コンコン、とノックの音が聞こえたので、私は反射的に「どうぞ」と返事をした。ちょうど両手が抱えた衣類で塞がっていたがとりあえずベッドに置き、ドアの方を振り返る。出迎えはきちんと。誰に言われたか覚えていないくらい刷り込まれた礼義ともいえない礼儀だが、良いことだと思うので素直にドアが開くのをしゃんとした姿勢で待つ。
それからしばらく間があって、やがてやや躊躇した風にキルアが顔を出した。――そういえば、ここのところ彼から逃げたり彼が仕事でいなかったりして、きちんと会うのはしばらくぶりだ。と言っても例の事件もあってばつが悪かっただけで、別に会いたくなかったわけではない。喜んで手を振ると、彼は心成し安心した様子で部屋に入ってきた。そしてすぐにベッドの上に山積みされた服と私の足元の段ボール箱に目を留め、訝しげに首を傾げる。

「・・・何してんの?」
「ん?夜逃げの準備。」
「・・・・真っ昼間に?」
「じゃあ昼逃げだ。」
「・・・・」

閉口したキルアを横目に、ほいほいと荷物を段ボールに詰めていく。どうせすぐに出すので適当だが、借りパクしたものばかりなので適度に適当に、だ。一応男子が傍に居るわけだが、下着なんかも気にせずごちゃごちゃと詰めていると、キルアがまた口を開いた。

「で、何してんの?」
「お引っ越し。」
「・・・。」

うーん、事実を答えただけなんだけど。

まあ、ここに至るまでには何かしら色々とあったわけだが、そのあたりをかいつまんで説明するとこうだ。

まず第一に、今私が使っている部屋はそもそもアルカ君のものである。家具は別のものだが、やはり他人の部屋なのだ。誰かのテリトリーを当人に許可を得ず荒らすのは私の美学に反する。
それに、私がここに当然のように居座っていたら、またカルト君に凶器を投げられる気がする。かといって「どうもすみませんお邪魔してます」オーラを振りまくのもどうかと思うし、そうなるともう、引っ越ししか選択肢が残されていなかったのである。

そして第二に、よくよく考えれば私にはそもそも使うべき部屋があった。修行場である。
普段生活する部屋として機能する空き部屋は確かにアルカ君の部屋だけらしいが、修行場も別にライフラインから外されているとか、水回りが壊滅的に遠いというわけではない。玄関に関してはもと借りていた部屋より遥かに近いくらいだ。最近庭に出ることが多いから、尚更都合が良かった。

そういうわけで引っ越したいんですが、とイルミさん経由で家人に相談したところ、そういえばそうだな、と難なくOKを頂き、現在に至って絶賛引っ越し準備中、というわけである。

「――ね。わかってもらえたかなキルア君?」
がめんどくさい奴だってことはわかった。」
「え、どこがよ。我ながらすごくクリーンな選択したと思うんだけど。」
「カルトに喧嘩で勝ちたいとか言ってた奴が、なんでカルト気にして部屋変えるんだよ。」
「あのだねキルア君、悪いけど私に闘争本能はありません。あるのは少年心とねちっこさだけです。」
「余計めんどくせーよ!」
「そして諦めるのがやや早いです。」
「・・・ねちっこいと諦めが早いって真逆じゃん」
はそういう生物です。」
「めんどくさい」

まあそうなるわな。うんうんと頷いて最後の一着を詰めると、段ボールは丁度一杯になった。留める必要はないので蓋だけ閉めて、そのほかこれまでに用意してもらったもの(筆記用具とか洗面具とか)を別の一回り小さい段ボール箱に仕舞うと、二つを重ねて持ち上げる。それなりに重いが、どちらかというと前が見えないことの方が問題だったので、数秒考えて小さい方をキルアに預けた。どうして小さい方なんだ、とぼやかれたので、私の方が鍛える必要あるでしょ、と答える。キルアは納得した風に頷いた。

「で、修行場ってどこ?」
「あ、知らなかったんだ。元広間、ってとこだよ。光源を持ち込まないとただのだだっ広い暗室だけど。」
「ああ、あそこね。・・・ねえ、あれって住めんの?」
「屋根と壁があって食べ物と水回りに事欠かなくて適度にプライバシーが守れてればそこが都だと、私は思う。」
「・・・・」
「こっちの方が便利ではあったけど、トイレは修行場の階にもあるみたいだし、上に行けば食堂とお風呂あるし。言うことないと思うよ。」
「そのトイレがホラーゲームのCG並みに荒れてて、食事が毒入りで、風呂なんてタイミング悪いと血まみれだけどな。」
「トイレは電球替えて掃除すればいいし、血も問題ないです。ご飯も最近は毒ないし。」
「え、そうなの?やっぱカルトが何もしなくなったからかな・・・」
「・・・あ、そうか。そういう考え方もあったか。」

