08-箪笥の中の頭蓋骨 IV





?」

気が付くと私はどこか殺風景な部屋にいて、目の前にはマチさんが、さっき上着を被せた時のように屈みこんでいた。

「あ・・・はい」
「・・・疲れたんなら眠ってれば?移動することになったら誰かが運ぶから。」
「ありがとうございます。でも平気です。」
「・・・そ?」

彼女はあまり納得していないような顔をしていたが、それでも黙って離れていった。
それから見まわして、ようやく自分がどこか古い家の一室の隅に隠れるように座り込んでいることに気づく。他の五人はベッドや椅子に座ったり、立って壁に凭れたりしながら、時々何か話していた。会話の内容はよくわからないが、あまり安心はできそうにない空気であることは確かだ。
それだけ確認して、私は膝を抱えた。視線を爪先の向こうに落として、焦点を遠くへやる。

――眠っていたつもりはない。ただ、何かが切れた後の記憶がない。

妙な感覚だった。大切にとっておいた物が知らないうちに盗まれてしまったような腹立たしさでもあったし、大切な人を亡くしてしまった日のように空虚でただただ悲しいようでもある。何か大切なものをどこかへやってしまった、言いようのない悲憤と虚無感。それでもなぜか諦めがついてしまっている私の頭の、奇妙な静けさ。

「・・・」

そっと両手を覗き込み、皮膚が角質化して固くなった凍傷のあとをじっと見つめる。今朝の時点ですでに痛みはほとんどなかった。ただの掠り傷ならまだしも、凍傷というのはこんなに簡単に治るものではなかったはずだ。しかしこのまま治って行けば、痕も目立つほどには残らないだろう。まだ強く握ったり押したりするとピリピリと痛んだが、食器を持ったり文字を書く分には特に問題はない。足も同じだった。

――どうしてわからないんだろう。

糸の切れる感覚で、この記憶喪失が完全に私の気持ちの方に問題があるということは判った。わかったけれど、雪道以前の記憶をすべて消すほどの苦痛なんて、私には想像すらできない。それでも私は家族のことも友達も、いたのかどうかさえわからない。幸せな記憶がひとつもないなんて、これだけ普通に育っているのに、そんなことありえない。私は確かに、それなりには幸せだったはずだ。
それに、途中で途切れたり残像ばかりでよく見えなかったとはいえ、あのとき赤く飛び散ったアレがなんだったのかくらいわかる。何となく予想したとおり、彼等が堅気とは呼べないことも事実であろうと思っている。彼等が「お客さん」をどうしたのかもわかる。わかってしまったら、いくら記憶を消していたって意味がない。普通ならとっくにその記憶自体を思い出しているところだろう。―――なのに、私はどうしてか一向に思い出さない。

「(不自然、すぎるよね)」

何かがおかしい。予測がひとつも的に当たらないことも、突然現れた「糸」も、筋道立てた仮説では説明しきれない。まるで継ぎ接ぎしたように、途中から全く別の「理由」が生まれてしまう。

『何かあって、自分で記憶を消したんでしょうね。』

ふと、パクノダさんの台詞が蘇った。ずっと片隅に引っかかっていたその言葉が、すっと腑に落ちて静かに纏まっていく。

――そうか、私は本当に自分で記憶を失くしてたのか。

だとしたら頷ける。私のこれは、その時その瞬間の気持ちで良いことと悪いことを仕分けして、言わば好き嫌いで自分勝手に消していく、衝撃が大きすぎるから本能的に消す自己防衛の「記憶喪失」とは全く違った、我儘な「物忘れ」なのだ。
それならば、もしかすると――さっき四番さんの質問の時、何か切れそうになるのを自分で抑えられたように、コントロールして、うまくいけば忘れた分も取り戻すことができるのかもしれない。
あくまで可能性の話ではあったが、それでもこの説明には説得力があるように感じられた。

ひととおり考えて、ふっと笑う。なんだか冴えてきたみたいだ。軽傷の両手両足をそっと引きよせ、静かに立ち上がる。なんとなく振り返ってみると私のいた場所は家具の陰になっていて薄暗く、冬なのにじとじとしている。――考え事ってすごい。こんな不快指数の高そうな所にずっといたなんて。

「どうかしたか?

クロロさんが相変わらずの深い瞳をこちらに向け、それほど気にしているでもなさそうに訊ねた。私は「いえ」と答えてへらへら笑い、冷たく凍った窓に視線を投げる。外はもう暗い。

「・・・」

私はまた両手を眺め、ちらちらと揺らいで見える傷痕を見下ろして、そっと下唇を噛んだ。



(091213)推敲