「う・・・・」

――何だろう、息苦しい。
そう思って薄目を開けると辺りはいつの間にか明るく、一瞬混乱する。――あれ、私何してたんだっけ。思い出そうと目を閉じて考えてみても、やはり何か息苦しい。――ほんとに何だろう。おかしいなぁ、とまた目を開けて、そしてはっとする。

「・・・ちょっ、え。」
「起きた?」

起きたとも!私はがばっと起き上って文字通り目と鼻の先にあるカルト君の手を獅子舞並みのヘッドバンギングで振り払い、そこでようやく違和感の正体に気付いた。――こ、このクソ・・・いやガキ・・・いや、カルト君め!人の鼻つまんでやがった!
が、塞がれたのは鼻だけだ。この上口にタオルを詰められていたらそれはちょっとどういう反応をしたかわからないが、これならまあ怒るほどのことではないよな、ととりあえず「おはよう」と挨拶してみると、彼は不満そうな顔でベッドに腰掛けた。スプリングがかたく彼の体重も軽いのでほとんど沈まない。

「・・・今度こそ死んだかと思ったのに。」

・・・この子はほんとにもう、だいぶ引き摺るよなあ。私が苦笑いすると、彼はさらに不機嫌そうな顔になった。相変わらず扱いに困る子だ。しかしひとまずはおいておき、辺りを見る。
――病院だ。あっさりした白い壁に囲まれた八畳ほどの個室には、このベッドとテレビと可動式のサイドテーブルと、洗面所らしき小さな部屋しかない。
それから自分を見、私は改めて状況を把握した。左肩から肘の下までを固定する布と、鳩尾の左下あたりを重点的に覆う包帯やガーゼの厚み。痛みこそないが、あの大男のことを思い出すには十分だ。

って戦えたんだ。」
「戦うって言うか、まあ、抵抗はできるよ。」
「なんで僕とは戦わないの?」
「戦いたくないの。」
「どうして?」

――うーん、今日はやけに食い下がってくる。適当に答えてみたけど、ちゃんと答えた方がいいのかもしれない。
黒いテレビ画面にやった視線をカルト君の黒い両目に戻し、少し居直って口を開いた。

「さあねぇ。ただ喧嘩みたいなことになりたくないだけっていうのもあるけど、ゾルディックの人にはそもそも抵抗する気にならないのかも。一般世間からすればそりゃあ普通じゃないけど、皆良い人だしね。今も助けてもらってるわけだし。」
「・・・死にかけてるじゃん」
「今回のは自業自得でしょ。頭に血上るとああなっちゃうみたいね。身の程知らずって言うか、後先考えないって言うか。」

ふつうの喧嘩に割り込む時もそう。怒りっぽい方ではないが、だからこそたまのプッツンにすべての皺寄せが来るのかもしれない。そういう時はとにかく手近な鈍器を引っ掴んで殴りこんでしまうのだ。――まあ、そんな露骨なのは何かしでかしても体力的に殆ど無害で、何があってもだいたいごめんなさいで済む小学生のうちくらいしかできなかったから、中学では言葉と態度の暴力を駆使し、高校に入るとそういう問題から適当に目を逸らして大人しくしていることを覚えたが。そのせいもあって、私の高校の友達は少なめだ。友達がほしいからって考えなしに交友関係を広げると、そういった問題に出くわすリスクが増えるからである。
まあ言ってしまえば、もしかっとなっても向こうなら死ぬ危険はないわけだから、途中で冷静になって落ち着けばいいだけのことなのだが、そもそもかっとなって水を差すという行動自体が問題なのだ。私が正義のつもりでしたことも、相手の気に障ればその人にとっては紛うことなき悪意である。平和な学校生活はそこで終わりを告げることだろう。実際、中学時代に一度、短期ではあったが微妙な空気の中での生活を強いられたことがあった。――うわあ、嫌なこと思い出してしまった。一人で苦い思いをしていると、カルト君の影がふっと移動したのが目の端にとまった。ベッドが小さく音を立てる。

「行っちゃうの?」
「・・・父様に様子見てこいって言われただけだから。」
「そっか。私も行った方が良い?」
「いらない。」
「わかった。元気です、って伝えておいて。」

