴びると、旅人はたちまち色を失って、動かなくなってしまいました。

またあるとき、駆け落ちをした恋人たちがやってきました。彼らの愛情の深い赤は、黒い陽でたちまち黒く焦げてしまいました。

そしてまたあるときは、口減らしのため棄てられた子供がやってきました。泥にまみれて汚れた体はいたく焼け、黒く暗い煙を上げながら、街の闇へ消えて行きました。

その街にはそれからもたくさんの人々がやってきました。街はたとえ何百人が押し掛けても、嫌な顔ひとつせず、何もかもを受け入れました。しかし、街はすべてからすべてを奪います。街はモノクロしか許さないからです。


その街も、もっと昔、神様が生まれる前は、きらきらかがやく夢のような場所でした。何もかも虹色で、しかも光っていました。太陽は金色に、月は銀色に、それぞれ誇らしく輝いていました。

ところが、街は突然色を失ってしまったのです。それが神様が生まれたからか、それとも太陽が黒くなったからか、あるいは月が白くなったからか、わかりません。でもひとつだけ言えるのは、街は死んでしまったということです。

街は色を恋しく思いました。しかし恋しく思えば思うほど、憎らしくも思えてくるのでした。

色なんて、なくなってしまえばいい。

街はそう考え、やってくるすべてのものから色を奪うことにしたのです。

今日もまた、やってきた人々から色を奪い取ります。街は満足でした。でも街は静かでした。色を奪われた心臓は、黒く焼け焦げてしまうからです。


街から黒い太陽が沈み、白い月がぽっかりと浮かぶ夜がやってきました。町は灰色を少し濃くして息をひそめます。

暗い街に、足音を立てて、また誰かやってきました。街は黙って受け入れます。誰かは座り込んで、眠りにつきました。街はそうっと、赤いスカーフを取りました。誰かは糸が切れたようにことりと倒れます。街はスカーフを黒く焦がし、そっとその亡骸に被せました。街はまた静かになりました。







絵本にしては随分な話だな、と息を吐いて本を閉じると、いつの間にか目の前に全員集合していた。特に驚いたのは四番さんだ。顔を挙げたらばっちり視線が合うくらいの位置に居る。

「なるほど・・・な。」
「え?」

何やら分厚い本を片手に持って壁に凭れているクロロさんの呟きに疑問符を浮かべると、彼はしばらくどこか遠くを見るような眼をしてから、こちらを見て言った。

「その本は見る人間によって話が変わるんだ。物語は大抵精神世界を舞台にしているらしい。」

・・・余計わからなくなった。

「ええと・・・それはつまり、たとえばクロロさんが読むと私とは違う話になる、と?」
「ああ。」
「・・・半信半疑というか、八割方疑心というか・・・」

苦笑しながら真っ黒い本の背表紙に目を落とし、また表にする。冷たいがどこかやわらかい手触りの、少し上等そうではあっても、ただの絵本だ。

「厳密に言うと同じ人間が読んでも開くたび内容が変わる。続きが出るか別の物語かは本の気まぐれだそうだ。」
「・・・気まぐれ。」

タイトルの白い字をなぞり、もう一度表紙を開いてみる。――あるところに、ちいさなまちがありました。出だしには変化は見られない。はじめの一ページはこのひと文だけなので、私はそっとページを捲る。――心臓が大げさなほど跳ねたのがわかった。

「・・・“ちいさなまちはなくなりました。”」

真っ黒な紙に、白く押しつけたような掠れた文字。さっきまでは左のページにモノクロの絵が描いてあっただけだったのに、今は綴じ込みを無視するようなそのひと文だけだ。否定したいのか、それとも別の意味があるのか、頭の奥がひどく煩かった。手はそんなもの無視してページを捲っていた。

“さよならをしなかったのですね。”

“こころをわすれてしまったのですね。”

“なにもかもすててしまったのですね。”

“みちしるべをおとさなかったのですね。”

“あなたのあしあとはもうどこにもない。”

ずっと、同じような見開きばかりだった。黒い背景に白い掠れ文字。内容はともかくそのコントラストに慣れてきたころになって、今度はいきなり白い見開きが入った。文字は書かれていない。角度を変えて見たが、どうやら本当に何もないらしい。
ページを捲ってみる。そこも白い。それから六ページ分は真っ白だった。

そして最後のページになって、ようやく文字に出会う。また見開きを無視した、今度は白地に黒い掠れた文字だった。

「・・・・排他的閉鎖区域モノクロタウン?」

漢字の上に、明らかにそうは読まないだろうハンター文字のルビが振ってある。よくわからないのでクロロさんに助けを求める視線を送ると、彼はゆったりとした動作でこちらを向き、口元にほんのりと笑みを浮かべた。

「よかったな。お前の話はそれで完結だ。」
「え?」

この読ませる気なさそうな言葉で?ともう一度最後のページを見る。掠れてはいるが、大小七つずつの整った文字は、まるですべて纏め上げたかのような顔をして整然と並んでいた。――これが完結?なんだか人気のない少年漫画よりバッサリ終わってしまって、寂しいというか、身も蓋もないというか、なんだか居た堪れない。

「予想はしていたが、まさかそこまでの“無”だとはな。」
「・・・え?」

同じ反応を繰り返すと、クロロさんは手にしていた本を閉じた。と同時に、どうしたことか私の手にあったはずの本がふっと消えてしまう。一瞬脳味噌がフリーズしたが、すぐにもぞもぞと動きだした。――何か、来る。


  白い影。ウサギ?追いかける私

  大きな道路、横切る、あぶない、よける。

  ウサギ、走る、消える。

  私も、消える―――おちる?

  いたい。いたい。いたい。いたい。いたい。いたい。いたい。

















  いた、い。











(091213)推敲