――という台詞を言おうと思ってキルアの部屋に向かうべく階段を上っていたのだが、珍しくセンサーが作動したので計画は中途で潰えた。センサーと言うのは何のことない単なる纏のことだが、これに引っかかるほど露骨な殺気やらを飛ばしてくる人を私はカルト君以外に知らない。なんだ。また喧嘩か。喧嘩なのか。
ナイフ置いて来なければよかったなあ。いや、どちらにしろ何もできないか。それでも一応少し身構えて壁から離れる。こういう時はついつい壁に張り付きたくなるものだが、そうすると天国以外に逃げ場がなくなるので皆さんも注意しましょう。
「・・・」
じっと息をひそめ、やはり近づいてくるらしい嫌な気配に耐える。――あれ、カルト君こんな怖かったっけ?しばらく平和ボケしてたから忘れてるだけかな――
口元に手をやって考えるような動作をしようとしたところで腹部に妙な圧力を感じ、ふっと足が浮いた。かと思うと私の視界はぐるりと反転して、はっとした時にはもう頭の上に階段がある。そしてコツコツと音を立てながら景色が流れ始めた。ばんざいの形で重力に従った指先が時々床につく。・・・えっ、あれっ?
「ほほほ!急にごめんなさいね。ちょっと一緒に来てもらえるかしら。」
こ、これは、カルト君じゃない!混乱しながらもがんばってかつての足元だった場所を見上げると、見たことあるようなタイプのきれいなドレスが裾だけひらひらとゆれている。豪速で。
「(・・・もらえるかしら、っていうか、これは最早)」
誘拐ですよね。選択の余地なんて元々存在しないですよね。怖いんですけどどうにかなりませんかね。
キキョウさんがこれで意外と穏健派なのはわかっているのだが、やっぱり先入観があるので変な汗かきそうだ。もしかしたらチョメチョメされるかもしれないグロ的な意味で、とかなんとか余計なことを考えて勝手にびくびくしながら、それほど力があるとは思えない細さの腕に、干された布団のような格好でぶら下がり続ける。この体勢実は相当苦しいのだが、それ以上にキキョウさんが怖い。・・・なんだか頭まで痛くなってきた。当然ながら血が上ってきたようだ。
「(早く下ろしてくれないかなぁー)」
わざとらしく暢気な台詞を浮かべてみてもあまり効果はない。血の逆流を助長する小刻みな心臓の音に不安になりながら、私はやっぱりぶらさがったまま、キキョウさんが立ち止まるのを大人しく待つことにした。
――まあ、とは言ってもこの豪速である。私が諦めてから数秒でドレスの裾は停止し、キキョウさんの細腕は私の一向に割れない腹から離れて行った。彼女とは割と身長差があるが、腕の高さであればいきなり放されても床にダイブすることはない・・・はずだったが、結構近い状態になってしまった。懺悔というか挫折というか、orzと言うととても的確だ。
ちょっとだけ痛いお腹に手をやりながら顔を上げてみると、キキョウさんが何やら暗い部屋の扉を開けていた。どこかで嗅いだにおいがする。
「こっちへいらっしゃい、ちゃん。」
「(ちゃん!?)は、はい・・・?」
何か妙な言葉を聞いたような。なんだ“ちゃん”って。
――どうしよう嫌な予感がする。逃げたい。逃げてみようかな。無理に決まってるよな。
かなり序盤で怖い思いをしてからせっせとフラグ回避し続けてはや四カ月、ついに私の努力は水の泡と化してしまうのだろうか。いや、きっと残念な結果に終って諦めてくれるさ。ただその場合逆上されてパーンというオチも用意されているのに違いないのである。どうしよう誰か助けてください。
完全な逃げ腰ながら表面上はどうにか大人しく繕ってその部屋に入ると、すぐににおいの正体がわかった。防虫剤だ。タンスに●ンのにおいなのだ。どうしよう本格的にあのフラグだ。
「今度のお仕事に着いて来てもらうことになったのは、イルミから聞きましたね?」
「はい」
高い声は少しくぐもっている。それにあの重たそうな機械の光も見えないので、彼女は今別の方向を向いているらしい。暗がりでそれだけ確認していると、今までまごついたように変な角度に開いていた扉がゆっくり閉まって、かわりに部屋の明かりが点いた。なんだかいやに薄暗いが、壁一面、むしろ両脇に迫るほどに収納された服を見て納得した。これでは暗くもなる。
「う、わぁ」
頭では状況を分析しつつも、口からは気の抜けたような感嘆詞が出て行った。ビビりすぎて口が開かなかったので余計発音がおかしい。キキョウさんはこちらを見て微笑み、そのまま奥へ手招く。私は一瞬たじろいだが、コンマ三秒ほどでええいもうどうにでもなりやがれと思考を放棄して従った。
「ちゃん、随分キルのお洋服を気に入っているようだけど、せっかく女の子に生まれたんですからお出掛けの時くらいおめかししなくちゃ、勿体ないわよ。」
そんなことないですなんて言えない。ここで逆らえる人がいるなら是非お友達になりたいところだ。
「・・・そう、ですね」
苦しい返事をして、私はちらりと横を見た。なんかものすごくふんだんにフリルとレースをあしらったゴスロリがずらっと並んでいる。
「(・・・帰りたい。)」
厚手のジャージがどこからか現れたメイドさんにずるずる剥かれていくのを諦めの視線の横にとらえながら、久し振りに切実に思った。
