彼らの首には莫大な賞金が懸けられ、写真一枚にも一億近い値がつけられる。しかし彼らは棲家を隠さない。それどころか、その棲家たるこの山自体、地元では有名な観光名所だ。ふもとからは日に一本山を巡る観光バスが出ていて、ツアーガイドからはゾルディック家の家族構成や一家の歴史を聞くこともできる。
ただし、その門より内側へ一歩でも足を踏み入れた者は、決して生きては帰れない。
本来であれば私はこんな場所に用を作るような人間ではない。少なくとも獲物を担いで殺意満々でやってくるチャレンジャー達とは全くの別人種だし、万が一訪れる機会があったとしても、それは凡庸かつ善良な一般市民の楽しい観光旅行の一環としてだったはずだ。
――それが一体何をどう間違うと地獄の家庭訪問を命じられる立場になるというのか。
「あのー、お嬢さん?バスもう出ちゃいましたけど……」
「今は人生について考えたいです……」
「あ、そう……」
外界のすべてを遮断するかのように聳え立つ巨大な灰色の壁――もとい「試しの門」を前にぐったりと項垂れながら、私は深い深い溜息を吐いた。"掃除夫"のゼブロさんは守衛室の扉を開けて、心配半分、呆れ半分といった表情でこちらの様子を眺めている。どうやら私は彼の目に普通の観光客として映っているらしい。彼とはこれが初対面だし、おそらく上からは何も聞かされていないだろうから、まあ当然だ。
事情を説明したら開けてもらえるだろうか。いや、仮に開けてもらえたとして、そのあとすんなり上まで行けるだろうか?ゾルディックに限ってそれはない。しかもこれは自発的な帰還でもイルミさんの言い付けでもなく、シルバさん直々の"命令"だ。彼の言う「家まで来い」が言葉通りとは思えない。言わんとしているのはきっと「門を開けて来い。できなければ死ね」――とかだ。
ものは試しと門扉に手を当て、まずは軽く押してみる。ひんやりとした石の感触がする。次に自己操作を加えて全身に力を込める。――ぴくりとも動かない。
私は思わず顔を歪めて「うわぁ」と声を漏らした。これでも
「これを開けられる人はもう人間じゃなくないですか」
吐き捨てるように呟くと、ゼブロさんはまた困ったふうに笑いながら「一応人間だと思いますけど」と弁明した。
しかしまあ、まさか正面突破してくるとは思われていないだろう。というよりもむしろ、はじめから私には一択しかない。
「守衛さん、そっちの小さい扉の鍵ください」
「えっ!?」
まっすぐに伸ばした手と顔に交互に視線を受けながらじっと相手の様子を窺う。これで侵入者として認識されるかと思ったのだが、動揺した様子を見る限り、彼はまだ私のことを自殺志願者か無謀な観光客くらいに思っているらしい。
「あんたまだ若いんだから、どうせなら正面から頑張ったほうが……」
「せっかくですが人間をやめる気はないので」
「いや、そうじゃなくて……ホントに洒落になんないから」
「失礼します」
この巨大な門を開けられなかった侵入者たちは大概、自分の力不足を受け入れられずに逆上する。そこで諦めておけばいいものを、ひどいと壁ごと破壊して通ろうとするらしい。そういう不届き者の狙いを逸らすために、門扉の横にはごく常識的な大きさの鍵の掛かった扉が「侵入者用」として用意されている。そこから入れば問答無用で侵入者として認識され、排除されるという仕組みだ。
ゼブロさんは私の身を案じて諭そうとしているようだったが、それでも私はそこを開けるしかない。親切を聞き流しながらつかつかと守衛室へ乗り込み、苦い表情を浮かべる彼の作業着のポケットから鍵を拝借した。口で咎める割に抵抗したり奪い返したりしないあたり、仕事として割り切っているのだろう。――ゾルディック家に害を為す者は排除する。相応の力を持たない者に門の内側へ足を踏み入れる資格はない。分不相応な振る舞いをする者は死んでも仕方がない。そのとおりだ。
鍵を開けると、"侵入者用の扉"は容易く開いた。戻ろうとする戸板に半身を凭せ掛けて外側へ開け放ちながら、私は深く息を吸い込む。
――久しぶりの空気。鬱蒼と生い茂る木々の隙間を這うように、獣の息のような、微かに湿った風が静かに流れている。
中に居た頃ここまで降りてきたことはなかったが、どこもよく似ている。私の行動範囲だったところと違う部分といえば、そのあたりの何か潜んでいそうな茂みに、本当に"何かがいる"ことくらいだ。