そう言って笑いながら手を振ると、彼は小さく頷いて部屋を出て行った。――ふう、とりあえず攻撃はされなかったな。割り込んだのは別に気に障らなかったと見ていいだろうか。肩を落として、そのままずるずると布団に埋もれて目を閉じる。どこも痛くはないが、痛み止めでも打ってあるのだろう。そういう時こそ無理は禁物だと兄貴がよく言っていた。わからないだけで、体の方はまだボロボロなのだ。というか治っているはずがない。
ゆるゆると垂れ流されていたオーラを切って絶をし、もう一度眠ろうと深めに息をする。と、何となく血生臭い空気が流れたような気がした。それと同時にナイフを振った瞬間がフラッシュバックし、ぎくりとして目を見開く。

「・・・あれ?」
「よう、久し振りだな嬢ちゃん。」

・・・目を見開くとそこには見たことある暗殺者がいました。
えーっと何だっけこの人、やたら強そうな人だ。名前は・・・聞いてないんだったか。セーラー服ガン見のあの暗殺者である。なぜ彼が突然視界に現れるんだ。絶してても全くわからないということは彼も絶か。音とか全くしなかったんだけどそうか、これが暗殺者か。

「・・・何か御用ですか?」
「うーん、君もつれないね。」

とか言いながら顔は楽しそうだ。私の重傷っぷりが面白かったんだろうか。かなり当然の結果だと思うのだが。
少しだけ不愉快だったのでわざと眉を寄せ、全くやる気のない動作でむくりと起き上がる。危なっかしいことをしている自覚はあったが、それでも意地を突き通すくらいの度胸はついていた。

「帰る前にちょっと訊いておきたいことが二、三あってな。いいか?」

彼は私の態度など全く気にしていない様子でそう言い、肩にかけていたライフルらしき銃を壁に立てかけてどこからか椅子を出した。二、三とか言いながら長話する気満々の態度である。

「・・・内容によりますが、どうぞ。」
「とりあえず嬢ちゃんの名前。」
「・・・その前に貴方の名前を知りたいです。」
「俺か?俺はトニー=ベッカー。」
「・・・です。」

答えつつ、まじまじとベッカーさんの姿を見る。ついでに「おいくつですか?」と訊いてみると、以外に高い32歳との答えが返ってきた。――兄貴より三つ上。兄貴も童顔だが年齢はけっこう行っているので、それよりは一つか二つ下だと思っていた。これが纏の威力だろうか。なんと凄まじい。

「で、嬢ちゃんがゾルディック家の連中と一緒に居る理由は?」
「・・・ひょんなことから居候の身になったからです。」
「ひょんなこと?」
「ひょんなこと。」
「なんだそりゃ。」

それ以外にどう抽象的に表現しろというのだ。事実を話したい相手ではないし、かといって嘘を吐きたい相手でもないのだから、このくらいがベストだろう。まだ知りたそうなベッカーさんを横目に、しれっと窓の外に目をやる。わりと階数があるのか、見えるのは空だけだ。

「・・・嬢ちゃんの生い立ちが知りたいとこだな。」
「えぇー、そういうの一般的な職場ではセクハラって言うんですよぉ。あと女の子には秘密がつきものなので解答を拒否します。」

と、窓を見たまま答える。多少ヒヤヒヤしたが、ベッカーさんは次の質問を考えているのか気にした様子は無い。大らかな人である。

「うーん・・・なら単刀直入に訊くが。」

そうそう、そういうのが一番良い。首だけ彼に向き直り、前見たのと違う場所が変に跳ねている金髪を見ていると、彼の目がすうっと鋭くなった。

「お前、何者だ?」
「・・・えー。」

答えたくない。正直な解答を態度で示してみても、今度ばかりは有無を言わせないという顔をされてしまった。――どうしたものか。まあ適当に誤魔化すべきだろう。それか、この前キルアに話したような程度のことを言うか。――後者だな。

「・・・出身はおかしなところですよ。位置的な意味で、ですけど。でもそれだけです。そこの普通の学生で、普通に生活してました。とりあえず“ひょんなこと”が起こる前までは。」
「・・・。」

彼は私の顔をじっと見て、真偽を見定めているようだった。少し怯みそうになったが、私は何一つ偽っていない。しゃんとしていると、彼はやがて諦めたように座った膝に肘をついて項垂れ、溜息を吐いた。

