「まあ、もうわかるだろうが・・・俺はゾルディック家の連中にどうしても会いたくてね。だがあの家は警備が厳重だ・・・できる限り奴らだけを始末したいのに、関係ない使用人どもが向かってくるそうじゃないか。あんたも知ってるだろう?・・・抜け道はないか?それか、あの家の連中の弱点を知らないか?特に“イルミ”のだ。弱みはないか?・・・なあ、だんまりこくなよ。聡明なあんたなら、もうわかってるだろう?どういう状況なのか。」
部屋には男が二人いた。片方は図体のでかい髭面。喋っている細身の方がさっきの奴だろう。手足が木製の椅子に固く縛り付けられて全く動かせないのを確かめながら、私は二人を冷静に観察する。
誘拐のやり方は少々雑だったが、二人とも念使いで、おそらく相当修行を積んでいる。単なる賞金首狙いの二人組みが揃って念使いである確率から言っても、プロハンターであることはまず間違いない。詰めが甘いように見えるのは、自信ゆえの油断の表れととるのが妥当だろう。
どう考えても敵う相手ではなかったが、さっきのヒソなんとかさんと違ってこちらは予想の範疇だ。少なくとも、慌てふためいて下手な芝居を打つようなことにはならない。
緊張気味の喉を緩めるように胸で息をして、隙のない笑みを浮かべる細身の男と目を合わせる。彼は右手に持ったナイフを演技がかった動作でくるりと回し、刃先で私の顎を持ち上げた。
「喋ってくれないか?お嬢さん。」
「悪いですけど貧乏性なんで、損得勘定だけは速いんです。」
即答すると、彼は殊勝な顔で私を見下ろした。また長口上を挟まれるのも面倒なので、一拍おいてすぐに続ける。
「吐いて死ぬより吐かずに死んだほうがお得。」
「おいおい・・・何か勘違いしてないか?奴らの情報を喋ってくれたら、ちゃんと解放するさ。悪い話じゃないだろう?」
そう言った相手の方こそ何か勘違いをしているようだが、いちいち突っついても仕方がないのでとりあえず口を噤む。
とはいえ、無計画にだんまりを通して拷問に甘んじるわけにもいかなかった。いくら頑丈といっても痛みを感じないわけではないし、ハンター試験を控えている今は特に、爪一枚剥がれるだけでも大損害なのだ。
憮然とした顔をつくって、付き合いきれないふうにあさっての方向を見つめる体で、私は慎重に作戦を組み立て始めた。
「ハンターになるのが夢なんだろ?何か目的があるんだろ?」
細身の男はそう言って、ぴったりと撫で付けたプラチナブロンドをてらてら光らせながら視界に入ってくる。あんたゆで卵みたいな頭してるな、と呟きそうになったがなんとか堪えて、私はさらに視線を逸らす。彼は構わず続けた。
「あんな暗殺ゲス野郎共にひっついて、何が楽しい?解放してやるよ、俺たちが。」
「そうさ。それに俺たちはプロの賞金首ハンターだ。なんならお前の師匠だって引き受けてやるぜ。」
割って入ってきた髭面の方からも目を逸らして、軽く息を吐く。うそくさい台詞だ。これだったら私の方がまだうまく演技できる。
ひとつ深呼吸をして、私はやっと二人の顔を真正面から見た。卵頭はのっぺりした眉を吊り上げて、期待したような、馬鹿にしたようなまなざしを向けてくる。私は相手にわかるように鼻で笑ってやって、辛うじて自由な肩をすくめた。
「ひとつ聞きたいんだけど、私がいなかったらどうしてたの?」
「あ?」
「もしも私みたいな存在がゾルディック家になかったら、ってこと。普通に考えて、ない方が適切なわけだけど。」
髭面は要領を得ないような顔をしている。卵頭の方は私の言いたいことがわかったのか、一瞬真剣な顔をした。口を開くのももちろん彼だ。
「・・・他の方法で情報を探ろうとしたかな。」
「たとえば?」
「・・・。」