それは名前を呼ぶまでもなく、仄暗い森の陰から現れた。巨大な白い岩のような体を揺らし、鋭い鼻先と暗い目でこちらを窺いながら、ゆったりとした歩みで私の真正面に陣取ると、そのままそこで軽く伏せる。前足は行儀よく、あるいは意地汚くチャンスを窺うように、私の爪先からほんの数十センチのところで揃えられ、じれったそうに土を掻いた。
「"待て"だよミケ、まだ入ってない」
左手で足元を指差しながらそう言ったのが理解できているのかいないのか、その巨大な生き物――ミケの暗い両目はじっと私の足を見る。いくら賢くても動物だ。一度に二つのことをこなすのは難しい。
軽く足踏みしてミケの注意を逸らしながら、輪を作った右手の親指と人差指の間にオーラを丸く吹き込んでいく。こぶし大まで膨らんだところでフッと吹き切ると、オーラの塊は風に流されるシャボン玉のようにふらふらと舞い上がり、ミケの白い額に弾けた。
巨壁が揺らぐ。前足は折れた柱のように地面を這い、器用なはずの指先は私の目の前で壊れたぜんまい仕掛けの玩具のようにきりきりと震えはじめた。
「門、開けて」
そう囁きながら私の顔と足元をうろうろとさまよっている視線を左手で拾い、そのまま指先を門のほうへ向けると、ミケはすぐに立ち上がってこちらに背を向けた。私も扉から離れてゼブロさんに鍵を返し、開き始めた試しの門へと踵を返す。
「驚いた……ミケが言うこと聞くなんて」
「ほんとに聞いてくれるならもっといいんですけどね……」
門を開ける大きな前足の下を足早にくぐり抜け、操作のオーラを剥ぎ取ろうとミケの額に手を伸ばす。正面からでは鼻先が邪魔で届きそうになかったので顔の真横に体を滑り込ませると、ちょうど視界に入った門の隙間から困り顔のゼブロさんが見えた。
彼もいいかげん私をただの観光客とは思っていないだろう。もしかすると上に報告すべきかどうか迷っているのかもしれない。半端に情報が伝わって侵入者扱いされるのは御免だ。
「=と申します。シルバさんから呼び出されてるので、上がらせていただきますね」
そう言い終わるが早いか、ゼブロさんの反応を見る間もなく、試しの門は地響きのような音を立てて閉じた。
剥がすまでもなく時間切れで開放されたミケは私から露骨に距離を取ると、心なしか恨みがましい目でこちらを見ながら、奥まった茂みに丸くなって伏せた。ぶつけたオーラで直接意識に干渉するからか、こうして操作した相手にはしばらく目眩が残ることがあるらしい。
「ごめんねミケ、悪気はないんだけど……」
たぶん言っても無駄だ。低く唸る巨体からゆっくりと距離を取り、ミケの間合いの外まで逃れたところで携帯を確認する。
指定された時刻まではまだ余裕があったが、私の足でどのくらいかかるかわからない。そもそもこの家の人たちに「客人を出迎える」的な発想はないだろうし、忍び込んだところで私の絶ではカルトくんにだって見つかってもおかしくない。
ここは多少遠回りでも、ゴトーさんに頭を下げて通らせてもらったほうが早いかもしれない。執事邸までなら大した警戒網はなかったはずだから、最悪力技でも突破できる。それでもダメならミルキに贈賄してもいい。金も立派な実力だ。
ふと顔を上げると、頭上を旋回していたらしい一羽の鳥が不意に身を翻し、山の頂のほうへと去っていった。――どうやら見られていたようだ。
「……信用してるんだかしてないんだか」
***
「お久しぶりです、様」
執事邸前の"境界"で見張りに立っていたのは顔見知りの若い使用人さんだった。彼は私の訪問に驚くこともなく淡々と挨拶をすると、そのままあっさり道を空けて執事邸の方向を示した。
予想ではここでまずひと試合するところだったが、どうもそうではないらしい。――思ったよりも情報が伝わっている。ほっとしたような、釈然としないような気分のまま森の小路を進むと、執事邸はすぐに見えてきた。
玄関前では黒い燕尾服の男性が3人、姿勢良く待ち構えている。確か左がヒシタさん、右がオギノさん。中央はよく知った顔。ゴトーさんだ。
敷地に足を踏み入れると同時に、3人は不気味なほどぴたりと揃った礼をして私を出迎える。思わずたじろいで足踏みする私に、ゴトーさんはにっこりと微笑みかけた。
「お待ちしておりました」
「……ゴトーさん、あの」
「はい、何でしょう」
勧められるまま応接間のソファに腰を下ろしたところで話しかけると、彼はやはり微笑んだまま返事をした。
