『本日正午 2次試験スタート』

 2次試験会場となる建物の壁面には、案内のプレートと質素な丸い時計が掲げられていた。扉の奥からは唸り声とも地鳴りともつかない奇妙な音が聞こえ、待ち構える受験生たちはやや緊張した面持ちをしている。

 先頭集団よりも少し遅れてやってきた405番たちの様子を盗み見ながら、私はそっと受験生の輪を抜け出した。
 湿原からここまでのおおよその距離は調査済みだったが、足場の悪さのせいで想定したより消耗が激しい。予定に支障が出るほどではないものの、能力の連続使用はもうあと1時間が限度だ。
 木の幹に背中を預けて力を緩め、なるべく違和感を与えないよう気を配りながらスイッチを切る。体中に張り巡らせていたオーラの回路が落ちて、プログラム任せにしていた処理能力の権限が戻ってくる。自己操作を切れば当然、防御の反射も身体機能の効率強化も切れてしまうが、オーラ切れでブラックアウトするリスクを抱えるよりはまだ堅実だ。

 私が細く長い息を吐くのと同時に、時計の針が正午を指した。
 大きな両開きの扉が大仰な音を立てながらゆっくりと動き始める。受験生たちが息を呑む音が聞こえてくる。いったいどんな怪物が現れるのかーーきっとそんなことを考えているのだろうが、答えを知っている私には無縁の緊張だ。

「どお?おなかは大分すいてきた?」
「聞いてのとおり、もーペコペコだよ」

 扉の向こうから姿を現したのは、脚線美を惜しげもなく晒した特徴的な結い髪の美女と、山のような巨体から信じ難い大きさで腹の音を響かせる男――2次試験官のメンチとブハラだ。
 たぶん「正体不明の危険生物」的な想像をしていたのだろう受験生は皆面食らったような表情をしている。それをぐるりと一通り見回しながら、メンチは高らかに宣言した。

「そんなわけで2次試験は、料理よ!美食ハンターのあたし達2人を満足させる食事を用意してちょうだい」

 呆気にとられたような一瞬の沈黙の後、集団はにわかにざわめき出した。料理なんて作ったことねーぞ、というつぶやきがあちこちから聞こえる。まあそうだろう。所謂ハンターに料理スキルはあまり必要ない。

「まずはオレの指定する料理を作ってもらい」
「そこで合格した者だけがあたしの指定する料理を作れるってわけよ。つまり、あたし達2人が“おいしい”と言えば晴れて2次試験合格!試験はあたし達が満腹になった時点で終了よ」

 聞きながら、私はそっと眉間を押さえた。簡単そうに言ってくれるが、プロの料理人でもある彼らに料理を審査されるというのは、つまるところ素人の通り魔がプロの暗殺者に殺しの手腕を批評されるようなものだ。マッチョの群れでフィジカルを試されるよりはよっぽどマシなのだが、中途半端に競えそうなお題を出されるとそれはそれで精神的にきついものがある。

「オレのメニューは――『豚の丸焼き』!オレの大好物」

「森林公園に生息する豚なら種類は自由。それじゃ――2次試験、スタート!!」

* * *

 自由、とは言ったものの、この森林公園に生息する豚は一種類しか存在しない。盾のように発達した鼻を持つ大型の豚――グレートスタンプ。「世界で最も狂暴な豚」と評されるほど獰猛で好戦的な種だ。

 マーキングの痕跡と足跡を慎重に探り出し、森の外れで単独行動している個体に狙いを定める。ふつうの狩りなら気配を殺して一撃必殺を狙うところなのだろうが、生憎私にその手段はない。

 足元から適当な枝を拾い上げ、豚の横っ面目掛けて投げつける。標的はこちらの挑発に気がつくと高く嘶き、怖じる様子もなく真っ直ぐに突進してきた。
 巨大な鼻が私を軽々と突き飛ばし、茂みや若木を薙ぎ倒しながら容赦なく圧し潰す。しかしそいつはすぐに悲鳴を上げ、地面に崩れ落ちた。私はため息を吐きながら豚の側頭部に突き刺さったナイフを抜き取る。
 攻撃を真正面で受けて注意を引きつけ側面から攻撃を通す。もはや策ですらないが、素面でカタを付けるならこんなところだろう。

