終始無言だった車内から這い出るように地面に立つと、そこには暗い林が広がっていた。

季節が季節なのですべての木が葉を茂らせているわけではないし、だいぶ暗くなってきたとはいえ、奥へ奥へと続く林のほんの二メートル先ですら危ういのは異常だ。時折吹く風はどことなく陰湿で変に絡みついて来る。頬や指先がじわじわと冷えて行くのを感じながら、私は少し顔を顰めた。――鳥の巣はこの奥にあるのだろう。

「(やっぱ変なの居そうだなぁ・・・)」

この雰囲気はただ怖いとか気持ち悪いとかいうレベルではない。今のところ目を凝らしても何も見えないしはっきりした敵意を感じるわけでもないが、見張りか門番が居ると見てまず間違いはないはずだ。たぶん警戒されている。

先に着いていた五人の暗殺者の方を見ると、ひときわ背の高い一人だけが私と同じく凝をしていた。そして隣の黒髪の男(確か真っ先に東側の出入り口担当になった人だ)に何か耳打ちし、二人でぼそぼそと話し出す。
他の三人は凝はしていない。それなりに警戒しているようだったが、難しい顔をしているだけのようにも見える。あれはどうなんだろう、とすぐそばにいるキルアを窺うと、彼もその三人を見ていた。

「・・・あいつら、駄目だね。全然警戒がなってない。」
「(やっぱりそうなんだ)どこら辺が?」
「全部。ガンつけりゃいいってもんじゃないし、そもそもあんな殺気出してちゃ暗殺の意味ねーじゃん。あいつらきっとソッコーで死ぬよ。」
「(即・・・)向こうの二人は?」
「んー・・・どうだろ?悪くないと思うけど、現状じゃ何とも言えないかな。」
「なるほど。」

やっぱりキルアはすごい。私が念を覚えてやっとわかることをさらっと見抜いてしまうのだ。これで10歳なのだから余計ありえない。
私が10歳の時なんてどんな馬鹿やっていたことか・・・たぶん台形の面積の求め方を暗記したとか通分が他の子より速くできるとか小数の掛け算が得意とかで調子に乗っていたはずだ。ゆとり教育の弊害である。

は?」
「はい?」
「どう思うの?あいつら。」
「えー・・・まあ、大体キルアと一緒。でも、奥の二人は結構いけるんじゃないかなぁ。」
「何で?」
「見られてるのには気がついてるっぽいし。」
「・・・え、見られてる?」
「(あれ?)えーっと、警戒されてる、のかな。・・・たぶん。・・・なんかすいません」

念のためもう一度林にじっと目を凝らし、吹いてくる風や奥の暗がりを静かに睨む。――うーん、どうだろう。たぶんそれほど致命的な間違いではないと思うんだけどな。嫌な感じは確かにしている。見られていないにしても、誰かが何かしらの警戒していることは確かなはずだ。少なくともただの林の雰囲気ではない。・・・と、思うのだが。

「・・・言われてみれば、やな感じだけど。」
「あ、よかった。やっぱりそう?」
「・・・そういやお前、気配とかわかるんだっけ。」
「まあ、うん。」

こういう状況になってみると、カルト君に喧嘩売られて本当によかったと思う。何だかんだ今の私の回避や防御のスキルはカルト君とのやりとりで培われたところがかなり大きい。神経は確実に太くなってきているというのに気配に敏感になれたのは、まさに彼のおかげなのだ。
――と、感謝の意でカルト君を見ていると、彼はふっとこちらを振り返った。うわあ見返り美人。なんでこの子女の子じゃないんだろう。ほんとは女の子だったとかそういう展開はないんだろうか。十分有り得ると思うのだが。