殺気はない。敵意もない。威圧の裏返しでもない。まして何か企みがある様子でもない。そういう感覚には自信がある。だからこそわからない。――彼はなぜ、こんなに嬉しそうに笑っているのだろう。
「……いえ、何かすごく笑顔だなあと……思って……」
「ああ……失礼しました」
そう言いながらも笑みは崩れない。警戒させないよう振る舞っているようでもあるし、ただふつうに笑っているだけだとも思える。怪訝に思う気持ちを隠さずじっとその顔を見ていると、彼は口元を押さえながらふっと軽い吹き出し笑いをした。
「そう睨まないでください。以前ここへいらしたときのことを思い出しただけです」
どうやら微笑ましいものを見る目だったようだ。どうりで生暖かいはずだ。私は咳払いして居住まいを正し、気恥ずかしさで歪む口元を手で隠しながら目を逸らした。
「あれはあの……たとえるならレベル1の棒きれ装備のままバグって魔王の城に飛ばされちゃった的な……」
「お強くなられましたね」
しどろもどろで返答にもならない返答をする私に、彼は少しだけ真剣な声で言った。まるで私の成長を喜んでいるように、その口調は限りなく優しい。
「……私、この家の人にもっと嫌われてるんだと思ってました」
「そのようなことはございません」
間を置かず、にこやかに否定する彼の様子を見て、私はいよいよ困惑した。迷惑がられることはあっても、歓迎される立場ではない。カルトくんの反応こそが私の予想する正しい結果だ。
やはりこれは何か裏があるに違いない。自信があるつもりでいたのだが、近頃はここにいた頃ほど神経を使っていないから、勘が鈍っているのかもしれない。
静かに唸っていると、廊下の方で電話が鳴り出した。ゴトーさんは私に一礼すると足早に部屋を出ていく。
そうして静かになったところで、自分のポケットの中で携帯が震えているのに気づく。取り出してみると、ディスプレイにはミルキの名前が表示されていた。
「……もしもし?」
『よう、ピンピンしてんな』
「お陰様で。なに?電話なんかして」
『いや、キルの居場所のこと』
「脈絡って言葉知ってる?」
呆れた風な声を出しながら反応を窺っていると、ミルキは面倒くさそうに1つ息をしてから話しだした。
『キルが俺とママ刺して家出しやがったから探してたんだけどさ』
ムダのない簡潔な説明だ。ねちっこい性格のくせにこういうところはやけにサッパリしている。
「……とりあえずウンって言っとくね」
『ハンター試験の会場あたりにいるっぽいんだよ。お前あいつに何か言った?』
「そのうち受けるって話はこっち居た頃してたけど……なに、私がたぶらかしたと思ってる?」
ありえない話だが、深読み勢のミルキ君なら真っ先に考えそうなことだ。鼻で笑いながら答えると、彼は真面目に頷いた。
『お前、キルと妙に仲よかっただろ』
「別に普通でしょ。仲良しのハードル低すぎじゃない?これだから引きこもりは」
わかりやすくバカにした口調で言ってやる。すると今度は一転、『殺すぞ』と割合本気度の高い脅しが帰ってきた。キルアに向かってムラっけがあるとかなんとか言っていたが、そういう自分も中々のものだ。
キルアの非凡さは今に始まった話ではない。私がここにいた一年半前、わずか10歳の頃ですらそうだった。その彼の前に立ちはだかろうとするのなら、侮らず警戒してかかるべきだろう。というか、素手の真っ向勝負ではもう敵わないくせにそれをしなかったのは完全にミルキの落ち度だ。少なくともその点に関しては少しは反省していてもいいはずなのに、見ての通りのこの態度。本当に、"頭はいいがバカなのが玉にキズ"だ。しかしこれ以上煽ると後が面倒なのでひとまず飲み込んでおく。
「まあまあ、そのうち帰ってくるって」
『根拠もねーのによく言うよ』
「ははは、じゃあまたあとでね」
適当な挨拶で通話を切って携帯をポケットに仕舞う。ふと視線を落とすと、一昨日新調したばかりのスニーカーが目に入った。まだきれいな爪先をそっと揃えて姿勢を正す。多少憂鬱だが気分は悪くない。膝も震えていない。震える理由なんてどこにもない。
――強くなった。
それは事実だ。そうでなければならない。そのために私は彼らの場所と財と時間を喰って生きてきた。そしてなるべく早く発つために、そうあり続けなければならない。それが彼らの施しに対して、私が返せる最大限の誠意だ。
「お待たせいたしました。本邸までご案内いたします」