――そして着せ替え人形の気持ちを味わうこと一時間弱、随分と手の込んだ変身はようやく完了した。アニメの変身シーンも危なっかしいが、こんなにしっかり変身してたら死ぬどころか塵になるだろう。流石の私も塵になってまで変身したくはない。だからキキョウさんもう勘弁してください。私ジャージでいいです。それが目障りならスーツとかがいいです。せめてふつうのフォーマルか、百歩譲っても着物にしてください。前者は慣れてるし、後者は民族衣装なのでこの二つなら全く問題は無いんです。なんですか、このフリフリひらひらのドレス。美術の教科書にこんな服着た人載ってたんですけど、これは時代錯誤と見てまず間違いはないんじゃないでしょうか。腐っても殺しの現場に着ていく服ではないと思うんです。赤いけど。
「あら、まあまあまあ!」
「お似合いです、様」
・・・そういえば色々と語弊があった気がするので、現実逃避がてらここで説明しなおしておくことにしよう。
先に言ったように、私は何も「ジャージとか男物じゃなきゃ嫌!」というわけではない。例の隠し芸の延長でもあるので、コスプレの類は基本的に好物である。できれば女性キャラより男性キャラがいい、というところはあるものの、それはただ単に男性キャラの方が技がかっこいいとかかっこつけーなポーズが似合うとかいう理由であって、女性衣装自体が嫌というわけでは決してない。
ではなぜキキョウさんチョイスのお洋服を拒みたいのか、というと、単に私の中に彼女が好きそうな種類の衣装に合うキャラクターの引き出しが皆無だからである。私はどちらかと言わずとも図太い庶民であり、繊細でハイソサエティな空気は全く持ち合わせていない。言わずともお分かり頂けるであろう。
というか、そもそもしょうゆ顔にこういうフリフリひらひらは地雷な気がする。今「お似合いです」とか言われちゃったのは、お世辞か、お世辞で無いにしても決して着る人間が私だからではない。化粧がいいからだ。
なんだか叩かれそうにない雰囲気の中、目の前の鏡に写る誰だかわからないチビをじいっと見つめる。――化粧だけならまだしも、カラコンまで入れやがっ、いや、入れられてしまった。どっかで見たことあるようなアイスブルーなところに何か意図を感じる。だいぶ増量した睫毛とフェイスパウダーで誤魔化した鼻筋とうまいこと乗ったアイシャドウのせいでもはや何人かもわからない。そうか、私は化粧さえ覚えればコスプレもいけたのか。不器用なので無理だろうが。
この睫毛どうやってついてるんだろう、と手渡された手鏡とにらめっこしていると、ふいにキキョウさんに彼女の方を見るよう言われた。鏡をメイドさんに返して、また素直に従う。口元はキルアがらみでなければ大抵笑んでいるので表情の読みようはないが、オーラを見る限り機嫌は悪くないように思われる。まあ、そうだろう。成果は微妙でも鍛えているのだから身体のバランスは以前よりは随分よくなったと思うし、二か月ほど引きこもったお陰で半端に焼けた肌も白くなった。丸太のようなウエストも今はコルセットで締めてあるし、その上化粧がうまくいっているのだから、足りないものは身長と胸の何かと品格くらいなものである。だいぶ大切な要素が抜けているのは気のせいではない。
「カルトちゃんも似合うけれど、こういうのはやっぱりちゃんの方が大人っぽくてしっくりくるわ!」
「(まあ一応倍生きてるからな)ありがとうございます・・・」
「ふふ、懐かしいわ・・・そのドレス、もとは私がゾルディックに嫁入りしたあと、あの人がはじめて買ってくれたものなのよ。」
私は耳を疑った。あの人、と言うからには、彼女の夫であるシルバさんのことだろうが、――あのシルバさんが、ドレス?・・・駄目だ想像できない。実はマイホームパパという妄想はしたが、私の中ではやはりネコ科のいかついダンディーなおじさまというイメージで占められている。
「良いものだから女の子が生まれたらその子にも着せようと思ったんですけれど、そうはいかなかったから、カルトちゃんに合わせて手直ししてもらったの。」
でも少し早かったのよね、とキキョウさんは笑う。カルト君にサイズを合わせたのはいいのだが、童顔な彼が着るにはそのデザインは少しちぐはぐで、あまりはまらなかったのだそうだ。
「貴女はお化粧でどうとでもなりそうだから、もしかしたら似合うんじゃないかしらと思ってたのよ。予想通りで嬉しいわ!」
キキョウさんは(普段からしたら)はしゃいだ様子で手を合わせ、改めて私を一周回らせたり、ハーフウィッグで伸ばした髪を触ったりした。私はされるがままにお人形になりながら、ぽつぽつと考える。――なるほど、化粧乗り云々というのはこの伏線だったのか。
となると、もしかするとそもそもの目的はこのドレスを着せてみることで、明後日の服を選ぶと言うのは口実なんじゃないだろうか。回りくどくする必要はなかったような気もするが、今の彼女の様子を見るとそういう風に思えてくる。――それで、あわよくばこのままその口実を忘れてくれたりとか・・・
「そう、明後日のお洋服を選ぶんだったわよね!」
・・・しなかったか。 待っててちょうだい、良さそうなものがあったわ、と言う甲高い声が衣装の陰に消えるのを耳に、私はひとつ息を吐いて苦笑した。
「(まあ、いいか。)」