「・・・何?」
「帯曲ってるよ。直していい?」
「・・・。」

絶対違うでしょ、と言われそうな空気だが、帯のことは本当だ。私は体よく沈黙は肯定と見なしてカルト君の後ろにしゃがみ、上品な藤色の帯をぐいぐいと引っ張る。彼は少し不安げにしていたが、これでも日本人だ。基本的な着付けなら遠方に住んでいた祖父母の家で何度か教わったことがあるし、今朝の状態も覚えている。
車で背中を凭れたから崩れてしまったんだろう。引っ張って外に出した結び目を緩め、蝶結びの翅の部分を調節しつつ締め直してまた結び目を隠す。それから気になる歪みを直して細かい塵を丁寧に落とすと、確かに今朝見たのと同じ様子になった。「できたよ」と声をかけて肩をとんと叩くと、しばらく間をおいてから小さく「ありがと」と返ってきた。かわいい。

「・・・お前、普段ジャージのくせに」

尤もな反応である。が、曲りなりにも女の子であることをアピールすべく「私だってジャポンの一般家庭にならきっと嫁げるんだかんな!」の「私」を言い終わったところで、車が二台到着した。――随分遅かったようだが、何かあったんだろうか。アピールもそこそこに立ちあがると、ちょうど降りてきたイルミさんと目が合う。・・・なんだろう。何か意図がある視線のような気がするような気がしなくもないが、相変わらずの無表情のため全くわからないので首を捻っておいた。――ちなみに、相手がふつうの人であれば即逸らしているところだ。こういう人達が相手の場合、目を逸らした方が危ないことはカルト君に奇襲をかけられたことで身をもって学習している。まさに一瞬が命取りなのだ。
そんな気持ちでしばらくじっと様子を窺っていると、イルミさんは無言で私の後ろを示した。よくわからないがとりあえず従って踵を返す。するとちょうど髭ハムの声が聞こえてきた。

「全員揃った様だな。」

心成しトーンが低い。彼も緊張しているのだろうか。――しかし、肝心の声の主の姿は見えない。どこかと思って視線で探すと、私から見て一番右手の端、一台目の車の中から今まさに出てきたという様子で立っていた。ここから優に10メートルは離れた場所だ。あそこからでは小声で話されたら聞こえないかもしれない。後ろの人たちが近くへ寄る様子だったので私もならって移動しようとしたが、どの道何もしないんだよな、と考えるとあの威圧感の中に紛れ込む必要性は感じなかったし、キルアとカルト君は動かないようだから、私も動かず残ることにした。

そしてまた無言で待っていると、あらかたの話が終わったと見えるタイミングでゼノさんがちらりとこちらに視線をやり、簡単な動作で私を手招いた。駆け寄って用件を聞くと彼は小さく耳打ちしてくる。

「外にも何人かおる。ただじゃ侵入できんかもしれんが、遅れんようにしとけ。」
「(おお、当たってた)はい。」

――じゃあ早速誰かしらの血は流れるのだろうか。
なんとなく考えたが、具体的に浮かんでくるのは去年の大晦日に兄貴夫婦と母さんと私の四人で年越し蕎麦を啜りながら観たB級ホラー映画の一場面くらいなものだ。ちなみに、映画のチョイスは兄貴、そして兄貴と致命的なほど趣味が一致する義姉さんで、それを母さんが「まあいいか」と軽く了承してしまったため、少数派の私は大人しくグロスプラッタの応酬から目を背けつつちびちび蕎麦を咀嚼する羽目になった。何だかんだ家族の大半が悪趣味か無頓着な我が家では、ただの少年漫画大好き症患者である私の肩身は案外狭い。

こうして向こうのことを考えると、自然と姿勢が整う。見える限り纏は乱れていないし、気分も安定している。念も燃も、かなり駆け足で覚えた割にはちゃんと身になっているようだ。これがまともに使えれば文句ないのだが――いや、考えないことにしよう。今回私がするのは見学。こういう雰囲気を知ることができれば十分なのだ。



