――まあ、あれは楽々と言っていいのだろう。またしても攻撃らしい攻撃を食らうことなく、私は40階クラスを勝ち抜いた。


今度のファイトマネーは四万ちょっと。昨日の分が少し減ったので、これで通算十万。二日で十万。インフレに違いない。
溜息を吐いて、昨日より十階高い休憩所の白いテーブルにぐったりと身体を預ける。ゾルディック家の徹底管理されたスケジュールの中で従順に過ごしていただけあって、体調の方は非常に良好だ。しかし精神的負荷というか単純に不安というか、そういう重圧は否応なしに背中に圧し掛かってくる。――なにしろ次が、ゴンがトン単位腕力を身に付け圧倒的な差で一階を制して宣告された階数、50階なのだから。

「(うーん・・・どう考えても腕力はキルアの百分の一以下だし、念があるって言ったって細かい技増やしただけだし、まあ防御は一応何とかなってると思うけど・・・)」

何にしても、“知っている人”が二試合目を行った――いや、行う階なのだと思うとわなわなしてくる。もちろん主な理由は怖いからだが、例によってワクワクドキドキの方の気分も多大に含まれているわけで、そしてその状態を自分でよくよく考えて我に返り、やっぱ痛い目見るんじゃないかとさらにビクビクする――という負のスパイラルに陥っている、ような気がする。とりあえず突っ伏したい気分なのは確かだった。


――それにしても。
私は少しだけ身体を起こして、一番近くのモニターとスピーカーをちらりと見る。
窓口のお姉さんが「今日は人が少ないから回転が早い」と言うから次の試合を組むことに同意したのに、私の名前が呼ばれる気配のないまま、かれこれ三時間は経過していた。

まあ、待つのは構わないのだ。しかし、身体を動かしてみようにも、いつアナウンスがあるか分からない以上は外に出るのは憚られ、かといって闘技場内のトレーニングルームは男臭すぎていくらなんでも混じれたものではないし、階段は非常用的な扱いで薄暗く、おまけにやたらと滑る。一般的身体能力しか持たない私が床と抱き合うのは時間の問題である。

ふと思い立ってポケットを探る。見慣れたものよりいくらか重くて分厚い携帯電話を開くと、待ち受け画面の隅の時計は正午過ぎを示していた。――イルミさんが仕事先に向かってからも二時間半経っている。いい加減ぼうっとしているわけにもいくまい。お仕事スタイルのイルミさんの姿を懐かしいもののように思い出しながら、ゆっくりと立ち上がった。

しかし、やはりトレーニングらしいトレーニングをするには場所が悪すぎる。周囲を見ると闘士らしき男達はそれぞれ売店で時間を潰したり持ち込んだらしい本やゲームに興じているようだ。しかし中には私のように座ったまま動かないものもある。あれも一つの精神統一なのだろう。――そうだ、精神統一。点か何かをしているのがいいかもしれない。

一人頷きながらもまずは売店でお茶と軽食を買って、定位置に戻りもそもそと咀嚼する。流石、闘技場の売店というだけあって決してそこらのコンビニで売っているような頼りない品ではないのだが、謎の食材がちらほらしているのは・・・まあ、この際見なかったことにしよう。

「(やっぱり自炊する。絶対する。)」

一人で外食はあんまりしたくない。出来合わせを買って食べるのもやめておきたいし(というかスーパーの惣菜がそんなに美味しくなかった)、だったら作った方が安上がりで気も紛れる。欲を言えば一人でないのが一番だが、ここで友達を作ろうと思うとものすごいゴリマッチョに囲まれてしまいそうなので遠慮しておこう。筋肉隆々も嫌いではないが、流石に友達としてはふつうの女の子が望ましいお年頃である。