 上着を脱いで手近な木の枝に引っ掛け、インナーの袖を捲って早速作業に取り掛かる。豚を捌くのは初めてだが最低限の予習はしてきた。首を割いて血抜きをしつつ、同時進行で火の準備を進めていく。

 私が順調に内蔵を抜き終えたところで、森の中から豚を担いだギタラクルがやってきた。彼は私の様子を見ながら不思議そうに尋ねる。

「丸焼きだろ?」
「血と内蔵は処理したほうが火の通りも早いですよ」
「なるほど」
「使いますか?」

 背中のホルスターに残っているもう1本のナイフを抜いて差し出すと、彼は少し間をおいてからそれを受け取った。新調したばかりのステンレス製のサバイバルナイフが木漏れ日を反射してぎらりと光る。

「そういえば、いつものダガーじゃないんだね」
「刃が鈍っちゃって。研いで貰おうと思ったんですけど、武器屋のお爺さん留守だったんです」
「ふーん」

 彼の視線がナイフから私のほうへ移り、それからふっとよそへ行く。きっと何か知っていて黙っているのだろうが、私はあえて気付かないふりをした。

 樹皮と枯れ枝でできた薪の山に向き直り、ポケットから折れたマッチを取り出して火を点ける。
 森を吹き抜ける風が炎を巻き上げていく。辺りには肉の焼ける匂いが漂い始めていた。

* * *

「終――了ォ――!!」

 響き渡るドラの音を聞きながら、私はおぞましいほどの量の丸焼きを平らげ更に巨大さを増したブハラの腹を呆然と見上げた。

 わかってはいた。わかってはいたのだが、やはり何かがおかしい。まさか胃袋を亜空間につなげる念能力なのか。それとも内蔵がぜんぶ胃袋なのか。美食を追及するために無限に食べ続けられる体を得たとでも言うのか。どういう探究心のこじらせ方をしたらそうなるのだろう。

「豚の丸焼き料理審査、70名が通過!!」

 メンチのアナウンスが右耳から左耳へ抜けていく。70名通過、つまり70頭完食。体重10キロ程度の子豚でも10人前にはなるというのに、体高1メートルはある重量級の大人の豚を70頭。――止そう。今は次のメニューのことを考えるべきだ。

「あたしはブハラと違ってカラ党よ!審査もキビシクいくわよー」

「二次試験後半、あたしのメニューは――『スシ』よ!」

――スシ。スシ、とは?
 困惑の呟きが聞こえる。そして294番は明らかにニヤケ顔をこらえていた。重ね重ね私に言えた話ではないが、16番といい彼といい顔に出すぎだ。

 試験官の案内で建物の中の調理場に入り、ひとまず場所取りをして包丁と酢飯を確認する。流しの下の物入れには皿が数枚とクロッシュドームが置かれていた。調味料の類は見当たらない。握り寿司しか認めないとか言っていたし、ツナコーン軍艦やカリフォルニアロール的な発想は今回は無しということなのだろう。

 ふと隣を見ると、ギタラクルは調理台の前に立ったまま、未知の生物を目の前にした猫のような顔で包丁を見つめて固まっていた。まあ、仕方ないことだ。私だって突然見たことも聞いたこともない料理を作れと言われたら同じ顔をする。

「……知ってる?」
「……出ましょうか」

 背後から「あいつも知ってるのか……!?」というハンゾーの声が聞こえる。案の定というかなんというか、たぶんアレさえなければそこそこまともな試験になっていたのだろう。

「やけに渋い顔してるけど」
「メニューがちょっと心配というか……」

 試験会場の裏手の森を歩きながら、地図アプリで森林公園内の水場の位置を確認する。森の向こうに湖、その先に川がある。少し遠くなるが川のほうが捕まえやすいだろう。

「火を使わない、酢飯を使う、食材を捌くために刃物を使う、“ニギリズシ”という名称と皿のサイズや試験官の箸の持ち方で大方のサイズもわかる。ここまでヒントが揃ってれば、勘がいい受験生はいずれ正解に近いものを作れると思います。ただ――」
「ただ?」
「294番のハゲ」