数分歩いたが、まだ特に林の入り口と変わった感じはしないので比較的ぼんやりと構えていると、いつの間にか横に居たイルミさんが腰を屈めて私を覗き込んできた。あまり見る動作ではないので少し気になって「何かありましたか」と訊ねると、彼はちらりと前方を見てから口を開く。つられて見ると、そこにはあの人がいた。またこの人絡みなんだろうか、と思ったが、どうやら違うらしい。

は祖父ちゃんの方に着いてって。静かに動くから、足音気を付けてね。」

イルミさんは私のすぐ前にいるゼノさんを視線で指し、それから足元を指差してそう言った。一般人になんという無茶振りをかますんだこの人は。しかしここで文句を言っても仕方がないし怖いので、まごつきながら頷いておく。

「・・・わかりました(いくら気を付けても音するんだけどな普通の人間は)」
「いつも廊下歩くくらいでいいから。」
「あ、はい」

また顔に出ていたんだろう。この期に及んで危機感のない顔である。落ち着いているとは言っても一応多少はビビっているのだが――

「――来た。」
「え?」

瞬間、確かに殺気を感じた。咄嗟にオーラを練って防御の体勢になると(正確にはなろうとしたところで)イルミさんの腕が唐突に空を切る。私の頭の上すれすれで。

「・・・・。」
「・・・仕留めたかな?」

そう呟きながら彼は私をちらりと見て、じゃ、と短く挨拶するとさっさと前に行ってしまった。私はしばらくぽかんとしていたが、はっとして前を向く。――う、うわあ。

「(全っ然、頭付いてかない・・・)」

唖然、だ。わかってはいたが、レベルが、次元が違いすぎる。何をしたかわからないというより、何が起きているかわからないと言った方が近い。キルアがG.Iで言っていた、「ほっぺたがジンジンするまで何されたかもわかんなかった」というのもこの感覚なのだろう。事実、実際に彼の一連の動作を理解したのは唖然としてからである。それから覚えている限りの映像に音声を付け足して脳内で再生し直したと言っても過言ではない。

流石に混乱していると、すぐ前方で団体が分かれた。私はそちらには特に気を向けず、ゼノさんの背中を見失わないようやや歩調を速め、言われた通り足音にも気を配っておく。
そうして再びゾルディック家だらけになった団体は、私を除き非常に静かだ。なんとか足手まといにならないようにだけしなければ。とりあえず気配は絶つことにして、先導の背後に隠れるようにそろそろと歩いた。





なるべく落ち葉や小さな枝を踏まないよう、かといってあまり蛇行もしないように。前方と下方に過剰なほどの注意を割きつつ一歩一歩進んでいくと、鳥の巣は突然現れた。

全体としては非常に味気ない印象を受ける。外装はコンクリートかモルタルに無難な装飾を施したと言った風で、ここからでは奥行きは見えないが、見取り図の縦横比から推測するに学校の体育館程度の大きさだろう。同じく見取り図によれば、最上階の一部分の窓が大きいのはそこがホールになっているからだ。
髭ハムの予想では、そこに現在特に有力なリーダー格がおり、逆に一階の東西に二本・南北に二本走る廊下の左右にずらりと並んだ小さな部屋は物置や下っ端の自室になっているそうだ。二階から上も似たような構造だが部屋はもっと少なく、上に行くにつれ念能力者の質も上がって行くと髭ハムは予測している。優先順位と高さが比例しているのだろう。廊下のいたるところには監視カメラが、重要な動線には防火扉並みのシャッターが設置されているため、下階層で危険を察知すれば上階層の人間は逃げおおせることができる、ということらしい。
しかし、シャッターの強度はどう高く見積もっても装甲車程度であり、説明中にゼノさんがぽつりとこぼしたお言葉によれば、そんなもん突き破るのは軽いわ、だそうだ。わけがわからない。
まあとにかく、裏の方々のアジトとしてはおあつらえ向きだが、こちらからすれば追い詰めやすい構造である、ということだ。
ちなみにこの建物はもともと髭ハムの組がアジトとして所有していたもので、不死鳥が独立する際に奪われたらしい。