女の子と言えば、ここの闘士の男女比も実にアレだ。まさかここまでむさ苦しいだけの施設だとは思っていなかった。確かに原作で見た覚えも無いし、ハンター試験の男女比から考えても無理はないかもしれないが、さっきの試合に至っては「40階唯一の女性闘士!」とまで言われる始末だ。アウェーにもほどがある。
しかし、“40階クラスで唯一”というのが“他の階には女性闘士が居る”という意味なら、そのうち出会うこともあるだろう。ただしふつうの女の子である可能性は皆無である。

半ば諦めの気持ちで首を捻り、肉なのか何か他のものなのかわからない物体Xをお茶で流し込む。周囲のざわつきは通路側のモニターに集中している。誰かの試合が終わったのだろう。その人集りを横目に眺めていると、すぐそばのスピーカーが私の名前を呼んだ。







『さぁ皆さんお待たせいたしましたァ!!いよいよ本日の花形!女性闘士二人の試合が始まります!!』

――なるほど、そういうことか。
実況のお姉さんの声を聞きながらギャラリーを見回せば、確かにいつになく席が埋まっている。どうやらこの“花形”を設定するために私は二試合目を提案され、他の大きな試合と重ならないよう三時間も待たされたらしい。私としても女性闘士と会ってみたいと思っていた矢先のことだから願ったり叶ったりと言えばそうだが、何か胸がすかない。つい溜息を吐いて、ようするに客寄せパンダ的扱いね、とぼそりと呟くと、相手の女性がくすくす笑って頷いた。耳の良い人だ。

『まずはアマゾナ選手!!――ご存じの方も多いでしょう!天空闘技場初挑戦の年齢はなんと12歳!当時の最終到達点は120階!!あの“猛獣”がついに帰還!!一階では拳法の達人を圧倒し、その健在ぶりをアピールしました!』

猛獣って女の人につける渾名としてはどうなんだろう。首を傾げつつアマゾナさんを見たが、彼女は観衆の声援に慣れた様子で手を振っている。どうやら気にはしていないようだ。むしろ気に入っているような風でもある。
まあ確かに、言われてみれば、彼女の容貌はどことなく獰猛な獣を連想させるようなところが無いでもない。艶のある褐色の肌に、染めたのであろう鮮やかなピンクとシルバーの髪。瞳の色はわからないが目つきは鋭く、邪魔にならない程度の化粧でもこちらを睨むような迫力がある。肉食系女子、と脳内でテロップを出してみて、一人で頷く。彼女の渾名は猛獣で正解なのかもしれない。

『対する選手は見かけによらず凄まじくタフ!!どんな攻撃も涼しい顔で受け流す!この鋼鉄の乙女に通用する攻撃など果たしてあるのかァ―――!!?』

実況の声に合わせて、巨大なモニターに先程の試合の映像が映し出された。観衆のざわつきにくすぐったい気持ちがしたが、短く息を吐いて姿勢を正す。
相手が女性とは言え、さっきの試合よりもこの試合の方が難しくなるだろう。12歳かそこらで120階、という情報のせいもあるが、何よりモニターの私を見上げる姿でさえ隙が全くないのである。仮に攻撃を喰らわないとしても、私からポイントを取りに行くのは至難だ。

実況の声が一層高く響き、モニターがギャンブルスイッチの倍率に切り替わる。――数字の上では明らかに私の劣勢。毎度毎度こうではモチベーションにも関わりそうだが、私としても気持ちは同じである。勝てるとは思っていない。勝ちたいと思うだけだ。

『それでは、3分3ラウンド P&KO制!』
「始め!」

レフリーの声を聞くが早いか、私は纏を固めた。――カルト君よりはずっと遅いが、これまでの相手の中では一番速い。アマゾナさんの回し蹴りを左手で受けながら出来る限り避け、反撃の手を出しかけて、すぐに退く。リーチが足りないのも毎度のことだが、こう素早く攻撃されてしまうと死角に回ることもできない。
――それなら、“まずは退いて相手の呼吸を読む”。教えられたことを反芻しながら、鋭いアッパーをかわす。顎を掠ったがこの程度で当たり判定にはならないだろう。一気に屈んで足払いをかけ、アマゾナさんがほんの少しバランスを崩したところで逆サイドに回る。欲を言えばここでもう二、三度攻撃したかったが、彼女も彼女で中々堅いらしい。軽々と体勢を立て直すと、もう次の攻撃を仕掛けてきた。
右から蹴り、素早く構え直してもう一度蹴り、私を弾き飛ばすと顔面目掛けて容赦なくグー。これはどうにか止めて、腕を掴んだまま腹を蹴る。相手が怯んだところで身体を起こし、そのまま鳩尾にもう一発叩き込もうとしたが、今度は防がれてしまった。しかしダメージはあったはずだ。