考えているのか、答えられないのか、とにかく彼は口を閉ざした。私はふっと息を吐いて、少し震えている喉を落ち着けてから、やっと合点がいったらしい髭面の方を見て言う。
「私がいなかったらあんた達は何もできなかった。でも、情報が手に入らなかったとしても、遅かれ早かれ突っ込んでいったんじゃない?彼に誰かを殺されたんでしょ?諦めて泣き寝入りってタイプには見えないし、たとえ無茶でも、あんた達は復讐を選ぶ。」
あくまで落ち着いて、淡々と言葉を繋いでいく。図星なのか、二人は意外なほど静かに私の言葉を聞いていた。
「私がいなければ、あんた達はもう死んでた。私がいなくなれば、あんた達はきっとこれから死ぬ。」
「・・・なんだ、つまり?遠回しな命乞いか?」
「違うよ。」
わざと呆れた風に言えば、卵頭は僅かに表情を歪めた。私は目を細めて微笑する。
「私は死ぬだけであんた達を殺せる。」
髭面はすっとぼけた顔をして卵頭を窺った。しかし当の卵頭は私から視線を外せないでいるので、やがて髭面も困惑気味に私を見下ろしてくる。私はふたつの視線にただ笑みを向けた。
私にとってみれば、余裕を装うのは簡単なことだ。強い人の真似をすればいい。自分が強いと思い込めば、強敵を前にしても恐怖を感じなくなる。
もちろん、実際には勝ち目がないことは明らかだ。しかし相手は違う。「戦ったら勝てるはずだ」と思っているのに、その判断に自信が持てなくなる。強者を前にしても確信的に余裕を崩さない者には得てして奥の手が存在するということを、強者ほどよく知っているからだ。
しばらく沈黙が続いた。髭面が痺れを切らして動き出すのを軽く制し、卵頭は一瞬躊躇うように視線を泳がせる。しかしそばへ放ってある私の持ち物に目をやると、にわかに自信に満ちた表情を取り戻してこちらへ向き直った。
「ハッ・・・舌でも噛み切るってか?そんなもんで死ねると思うか?」
「アニメとかだとよくあるよね、自爆スイッチ。」
「・・・何を言ってる?」
焦りと困惑が見える。卵頭はほんの僅かに私から距離を取る方向へ身をよじった。髭面は見た目どおりの単細胞ぶりで、私を殴ろうと振り上げた腕を仲間に止められた意味が、本当にわかっていないらしい。
「こういう展開は予想してたよ。私みたいな弱点は突かれないほうがおかしい。でも恩を仇で返すのはポリシーに反するから、つくったの。死ぬスイッチ。」
卵頭は一瞬呆気にとられたふうに目を見開き、それから訝しげに眉を寄せる。単に信じきれないという様子だ。もちろん八割方嘘なのでその反応は正しいのだが、私は自信満々に薄笑いを浮かべたまま、後ろで縛られた両腕ごと椅子に背を凭せ掛ける。
「作っただと・・・?わざわざ、あんなゲス共のためにか?」
「私はその“ゲス共”に生かされてる。」
卵頭は言葉を詰まらせた。髭面がようやく何かに気付いたような顔をする。私は一呼吸おいて、冷静に続ける。
「一から説明する必要はないと思うから簡潔に言うけど、喋ったら私は殺される。でも喋らなければあんたたちに殺される。どうせ死ぬなら美しく死にたいし、楽な方がいい。そして私にはそれができる。・・・これじゃ取引にならないよね。」
返答はなかった。ひとまずは揚げ足をとられなかったことに安堵し、沈黙の意図を深読みするのは後にして、一思いに口を開く。
「解放して。」
そう言い放つと、髭面は「俺の出る幕じゃねえな」と呟いて壁際にどっかりと腰を下ろしてしまった。卵頭は黙ったまま、複雑そうに眉間に皺を寄せている。
「あんた達の名前も実力も知らない今なら、解放しても何の問題もないでしょ。」
「どうだかな・・・俺は奴らが侮れない連中だってことをよく知ってる・・・ここに残る僅かな痕跡だけでも、俺たち個人を特定するには十分だろう。」