――不死鳥も、戦闘専門なんて銘打たれていたんだからもっと暴れるスペースの多い建物を奪えばよかったのに。ホテル並みの部屋数があって得することと言えば、収容人数が増えることとリッチな気分を味わえることくらいじゃないだろうか。
それに、わざわざ一番弱い部類の人間をクッションにするより、一番とは言わなくとも強い部類の人間が守った方が話が速いような気がする。門番か見張り役がその役割を担っているのだとすれば納得できるのでそれほど引っかかってはいなかったが、あの男がそこまで強いとは思えないので、やはり少し疑問だ。

前方を観察しながら、そっと身を屈める。ゾルディック家一行が突入することになっている正面入り口にはいかにも念使いですというような奇妙な風体の男が一人立っていたが、こちらにはまるで気づいていないようだ。
――どうやら完全に気を抜いているらしい。それでも纏は普段の私よりきれいだが、なんとなく密度が薄く、背後からそっとパイプ椅子でぶん殴るだけでもなんとかなるんじゃないか、といった風だ。いや、確証はないが、そのくらいのレベルに見える。
どの道今気づいていないのならあの男はもう死んだも同然だ。キルアとカルト君は完全に気配を絶てるわけではない。加えてイルミさんのあの仕事の速さ。ここからだって十分、できる。

が、私が油断していいわけではない。改めて気を引き締め、茂みに混じるように気配を殺し、正面口の封鎖担当の暗殺者(キルア曰くソッコー死ぬ奴、その一だ)がさっと出ていくのを見送る。と同時にゼノさんに背を押された。
――と、理解した時にはもう、何か大きなものが地面に落ちるのを背後に聞いていた。
あれ?と首を傾げると地面に足がつき、ゼノさんが離れていく。振り向くと、今さっきまで私が潜んでいたはずの茂みは遥か後方だ。速い、というか、何だこれ。次元が違うにも程があるぞ。

「ふむ・・・案外すんなり入れたのォ」
「外にもう少し居れば、建物内で追いかけ回さなくて済んだんだがな。」
「まあ、仕方あるまい。」

そんな会話を耳に、怖いもの見たさでちらりと出入り口付近に視線を落とす。――ここから見る限り、見張りの男に外傷はない。うつ伏せているため顔は見えず、まだ肌の色も正常なままなので、あまり死体らしくはなかった。それでも怖くないと言えば嘘になるが、囚われるほどの恐怖ではない。
踵を返してゼノさん達を追おうと前を向くと、彼らは丁度東西に伸びる廊下に出たところだった。ゼノさんはその丁字路でしばらく様子を窺うように左右を見比べていたが、やがて振り向いてシルバさんに目配せした。ゼノさんとマハさんとキキョウさんとカルト君は西を、シルバさんとイルミさんとキルアは東を担当するようだ。一瞬「うわあ西かよ」と思ったが無論我儘を言える身分ではないので、大人しくゼノさんの背中を追い続ける。――段々嫌な感じがしてきた。全体的にピリピリしている。
たぶん、ハンター試験会場もこれに近い雰囲気があるのだろう。そんな中でマラソンやら飛び降り自殺未遂やらを乗り越えていくわけだから、やはりハンターへの道は甘いものではない。図太くなったと言っても流石にそんなイカレていると言った方が近いレベルに太いわけはない。

「(じゃあ今回で太くしていかないとだな。)」

まさかお仕事に同行できるのはこれっきりだろう。二度目があるとすればそれはゾル家の職務怠慢であると私は主張する。なぜなら私は役に立たないからだ。その上きっと放っておかれたら普通に死ぬ。その私を一度ならず二度までも同行させることは、まさに戦にでかいクマのぬいぐるみを背負っていくようなものである。上官に怒られても私のせいじゃないんだからな。