「クリーンヒット!両者1ポイント!」
『アマゾナ選手、流石の速攻です!しかし選手も後れを取りません!!これはかなりの接戦かぁ!?』

レフリーと実況の声を聞きながらアマゾナさんと数歩距離を取り、ひとつ息を吐く。――やっぱり速い。打撃の重さは大したことはないが、それが今までの三倍速で叩き込まれるのだ。回避はできて7割、ダメージを喰らわないにしてもポイントを稼がれてしまう。

「あんた、本当に涼しい顔してんのね。なんか嫌んなっちゃう。」
「それはどうも」

しかし、いくら顔が涼しかろうが余裕なんてものは存在しない。こちらは未だによくわからない自らの力量とのギリギリの戦いなのである。
アマゾナさんの攻撃が止んだのを見て、今度はこちらから仕掛ける。もちろん真正面から突っ込んで当たるとは思っていない。掴んで止められた右腕を一旦引き、手を解かせてからすぐに押し込んで胸倉を掴むと、殴られるより先に相手の右袖を自分の体ごと思い切り手前に引き、足を絡めて一気に床に落とす。そこから相手の起き上がりざまに素早く、なるべく強く蹴り込んで、反撃を受ける前に大きく下がった。速い相手に対してはこれがまず一つの手段である。

「――クリティカルヒット!プラス2ポイント、1-3!!」
『ここで選手、一気にリード!!相手の動きを逆手に取った見事な切り返しで2ポイントを奪いました!』

―――待てよ、もしかしてクリティカル取れたのって今が初めてなんじゃ。はっとして、急にどきどき言い出した胸のあたりを軽く押さえる。――落ち着け、落ち着かないと次に繋がらない。深呼吸を繰り返しながらアマゾナさんをじっと見つめ、逃げにも攻撃にも転じられるよう姿勢を作る。
彼女は軽く立ち上がり、腰に片手を付いて視線をこちらへ投げた。そしてにやりと笑う。――面白くなってきた、とでも言いたげだ。

「(ぜんぶ避けるのは無理。弾くのも難しいからポイントは取られる。)」

自分に言い聞かせながら、今度は一転してゆっくりと迫ってくるアマゾナさんの一挙一動をなるべく冷静に観察する。いくら見たところでそう高度な分析ができるほどのデータはないが、せっかくポイントを稼いだのだから、せめて隙くらいは見逃したくない。ぶつぶつと考え、軽く下唇を噛む。

瞬間、アマゾナさんの拳が左目の端を鋭く横切った。しかしどうにかギリギリで身をかわし、彼女の姿を捉え直そうと左を向く。――これがまずかった。

「ッ!!」

既に横など通り越して背後まで回っていた彼女は、私のガラ空きの背中を容赦なく殴り付けた。私はそのまま前方へ吹き飛ばされ、受け身を取る間もなく追撃を受ける。しかしこれは寸でで振り返って薙ぎ払うように弾き、その流れで相手の腰目掛けて脛を叩き込んだ。レフリーが叫び、また1ポイントずつ加算される。

「素直に吹っ飛んでもくれない、か。――逆に辛いんじゃないの?」
「あなたこそ、今の往なさなくってよかったんですか。」
「あんた、防御の他は大したこと無いもの。」
「(大したことないだと・・・)」