 携帯を閉じて鞄に戻し、腕組みをする。ギタラクルは彼の顔を認識していないのか、いまいちピンと来ない様子でこちらを見ていた。

「あいつ、よりにもよって自分がシノビだってフツーに喋っちゃうようなタイプなんですよね」
「ジャポンの?隠密じゃなかったっけ」

 やっぱりそういう話は詳しいんですね、と相槌を打ちながら頷く。

「ジャポン料理なんですよ、スシって」


 ギタラクルに手伝ってもらいながら川魚を数匹捕まえ、さっそく調理にかかる。
 どれも謎の骨格をしていたり身が細かったりと食べられるのか怪しい相手だが、手こずるくらいのほうがいい。試行錯誤する周囲の受験生の様子を耳だけで窺いながらワタ抜きをしていると、手早く調理を終えたらしい第一陣がさっそく試験官のもとへと走っていった。まあ調理というか、アレは捌いてすらいないスターゲイジースシなのだが。

「食えるかァ!」
「何も放ることねーだろコラァ!!」

 罪のない食材たちが宙を舞っている。もったいないが生魚の丸呑みは私も嫌だ。

「も――どいつもこいつも!観察力や注意力以前にセンスがないわ!やんなっちゃう!」

 おっしゃる通りである。水洗いした魚を3枚におろしながら隣の手元を見ると、無惨にバラされた魚類だったものと目が合った。同じ作業をしているはずなのに仕上がりが各段にグロいのはなぜなのだろう。ある意味天才的だ。

 そうこうしている間に、私の横をドヤ顔のハゲが通過していく。素直に腹立たしいが、今の私には“予定”通りであること以上の望みは何もない。
 捌き終えた魚をひと切れ味見していると、さっそく前方からけたたましい声が聞こえてきた。

「なんだと――!?メシを一口サイズの長方形に握ってその上にワサビと魚の切り身をのせるだけのお手軽料理だろーが!!こんなもん誰が作ったって味に大差ね――べ!?」

 始まった。ため息を吐きながら隣に目配せすると、ギタラクルは合点がいったように頷いた。

「苦手なんですよね、ああいうヤツ……計算に入れても入れなくても面倒だから……」
「なるほどね」

 294番の軽率な発言に怒り狂うメンチの形相を遠目に眺めながら、ネタにシャリをのせて小手返しで握る。一応真面目に作ってはいるが、ああなってしまった以上冷静な評価が下されることはないだろう。
 彼女の体型からして一度に食べられる量はせいぜい30貫、多くても4、50貫程度だ。形だけ揃えればいいと思っているのなら調理に時間はかからない。ひとり1貫ずつ持っていくとしても、もうあと10分と経たずに「時間切れ」になってしまう。私はともかく、ギタラクルはこれまでの手際からして到底間に合いそうにない。

「参ったな。これ受かるのだけじゃない?」
「スシはさすがにちょっと……」

 ひとまずそれらしく整えたスシを皿の上に置く。これも予習はしてきたのだが、シャリとネタのバランスがいまひとつ不格好だし、そもそも切り身の小骨をきちんと取っていないので食べたら痛いはずだ。それはわざとだが。

「そんなに難しいんだ」
「そもそも握り寿司なんて、回るやつでも兄貴にタカんない限り食べないんですよ」

 不思議そうな顔をしているギタラクルをよそに手を洗い、仕上がった皿にドームを被せて持ち上げる。

「まあ、とりあえず持っていってみます」
「行ってらっしゃい」

* * *

 結果はあえて言うまでもない。私の小骨つきスシは当然のようにメンチの怒りを買い、やり直しを命じられた数分後、私が指でちまちま小骨を抜いているうちにあえなく時間切れとなった。

 もちろん、「合格者はゼロ」。頑なな様子で協会本部への電話にそう繰り返すメンチに食ってかかる受験生の姿を遠目に見ながら、私はそっと周囲を窺う。殺気立っているのは彼ひとりではなかったが、それもすぐに止むだろう。

「オレが目指しているのはコックでもグルメでもねェ!!ハンターだ!!しかも賞金首ハンター志望だぜ!!美食ハンターごときに合否を決められたくねーな!!」
「それは残念だったわね。今回のテストでは試験官運がなかったってことよ。また来年がんばればー?」