と、思考を逸らして図らずもリラックスしつつあったところで、ゼノさんは団体を離れた。どうやら階数ごとにも割り振っていたらしい。表面の滑らかなコンクリートの階段を上って階上へと向かいながら廊下を進んでいくカルト君達を見送って、ふっとゼノさんを確認すると、ちょうどこちらを振り向いていた彼と目が合った。彼は何やらじっと私の顔を見て、茶化すように言った。

「何じゃ、元気がないな。」
「いや、そりゃあ、これだけピリピリしてればげんなりもしますって。」
「そうか?キツイのはこれからじゃが。」
「・・・ですよねー。」

上の方が凄いのいるんだし、と言うことはもちろん戦闘になるわけだし、そうなったらあの見張りのように静かには済ませられないだろう。数年後に起こるだろう某ダンチョーさんと彼らの闘いをアニメ版で脳内に放映し始めたところで、ゼノさんが実に滑らかな動作で階段から一番近い部屋に入る。この人に躊躇いとかそういうものはないんだろう。

「なっ、なんだテメェら、どこから――」

肝心なところは見逃したが、耳は一応追いついて聞き取った。――一切の躊躇もなしにドアを開ける静かな音、ゼノさんが腕を振り上げる時の小さな衣擦れ、男の言葉、そして彼がどさりと床に倒れる音。それだけだったのに、床に崩れ落ちた彼からは既にオーラが消えて置物のようになっていた。レベル云々はもう語るまい。

次の部屋も同じように大胆に侵入しては瞬殺、また次の部屋も同じく瞬殺――と確実に死体が積み上がって行く。私は完全にオマケだ。いやオマケどころか脱酸素剤程度の存在感である。間違って食われませんように、と変な方向に思考を逸らしつつあったところで、またゼノさんが振り向く。私はそれに無言で視線を向けた。

「・・・」
「どうした、怖くなったか?」

いえ脱酸素剤のことでちょっと。と言うべきでないのはわかっていたし、怖いというのもあながち間違いではなかったのでどうしたものかと黙り込んでいると、意地悪そうな顔でゼノさんが笑う。私はとりあえず「いやあ」と曖昧に返事をし、また倒れて動かなくなった男を見下ろした。――立ち上っていたオーラが狼煙のように揺らぎながら、溶けるように空中に消えていく。

「・・・あっけないもんですね。」
「もっと派手に殺ってほしかったか?」
「いや・・・・ゼノさん私を何だと思ってるんですか。ふ」
「それほど苦手ではなさそうだ、とはずっと思っとったわい。」
「、・・・。」

普通の女の子ですよ!と続けようとしたところに割って入られたので、私の口は変な形で宙を彷徨う羽目になった。それを無理矢理閉じて首を傾げると、彼はまた次の部屋のドアを開けてまた瞬殺した。早業もここまで来ると芸術だ。今日の標語は生涯現役らしいが、その調子なら死んでも現役でいけると思う。

「お前、想像力ないじゃろ。」

ドアを閉めて、次の部屋へと歩を進めながらゼノさんは独り言のように呟いた。問われたのかどうか一瞬わからなかったが、ぽかんとしていると彼が一瞬立ち止まってこちらを見たので、慌てて答えた。

「ええと、まあ、ある種の想像なら逞しいですが、基本的にはそのような感じかと。」
「ふむ。考えなしに突っ込んで身を滅ぼすタイプじゃの。」
「(うっ)」

まさにそれだ。これまでに水を差してきた喧嘩等々が思い出される。回想に引きずり込まれてまた現実から離れかけたところで、ゼノさんはやれやれとでもいう風に歩きだした。慌てて回想を振りきって追いかけると、彼はまた次のドアを開ける。
すると、今度の部屋の住人は勘が良かったのか、素早くナイフで攻撃を仕掛けてきた。私の居る場所は安全だったが、反射的に後ずさって身構える。――しかしそんな反応が馬鹿らしいと思えるほどあっさりと、この人も倒れ込んだ。