いや、それはもちろんその通りなのだが、なけなしのプライドが傷ついた。眉間に皺が寄ったのがわかる。私はまた距離を取って、ざわつきだした纏を深呼吸してよく整えた。視界の隅でレフリーが時間を見る。――ラウンドは残り二つ。長引けば、そもそも体力の無い私はどんどん不利になるだろう。となると、10ポイント取るか逃げ切るか、になるのか。

相手の身体がふっと下がったのを合図に、爪先に力を入れて構える。一瞬で詰められた間合いから抉り込むように弾き出された右拳を横に飛んで避け、重心を掴むと同時に相手の項へ回し蹴りを入れる。しかし寸でのところでかわされ、私はバランスを崩す。無論、それを見逃してくれる彼女ではない。二度目のアッパーは真っ直ぐに下顎を捉えた。

「(――これは、流石に、ヤバい)」

口の中に鉄の味がじわりと染みる。それでも、くらくらするのを堪えてどうにかダウンだけは避けた。また距離を取ろうとしたが、うまく動けず鳩尾に膝蹴りを食らう。思わずむせると相手の膝に血の飛沫が飛んだ。

「クリティカル!!プラス4ポイント、6-4!!」
『おおっとォォ!!?ここでアマゾナ選手、一気に4ポイントを奪い取ったァ――!!やはりこの猛獣、強い!強いぞォ!!』

実況に観衆が沸く。私はじっとオーラを巡らせて回復を図りつつ、口に溜まった血と唾を吐き出した。兄貴が居たら行儀がどうこうとぼやかれそうなところだが、まあそれはこの際どうでもいい。手の甲で口元を拭って、やれるか、と声を掛けてきたレフリーにはっきりと頷く。

「・・・今ので倒れないのは流石におかしいわよ」

アマゾナさんが低い声でぼそりと呟く。私はそれにふっと笑って、改めて息を整えた。

「じゃ、今ぐらいのを撃てたらあなたには勝てるの?」
「かも、ね!」

鋭い右ストレート。どうやら利き手は右らしい。そんなことを考えている余裕は本来無いのだが、一度殴られて頭の整理が付いたのか、迷わず右手を彼女の頬へ伸ばす。リーチの差はあるが、私が彼女の拳に当たらないよう避けつつ間合いを詰めてしまえばいいだけの話だ。――まあ、それが難しいのだが。
右を避ければ左を出されるのは当たり前で、身長で圧倒的ハンデを負っている以上、こういう単純な殴り合いは左右よりも下に避けた方が効率が良い。ただしこれは視界の上半分を削ることを意味している。多用していると今度は上から叩き込まれてしまうだろう。
“気配でわからないうちは視界は常に広くしておけ”と、イルミさんに淡々と指摘されながら床に叩き付けられたことはまだ記憶に新しい。

時々当てられながら、私も掠る程度には当たりを重ねていく。アマゾナさんの速攻もここへ来て徐々に速度が落ちてきたようだ。何発目かも分からない左拳を右手で受け止め、もう片方を弾いて、突き飛ばす勢いで自分も後ろへ下がる。ふと、レフリーがまた時間を見た。――たぶん、そろそろ第一ラウンド終了まで秒読みでもいいくらいの時間だ。きっと前を向くと、アマゾナさんは薄く笑う。彼女の右拳がふっと消えた。――来る。

『出たァ!!アマゾナ選手の必殺アッパ―――!!』

やっぱり必殺だったのか。膝の力を抜くように、仰向いたままその右拳をやり過ごす。そこからは全て勢いだ。一気に屈み、アッパーで伸び切った無防備な腹目掛けて、拳を突き上げる。

「ぐッ!?」

アマゾナさんが息を詰めたのが聞こえた。腕が軋むほどの力を込めた一発は、きっと彼女の必殺技にも匹敵していいくらいの威力があるはずだ。

短く息を吐くと、アマゾナさんは突き上げられたまま床へと崩れ落ちた。レフリーが傍へ来て彼女を覗き込む。そして私を見て頷いた。

「勝者、選手!!」






written by ゆーこ