「そこの普通の基準ってズレてんのか?」
「いや、べつに・・・ズレてるのはむしろ皆さんの方だと私は思います。」
「まあ、そりゃあな・・・そうだが。」

うーん、と納得いかなそうに唸る彼からそっと目を逸らし、ドアをちらりと見る。――誰か来てくれないだろうか。この人がいるとおちおち寝てもいられない。さっさと回復してしまいたいのに。

「じゃあもっとハッキリ訊く。お前、イルミにかけられた念解くのに協力しただろ?」

・・・これは答えていいことだろうか?ゾルディック的に。念関係は何であれとりあえず慎重に、とはイルミさんの言葉である。考えているとベッカーさんはライフルに手をかけ、おもむろに周をして言った。

「割と真面目に訊いてるんだが。」
「真面目であればあるほど性質が悪いです。」

ばっさりと断言すれば、彼は眉を歪める。読み難かったあの表情は今や影もない。そんなに重要なことなんだろうか、と首を傾げたところで、彼は口を開いた。

「・・・・四か月前、イルミに念をかけたのは俺だ。通称は“眠り姫”、コイツである特定の部位を撃った人間の自由を奪う念。・・・覚えあるだろ?」
「・・・。」
「俺は放出系。証拠残したくねーからな、撃つのは念弾だけだ。本来は当たった瞬間爆発するようプログラムしてある。」

ライフルが壁から離れ、完全に彼の手に移る。――これは脅されているのか。ようやく理解して、頷く。彼は数秒私を見、獲物をそっと立てかけた。

「“眠らせた”人間を殺すことはできない。爆発しない上、“刃物で生贄を切り付ける”っつー解除条件があるからな。・・・お前、どこ切られた?」
「・・・左腕。」

今度は素直に答えると、彼はほんの少し表情を変えた。そしてまた私をじろりと見て、ゆっくりと話し出す。

「本来、生贄が死なずに済むのは額か心臓を切ったときだけだ。それ以外は爆発のプログラムが作動する。ちなみに爆発の規模は半径1メートル。爪先にでも当てなきゃ確実に死ぬ。」
「・・・で、どうして生きてるんだ?って、言いたいわけですか。」
「あぁ。」
「申し訳ありませんが、何も知りません。」
「手前のことだろ?」
「脅しても同じです。知りません。」
「・・・心当たりは?」
「ありますが。」
「じゃあ、それを答えろ。」
「・・・セクハラで訴えますよ。」

目を合わせずに溢して、しかし目を逸らしては危ないのだということを思い出す。視線だけ彼に戻すと、彼はなぜかまた表情を変えた。

「・・・お前、念能力者の知り合いいるか?ゾルディックの連中以外に。」
「ゾルディックにお世話になってはじめて念能力者に出会いました。」
「・・・念はいつ知った?」
「真面目に答えるなら六、七年前。」
「計算が合わねーじゃねえか。」
「事実です。使えるようになったのは四か月前ですから。」
「・・・じゃあ六年間、お前は何をしてたんだ?」
「ですから、普通に。」
「・・・辻褄が合わねぇ。」
「でも、事実です。」

念を押すように言えば、ベッカーさんは考え込むように眉間に皺を寄せる。私はそれに少しだけ息を吐いて、彼を避けてベッドを降りた。

「信じられないならどうぞ、お好きに解釈なさってください。」
「俺に都合がいいようにか?」
「どうぞ。端的にしか答えてないんだから、信じてくれなくって良いです。」
「詳しく答えてくれて構わねぇぞ。俺は秘密は守る。」
「・・・ちょっと言わせてもらいますけど。」

既に背後にいる彼を振り向き、それなりに距離があることを確認してから、そっと口を開いた。

「私の兄が言ってました。『脅しが怖くない奴は三下かいい奴か』、だそうです。ベッカーさんは消去法で後者ですよね。
あとこれは偏見ですが、放出系に極悪人はあんまりいないと思います。ちょっと凄んで質問されても作ってるのが見え見えですよ。演技としてはよくありませんね。相手にプレッシャーをかけたい時は心が完全に鬼にならないと駄目です。脅し文句を本気で実行するまでを流れるようにイメージできてそれを現実と混同できなければ成立しません。殺気を仕舞う技術は暗殺に必要かもしれませんが脅しには向かない。副業で恐喝をはじめるなら使い分けましょう。」