「流石に多いのォ・・・一度にかかって来てくれれば楽なんじゃがな。」
「ご意見には同意しますが、それは多分私の逃げ場がなくなるパターンかと。」
「馬鹿言え、この階は一人残らず下っ端じゃ。全員束になってもキルアの方が強いわい。」
「えっキルア強っ!」
「そういうわけじゃ、引き寄せるぞ。飛び道具が出たら堅でなんとかせい。」
「がんばっても30秒もたないですよ・・・」
「それだけあれば釣りがくる。」
「(うわあ・・・)」

色々通り越して呆れる。やっぱりこの人達は人間じゃない。仮に人間だとしても人間という名のゾルディックなのだ。仕方ない、とオーラを練るタイミングを計り始めると、ゼノさんが次の部屋の扉を開けた。そして今度は押し入り、殺さずに部屋の主を締め上げる。私はそれがギリギリ見える位置でじっと周囲に注意を払った。――ゼノさんの手に力が入る。部屋の主の男は取り乱したようにじたばたとし、右手を振り被った。――が、その手は虚しく地面に転がる。

「う、うわぁぁあああ!!」

半紙にインクを垂らしたように滲み広がる血を眺め、私はふっと考えた。

――そう言えば、父さんの死因はなんだったんだろう。

彼がこの世を去った時、私はまだ四歳になる前だった。そんな昔のことをはっきりと覚えているわけもなく、またその後彼の死について言及する人は誰もいなかったので、正しい答を私は知らない。ただ、刑事的な要素は何も記憶にないので、恐らく事故死か病死だろうとあたりを付けて一人で納得していたのだ。どの道居ない人は居ない。

左右から現れた男たちを視界の隅に、ゼノさんがゆっくりと部屋を出るのをぼんやりと眺める。それからふと目だけ動かすと、既に視界から障害物は消えていた。しかし十秒もすれば援軍がやってくる。それをゼノさんはさくさくと沈め、私にどこかの部屋に隠れるよう指示すると西の端の方に進んで行った。東もざわつき始めていたが、長い銀髪をちらっと確認したのでまず問題は無い。私は大人しくゼノさんの指示に従うことにした。

「・・・。」

とりあえず、一番近かった(腕のない死体が転がった)部屋に引っ込んで絶をし、シーツも毛布もぐちゃぐちゃのベッドに腰掛ける。血のにおいが充満していたが、どちらかというと精神状態の方が問題だった。

――怖い、のはある。動揺はそんなにしないけど、ビビってもいる。ただそれも深刻なほどではない。現にこの部屋にいてあの死体を直視しても、怖い、惨い、以上の感想は持たない。吐き気も実際吐くほどではない。初めてこういう現場に出くわしたにしては、至って平常。点の賜物だ。

――でも、ならなんで。
心臓がバクバク言っている。抑えつけようと手をやったが、イルミさんから受け取った通信機が邪魔でうまくいかない。
代わりにスカートのポケットからリモコンを取り出して、もう一度電源を入れてみた。ブン、と痺れるような音がするが、すぐに音沙汰なくなる。――システムがうまく作動すれば、ここで『使用できるチャンネルは“0”です』『チャンネルを新規作成しますか?』と音声案内が入るはずだ。それすらないからチャンネルも作れない。――なんでだろう。

「・・・ううぅぅ」

呻きながら眉間に皺を寄せて、目を閉じ、思い切り開いて、じっと目頭の痛みをやり過ごす。――こんなところで泣きそうになってどうする。誰もいないけど、だからって今は泣いていい状況じゃない。泣くほどの状況でもない。
自分に言い聞かせながら、さっきからちらちらと浮かぶ父の遺影やぼんやりと記憶に残る、柄にもなく憔悴しきった母の姿を必死で振り払う。――だから、私はその二の舞をしないために強くならなければならないのであって、泣いている場合ではないのだ。