両手がふさがっているので気持ちだけで手を打ち、キルアを見る。そういえばそうだ。私が近い将来毒を食らう機会といったらカルト君に攻撃されるときくらいだし、もしかするとゼノさんもはじめから「“カルトに毒を盛られた時”毒で死ぬ一般人と毒で死なない一般人とではどちらが長生きできるか」という意味で言ったのかもしれない。思えばあの時既にカルト君には嫌われていたし、そうか、そうだったのかも。

「やっぱり生え抜きは違うねぇ。」
「当たり前。お前なんかここ来てまだ三か月くらいじゃん。それでよくここまで馴染めるよな。」
「・・・私、馴染んでる?」
「馴染んでんじゃないの?まあ、ちょっと浮いてんのはゴアイキョウってやつだろ。・・・っていうか、ってどういう経緯でうちに居候することになったわけ?」
「えっ、あれ?それも聞いてないんだ。」
「兄貴も爺ちゃんも親父もだんまり決め込んでてさー。ハンターになりたいってのと、恩があるとか儀がどうとかは聞いたけど、あとは何も。」

小さい段ボールを片手で軽そうに担ぐ彼に「へえ」と相槌を打ち、また別の意味で頷く。これも考えてみればそうか。念のことは、特にキルアには何も教えないつもりのようだし、異世界云々はそもそも誰にも詳しいことを話していない。キルア達がちらとも聞いていないのだったら、もしかすると誤魔化しがばれている可能性もある。それはどうでもいいが、何にせよ異世界については何も言えないな、と自分に念を押した。もう以前何と説明したか思い出せないし、ばれているにしても話が拗れるようなことはしたくない。

「うーん・・・端的に言うと、どちらにも原因のない事件でちょっとした助け合い精神を見せたら、お礼に私の目的に手を貸してくれることになった、という感じでしょうか。」
「事件?」
「初日に私が血みどろ状態で君たちと面会する羽目になった原因だね。」
「あれっての血?」
「もちろん。」
「何、こけたの?」
「切られました。至って平和に。」
「?」

わけがわからない、という風な顔のキルアに笑い、まあまあ。と大した意味もなく宥める。代わりに自分の目的について話すことにした。

「文字が分からないって言ったから気づいてると思うけど、私ものすごく変なとこから来てんのね。」
「だろうなーとは思ってた。」
「うん。でもね、別に出たくて出てきたわけじゃないのよ。それこそ気づいたらこっちに居たみたいな感じ。不可抗力。」

首を振って視界を遮る伸びた前髪を払い、箱を抱え直す。相変わらず足元は見えないが、この地面にも慣れてきたので躓くことはないだろう。

「でも私、兄貴の折檻放り投げて来ちゃったからさ。早く戻らないとどんな鉄槌を喰らうことになるか・・・」
「ふーん・・・の兄貴って怖いの?」
「面倒見良くて気長で、いい“お兄ちゃん”だよ。怒らせるとマジでヤバイんだけどね。」

マジで。繰り返して強調しながら、あのブリザードを思い出す。――たぶんあれは纏を覚えても凍えるだろう。

「・・・けどねー、連絡手段も交通手段も謎なのよねー。」
「何それ。どういうこと?」
「どうやってここに来たのか、ぜんっぜんわかんなくて。本当に何もかもズレてるところだから・・・常識がって意味じゃなくて、システムみたいなものがね。本当はこっちとあっちは無関係のまま、ずーっと誰にも知られず、っていう関係のはずだった。だから行き来については、一般人が簡単に手にできるような情報が無い。」
「・・・だから、ハンター?」
「そういうこと。普通の学生がなれるものじゃないとは思ってるけど・・・」

ゆっくりと階段を降りて、踊り場でまた箱を抱え直す。ここまで来ると重さよりもむしろ手に余る大きさが問題だ。ずり落ちてしょうがない。

「・・・普通の学生?」
「ん?」
「いや、普通の学生がカルトにやられて死なないとか、気配読むとか・・・」
「しないしない。私のはオプション。」
「はぁ?」
「イルミさんの教え方が良いから調子づいてるだけ。ベースはつまんないくらい普通。」
「・・・血とか全然平気じゃん。」
「女子の方が血に強いって知ってた?モツじゃなければ割と見れるよ。」
「やたら打たれ強いのは」
「小細工。」
「・・・」

ストッパーを噛ませて開け放しておいた扉をくぐり、石畳に近い床から比べれば随分研かれている床へと移動する。メイドさんに手伝ってもらって先に運び込んだ机の下に段ボールを置き、キルアに持ってもらったのも受け取って机の上に置く。――よし、次はクローゼットを運ばなければ。そう大きなものではないが、一人で運ぶのは体格的に難しいだろう。キルアが暇なら手伝って欲しかったが、ふと視界に入れた時計は彼の自由時間終了十分前を指していた。

「うわっ、ごめんこんな時間まで!あとメイドさんに手伝ってもらうから、好きにしてなよ。」
「・・・お前さ。」
「うん?」
「すっ・・・・・げー、めんどくさい!」

いや、そんなに力いっぱい言わなくても。







written by ゆーこ