声が少し強張っている。言いたくないことを言わされているような口調だった。私は素直に頷いて、相手の目を真っ直ぐに見る。
「私もそう思う。だけどあんた達が何も掴んでいなければ、まず何も起きない。出る杭をまめに打つような人たちなら、私はとっくに消されてる。」
静かにそう答えると、卵頭はまた複雑そうな表情をした。
「・・・あんたは、あいつらが人殺しだと知っても、何とも思わないのか?」
「うん。」
迷わずはっきりと頷く。卵頭は神経質そうなオールバックを無造作に崩して、半端に固まった前髪の奥からこちらを軽く睨んだ。私はその淡い緑色の目を見つめ返して、一呼吸する。窓の向こうでじりじりと太陽の角度が変わって、目を開けているのが少し辛かった。
「なら、あんたも人殺しなのか?」
「私は一般人だよ。」
あえて言い切ると、卵頭は閉口した。視界の端で髭面がのそのそ動いている。何か言うのかと思って見てみたが、彼の視線は私たちを通り越して窓の方を向いていた。暇なのか、何か思うところがあったのかは判断がつかない。私はしばらく髭面の艶のない赤毛をぼうっと眺めて、それから卵頭に視線を戻した。彼の方も、何を考えているのかはわからない。答えを出そうとしているのか、それとも、まだ何か訊こうとしているのか。どちらにせよ、そう易々とは解放してもらえそうにないことだけは確かだった。
気付かれないようにため息を吐いて、ほとんど投げやりに縄抜けのシミュレーションを始める。
手詰まり、という言葉がまず頭に浮かんだ。やはり、平均頭脳の私がプロハンター二人を口先だけで撒くのは相当難しい。うわべをいくら取り繕っても、手札が少なすぎるのだ。
とはいえ、まずは「とりあえず拷問してみる」という選択が成されていないことに感謝すべきだろう。卵頭が思いのほか紳士的なのか、それとも別の思考に夢中で忘れているのかは定かでないが。
関節を外す感覚を思い出しながら、体のすわりのいい場所を探す体で身をよじり、肉体操作のオーラを動かす。この方法はかなり痛むので、いつだかのキルアのようにノーリアクションで出来る自信はない。やるとすれば、二人が完全に他の何かに気をとられているか、実際に攻撃を食らった瞬間しかない。後者なら髭面にターゲットを絞れば簡単に引き出せるだろう。
腕の縄が抜けたら、構造上抜けられない両脛の縄をすぐに切らなければならない。腕力的に素手では難しいし、同じ理由で椅子のほうを壊すのも難しい。手足を強化している時間もないだろう。操作で関節を外した直後に硬や凝ができるくらい器用ならそもそも捕まっていない。
一番現実的な方法は、もがくふりで椅子ごと倒れて、そこに放ってあるナイフを取ることだろう。両腕さえ自由になれば十分届くし、準備さえしておけば操作でかなり正確に動ける。
両手両足が自由になったら、あとはもう逃げるが勝ちだ。しかしここで私はまたため息を吐いた。
ログハウス風の質素なつくりの部屋には、窓がおそらく二つ。西側と背後に一つずつだ。しかしこの二つを使うのは無謀である。背後の窓は光の入り方からしてかなり高い位置にあるようだし、卵頭が私と西側の窓の間に立っている。目の前には髭面がどっしりと胡坐をかいていて、ちょうどその左右に洗面所とキッチンの入り口がある。外に通じるドアはおそらく背後だ。とは言え真後ろにあるとは考えにくい。東側に私の持ち物や元々ここにあったのだろうがらくたがごちゃごちゃと積まれているところからみると、西側にあるのだろう。そうなると難易度は西の窓と変わらない。
逃げ場はない。小細工ではどうにもならない。実力でやるしかない。ほとんど呪文のように喉の奥でぐるぐると言葉を巡らせる。