リモコンを握ったまま袖で顔を拭って、乱暴に立ち上がる。――駄目だ、じっとしてたら余計に変な方向に落ちる。やっぱりゼノさんの傍に居させてもらおう。私一人じゃどうなるかわかったもんじゃない。

絶のままでドアの前に立ち、じっと気配を窺う。――たぶん誰もいない。遠くで戦ってるらしい音がするけど、音の感じからして端に近い場所なのだろう。じっと聞き取り続けると、東側の音がぱたりと止んだ。その後数十秒して上の階から地響きに近い大きな音が伝って来る。目の前のドアもカタカタと揺れ、そして止まり、その時には西で続いていた小さな音も止んでいて、代わりに二度目の地響きが起こった。――今なら出て行っても大丈夫だろう。シルバさんとゼノさんが上に向かったようだから、不死鳥の人たちも彼らを向かい討つので精一杯になるはずだ。下の様子はわからないが、二階の人間が束になってもキルアより弱いのであれば、一階の人間はカルト君達三人で十二分に始末できる力量のはずだ。安全と高をくくるまではいかないものの、絶対に危険というわけではないし、人が減った分逃げ場もある。いざとなったら西側の出入り口に逃げると言う手も残っている。あの男にはあまり近づきたくないが、実力があることは確かなのだ。

そうして考え得るほぼすべての逃げ道をシュミレートし終わるところで、突然電子音が鳴り響いた。集中していたので大袈裟にびくついてしまったが、すぐに通信機だと気づいて左胸のポケットから取り出し、イヤホン部分を引っ張って右耳に当て、ボタンを押す。

「はい」
『――無事だったか。今どこにいる?』

シルバさんの渋い声が耳もとで聞こえるという状況によってある意味無事じゃなくなってますがね。とは心の中で呟いて、質問にだけ簡潔に答えておく。

「二階の、西寄りの階段の近くです。」
『そうか。下の敵は粗方片付いてるから、一旦降りてキルア達と合流してろ。上には来るな。』
「わかりました。」

つい会釈して、通信が切れたのを聞いてからこちらも切る。そして一息つき、絶を解いて纏をするとさっさとドアを開けて階段を駆け降りた。目的地が指定されているならいちいち思考を巡らせる必要は無い。ちゃきちゃき向かえばいいのだ。

半ば自棄のような潔さでずんずんと階下に降り、左右を確認する。――廊下は東西に伸びるものが二本、南北も二本。この階段はちょうど西側を南北に横切る廊下のそばにある。敵がだいたい片付いているなら尚のこと、ゾル家の人たちがわざわざ姿を隠すとも思えないので、この廊下をちょっと行き来すればすぐに見つけられるだろう。そう踏んで、まずは一番南側を東西に横切る廊下で左右を確認する。
――と、すぐに見つかった。黒地に白や紅色の毬模様の着物に藤色の帯。カルト君だ。

「あ、カルトくー・・・ん?」

それほど大きくない声で呼び、首を捻る。――何か様子が変だ。はっとして目を凝らすと、彼がじっと見ている廊下の先、私からは死角になっている、東側を南北に横切る廊下の方にちらちらとオーラが見えた。――敵だ。それも、念使いの。

私が一瞬思考停止した瞬間、オーラの持ち主は死角からぬっと姿を現した。――シルバさん以上の大男。堅肥りで熊のような体型をしており、それ自体から恐ろしさは感じなかったが、その巨躯を覆うオーラは冗談でなく物々しい。カルト君が目に見えて動揺する。

気付いた時にはナイフを抜いて、走り出していた。――ああ、これだよこれ、“考えなしに突っ込んで身を滅ぼす。”






  ごめんなさい兄貴、顔縫うどころじゃ済まないかもしれない。







written by ゆーこ