――とかなんとかごちゃごちゃ言うのは時間稼ぎと様子見である。(一応原稿は私のベッカーさん観察結果だが)私は喋りながらそれこそ流れるようなバック走でドアに到達し、引き戸の取っ手に手をかける。ベッカーさんは唖然、といった風にこちらを見ていたが、特にアクションを起こすような様子はない。まさか観察が的を射ていたのか、それとも意味不明なアナウンスを始めた私に驚いたのか。逃げられればどちらでもいいが。
右腕が持てるすべての筋力でドアをすぱーんと開け、またも流れるような回れ右で廊下に出る。

「じゃ、さよなら!」
「あ、おい!」

呼び止められてようが知ったことか。脅しは脅しかどうか判断に困るレベルだったし探りを入れられる意味が全くわからないが、とにかく彼の力量は間違いないのだ。その上「変なところから来ました」以上のことは言わないルールである。そこのところに執拗なツッコミが来るようなら逃げて当然だ。

待て!というベッカーさんの声に「追ってくるとかめはめ波撃つぞ!」と我ながらわけのわからない脅し文句を喚きながら廊下をよたよたと走っていくと、ちょうど角から来た人影と危うくベタな少女漫画展開にもつれ込みそうになった。よたよた避けてふらっと転んだのでロマンスは生まれなかったが、左半身が不自由なせいで受け身は取れそうもない。やばい、と思わず硬直すると、なぜかそこで落下が止まった。

「何してるの?」

ふいに頭上から降ってきた聞き慣れた声。どういうタイミングで手を伸ばしたらそうなるのか、きっちり右脇から背中を支えている腕。ふと視線を動かせば、よくわからない構造とデザインの服が見える。

「あ、イルミさん?」
「うん。・・・本当に元気みたいだね。」
「いや・・・本当は寝てたかったんですが、ちょっと邪魔が入ってといいますかセクハラといいますか」
「・・・セクハラ?」
「おいおい、誤解生むような説明はやめろって!」

結局追ってきたベッカーさん(かめはめ波撃つぞ)が若干慌てているのに少しほくそ笑みながら第二撃を送る。

「誤解じゃないです事実です。乙女の事情に土足で踏み込む行為は精神的セクハラであり絶対悪です。どうぞ世界的に大ブーイングを浴びて絶望のままに樹海で孤独死してください」
「散々だな・・・悪かった、すまん。他人に言えない事情なんだな?」
「最初から察してください・・・口の中血の味する」

と、口元を拭ってみれば、赤黒い血が掠れて残るではないか。完全に寝ようとしてた私を妨害して走らせたベッカーさんのせいである。おいコラ、と言わんばかりに睨む(無論誇張である。実際にはちらっと見ただけだ。)と、彼は狼狽えた。変な人だ。強いのは確かなのに、こういうので動揺するとは。やはり良い人なんだろうか。

「何の話?」
「あー、いえ。私の出身とか、念のこととか」
「ああ。」

イルミさんがすぐに納得したのを見てベッカーさんは少し腑に落ちないような顔をしたが、私が渾身のうらめしい視線を送ると苦笑して去っていった。さようならトニー=ベッカー、貴方のことは忘れない。土日の朝のアニメの最後にありそうな文句で見送りつつ口を拭っていると、イルミさんが私を覗き込んだ。

「・・・あ。すみませんイルミさん、何度も。」
「別にいいよ。あいつが困ってるの見れて面白かったし。」

そういえばこの人も彼のことはあまり好きでないようだった。ベッカーさんも悪い人ではないのに、ちょっと神経が太かったり念が面倒なばっかりに嫌われて、少し可哀想な気もするが、迷惑したのは事実なのでとりあえず怒っておこう。
イルミさんの手から離れて立つと、彼は確認するように私の頭に手を置いた。

「次の仕事とかキルの修行の予定とかあるから、そろそろ帰るよ。動けるなら自分で支度して、一時間後に正面玄関集合。」
「わかりました。」

頷くと彼の手は離れ、踵を返して去っていく。真っ直ぐな黒髪が相変わらず綺麗だ。

――ところで、私があのまま眠りこけていた場合、私はどう運ばれたのだろう。
少し想像して、ゾル家の人たちが誘拐犯扱いされなかったことに関してだけ、ベッカーさんに感謝しておいた。




written by ゆーこ