 あっけらかんと言うメンチに、血気盛んな受験生――255番のトードーは怒りに全身を震わせながら拳を振りかぶった。

「ふざけんじゃねェ――!!」

 その咆哮を遮るように、激しい衝撃音が響く。メンチに襲いかかった受験生の体は高く打ち上げられ、旋回しながら高窓を突き破り、そのまま会場外へと吹き飛んでいった。
――ブハラの平手一閃。これほどの威力を見せながらも殺さない程度に加減をしているのだから、まったく恐ろしい話だ。

「ブハラ、よけいなマネしないでよ」
「だってさー、オレが手ェ出さなきゃ メンチ、あいつを殺ってたろ?」
「ふん、まーね」

 ソファから立ち上がった彼女の両手には、刃渡りの長い蛸引に似た包丁が握られていた。手遊びでもするような手つきで投げ上げられたそれらが宙で翻るたび、よく手入れされた刃がぬらりと光る。

「賞金首ハンター?笑わせるわ!たかが美食ハンターごときに一撃でのされちゃって」

 つい十秒前まで熱り立っていた受験生の気勢が冷えていくのが目で見てもわかる。きっと彼らのほとんどは、今この瞬間まで試験官と自分たちの力量の差も計りきれていなかったのだろう。メンチは苛立ちを隠す様子もなく続けた。

「どのハンターを目指すとか関係ないのよ。ハンターたる者誰だって武術の心得があって当然!!あたしらも食材探して猛獣の巣の中に入ることだって珍しくないし、密猟者を見つければもちろん戦って捕えるわ!武芸なんてハンターやってたらいやでも身につくのよ。あたしが知りたいのは未知のものに挑戦する気概なのよ!!」


『それにしても、合格者ゼロはちと厳しすぎやせんか?』


 唐突に降ってきた拡声器ごしの声に、会場はにわかにざわめき立った。私も周囲に調子を合わせて驚き顔を作りながら、人波に乗って会場外へと歩み出る。
 音のした方向を見上げると、そこには一機の飛行船が浮かんでいた。低空飛行で接近してくる機体の側面には見覚えのあるマークが描かれている。

「あれは――ハンター協会のマーク!!」
「審査委員会か!!」

 天の助け。地獄に仏。そんなものを見るような表情で飛行船を見上げる受験生たちの顔にふっと影が差す。――文字通り、“飛行船から飛び降りてきた何者かの影”だ。
 およそ人の着地音とは思えない鈍い轟音とともに降り立ったその老爺は、動揺する受験生に構わずまっすぐにメンチのもとへと歩み寄った。彼が何者であるかを知らなければ、さぞ異様な光景に映るのだろう。

「審査委員会のネテロ会長、ハンター試験の最高責任者よ」

 手短に説明を加えたメンチの表情は苛立ちから一転して硬く強張っている。無理もない。立場云々以前に、彼は別格だ。私も実物を見るのは初めてだが、それだけはすぐに解った。

「ま、責任者といってもしょせん裏方。こんな時のトラブル処理係みたいなもんじゃ」

 只者ではないという確信を揺るがせるような、飄々とした語調で彼は言う。毒気を抜かれる、と言われるのも納得だ。本当に強い人ほど強さを隠すのも上手い。彼はその最たる例だろう。

「メンチくん」
「はい!」

 力んだ返事をするメンチに、ネテロ会長は淡々と問うた。

「未知のものに挑戦する気概を彼らに問うた結果、全員その態度に問題あり――つまり不合格と思ったわけかね?」
「……いえ」

 さきほどまで殺気立っていたのが嘘のように、彼女の表情は冷静だった。

「テスト生に料理を軽んじる発言をされてついカッとなり……その際料理の作り方がテスト生全員に知られてしまうトラブルが重なりまして、頭に血が昇っているうちに腹がいっぱいにですね……」
「つまり、自分でも審査不十分だとわかっとるわけだな?」
「……はい」

 ようするに、燃え上がったのはメンチの気性のせいだが、火をつけたのは主にハンゾーというわけだ。バカ正直なのは私も同じなので彼を悪く言う権利はないのだが、忍ならもう少し忍んでほしいと思うくらいは許されるだろう。この試験に関してはそれありきで計画を立ててきたが、もしも何も知らずに来て自分の有利を握り潰されていたら腹が立つでは済まない。