冷静な私が無茶はよくないと囁く。楽観的な私は逃がしてもらえることを期待しているし、攻撃的な私は無理矢理にでも逃げろと腹の底で唸っている。私はその真ん中で、落ち着き払った態度をつくろうので精一杯だ。
ふと視線を感じて顔を上げると、卵頭が私の顎の辺りを虚ろに眺めていた。“人を人とも思わないような”と形容してもよさそうな目つきに、私はにわかに不安になる。
卵頭の薄い唇が開かれていく。何と言われるのか、予想もつかない。卵頭は一度だけ躊躇って、それから静かに声を発した。――が、実際私の耳に届いたのは、野太い怒鳴り声だった。
「誰だ!!」
「!?」
当然声の主は髭面だったのだが、ぼんやりしているとばかり思っていたので、私のみならず、卵頭もびくりと肩を震わせた。しかし要領を得ないでいるのはどうやら私だけらしい。卵頭はすぐにナイフを構えて、窓の向こうを睨んだ。
「お前・・・いつからそこにいた?」
その問いに答えるものはない。気配もなければ、姿もなかった。それでも二人の警戒ぶりに、動かせない両足が強張る。
イルミさんが来るはずはない。飛行船の速度は高が知れている。いくら早くても今日中に着くことはまず有り得ない。
けれど、だとすれば一体誰がこんなところに来るというのだろう。わざわざ人を誘拐しておいて、人が通りかかるような場所を選ぶほど彼らが間抜けだったのか。しかし、それだけなら気配がないのはおかしい。妙な物音だってしなかった。
そこまで考えたところで、私は息を呑んだ。無警戒に落ち葉を踏む音がする。中途半端な格好をしていた髭面が立ち上がって、そばに立てかけていた斧を手に取った。
ウッドデッキが軋む。西の窓があっけなく砕け散る。貼り付けていたポーカーフェイスが崩れていくのが、自分でもわかった。
「やあ・・・さっきぶりだね。」
派手な色の髪が背後に陽を受けてぎらついている。不敵に笑みを浮かべるその人に、私は確かに見覚えがあった。
「な、んで・・・」
うまく喉が動かせずに切れ切れになる呟きに、彼は――ヒソカは、ぞっとするほど人のよさそうな笑みを返した。
「気まぐれ。」
語尾にハートマークでもつきそうな甘ったるい声色に、私はかえって絶望的な気分になった。
「チッ・・・助けに来るような仲間がいたとはな」
卵頭の舌打ちの向こうで、ヒソカが値踏みするように髭面を見つめている。――違う。彼は遊びに来ただけだ。プロハンターと200階クラス闘士のどちらが“イイ”かなんて私にはわかるはずもないが、彼が強い人間と戦いたがっていることだけはよくわかる。彼に必要なのは、相手と、機会と、口実。ここにはそれが揃っているのだ。
引きつる頬をどうすることもできず口を噤むと、明らかに落ち着きを失った私に気付いて、卵頭は怪訝そうな顔をした。しかし察しのいい彼はすぐにはっとして、武器を構える相方に視線を送る。
「仲間ってわけじゃねえらしいな・・・何の用だ?」
「ん〜・・・暇つぶし、かな。」
ヒソカは悪びれもせずそう言って、ガラスの破片の上で足を踏みかえた。彼の体重に負けて砕けたガラスが、落ちかけの陽を受けてちかちか光る。ヒソカの手にはいつの間にかトランプが握られていた。
「悪いがこっちは遊びじゃないんだ。帰ってくれ。」
髭面が無表情に言うのを、ヒソカはにやつきながら聞いている。その切れ長の目が一瞬、私を冷やかすようにちらりと見た。
「帰らせていいのかい?僕は彼女と違って、君たちを消すようイルミにアドバイスするつもりだけど。」
――氷が割れるような音がした。
髭面のオーラが燃えたように膨れ上がる。卵頭は一瞬引きつった顔をして、左手で空を掻く。
チャンスが来たと思うべきなのだろう。汗ばむ手のひらを握り締め、私はそっと下唇を噛んだ。