「スイマセン!料理のこととなると我を忘れるんです。審査員失格ですね」

 そこまで言うことないのに、と思ったが台詞は飲み込んだ。挑発したほうに原因があるのか、乗ったほうに問題があるのか、という話なら状況は五分だろう。しかし審査不十分でありながら一旦は試験終了とまで言い切ってしまったのだから、立場相応の責任を負うのは当然だ。

「私は審査員を降りますので、試験は無効にして下さい」
「ふむ……審査を続行しようにも、選んだメニューの難度が少々高かったようじゃな」

 メンチが猛省しているのは声だけでもわかった。しかしネテロ会長は彼女の申し出をするりとかわして話し続ける。

「よし!ではこうしよう」

「審査員は続行してもらう。そのかわり、新しいテストには審査員の君にも実演という形で参加してもらう。――というのでいかがかな」

 集団がざわめく。確かにそれならば合格基準は明確だ。文句のつけようもなくなる。さっきよりは簡単だ――と思っているのだろう。

「そうですね。それじゃ――『ゆで卵』」

* * *

 二次試験後半、仕切り直し。

 会場となるのは森林公園からほど近い場所にある「マフタツ山」。その名の通り、中央を切り立った崖と深い川によって両断された岩山だ。
 そこにはクモワシという特殊な生態を持つ鳥が生息している。彼らは谷間に丈夫な糸を張り、天敵の居ないその場所に卵を吊るして守り育てる。
 つまりは「崖を飛び降りて数十メートル下の糸に掴まって卵を取り、崖を登って持って帰ってくること」――それが今度の試験の内容だ。

 もちろん、本命はこちらだ。スシの評価は相手次第だが、飛び降りて掴んで登ってくるだけならケチのつけようがない。幸い崖から飛び降りる程度の度胸は持ち合わせているし、自己操作故に「掴む」「登る」の単純なアクションで失敗する心配はない。

 渓谷に散っていく受験生たちを尻目に特に苦もなく卵を取って崖の上に戻ると、仁王立ちで待ち構えているメンチと目が合った。他にも同時に登りきった受験生は何人かいるのだが、彼女の視線は明らかに私に注がれている。――とくに目立つようなことはしなかったつもりなのだが。
 両手と服の砂を落としてから、ポケットに仕舞っておいた卵を取り出してメンチに手渡す。するとそのまま手首を掴まれ、おやと思っている間にメンチの横顔が目の前に迫ってきた。

「あんた、さっきどうして手ェ抜いたの?」

 何の話だろう。とぼけるしぐさでお茶を濁そうとすると、彼女はこちらを軽く睨みながら私の肩に腕を回し、内緒話をするような姿勢で続けた。

「スシよ!」
「……フェアじゃないなと思ったからです」
「あんたねえ、ハンターやってたらフェアじゃない状況ばっかりよ?」

 呆れたような顔が私を下から覗き込む。私は戸惑いながらも愛想笑いを浮かべた。内緒話のトーンを遥かに越えている声量に気づいているのかいないのか、あるいはわざとなのか、彼女は更に続けた。

「ブハラがあんたの料理褒めてたわ、気が利いてるって。それだけだけど、他にそれが当たり前にできるヤツは一人もいないのよ。スシもちゃんと作ってたら、あんただけ合格で試験終了だったかもしれない。今回の受験生の中ではあんたが一番料理上手いし、ていうか他の連中の手つき見りゃわかんでしょ?チャンスじゃないの!本気出してどんなもんかは食べてないから知らないけど、あんたなら講評聞いて改善するくらいできたと思うわ」

 その言葉は素直に嬉しかった。でもそれは正しい評価ではない。私はあくまで、“知っている”ならできて当然のことを、最低限のレベルでこなしているだけなのだから。

「使えるもの使って戦うのは何も悪いことじゃないわよ」

 吸いかけた息が胸の内側でぎくりと固まる。――わかっている。彼女が言っているのは「料理が得意ならそれを武器にしていい」という意味であって、私の手段のことではない。

「……ありがとうございます」

 愛想笑いのままお礼を言って、メンチの腕から抜け出す。彼女はやはり何か不満そうな顔をしていたが、それ以上は何も言わなかった。


――二次試験、突破。






written by ゆーこ