お前、最近そればっかだな。

      ほら、その変なの。

      よくあれを覚えられるよな。どうやってるんだよ。


   えぇ、そう?こうかなーって、適当に真似してれば形になるよ。


      そう言って、実はよく見てるんだよな、お前。

      洞察眼とか、観察眼とか、あるんだろうな。


   かっこいいなあそれ。なんか強そうじゃん、私。


      そういや、親父もそういうの得意だったっけ。

      覚えてないか?日曜の朝、いつも二人でやってた。

      お前ら模写能力半端ねえな!って、今思ったよ。


   模写。模写かあ。オリジナリティに欠けるのがなんとも私だね。













夕飯の時間になった。
しかし、いつもなら五分前には食堂に来て手伝いかカルトと睨み合いをしているはずのの姿はまだない。と言っても、ここ三日いなかったので俺ははじめ気付かなかったのだが、そのほかの居るべき人間全員が席に着いたのを確認したところでキルアが首を傾げたのだ。

、もしかしてさっき外出てったきりかな」
「外?」

予想外だった言葉を思わず訊き返すと、キルアは少し考えてから頷く。

「昼過ぎに、一人でふらーっと。雨降ってるって言ったけど出てったから、修行でもすんのかと思ったんだけど。兄貴、知らなかったの?」
「うん、聞いてない。」
「うっそだ。なら絶対言うと思ったのに」

確かに彼女は律儀だが、自主的な特訓の報告を一々入れるようなタイプではない。自制心が強すぎるくらいの性質と見て今は特に禁止事項も設けていないし、特に悪い癖もないので念の特訓なら放置しても問題は無い。そう思っていることは彼女にも伝わっているだろう。

「オレ、ちょっと探してくる。」
「いいよキル。俺が行く。」

の修行場はスペースと防音だけを取って選ばれた場所であり、水周りはほとんど使われていないトイレくらいしかない。は場所を知らないだろうから、水見式の片づけには最短でも食堂まで来なければならない。かといって風呂やトイレの近い自室では両隣をキルアとカルトに挟まれている。二人がまだ念を知らないのはわかっているだろうし、彼女はうちの方針を理解しているから、不測の事態が起こりかねない行動をあえて取るようなことはないと考えられる。
彼女がキルアに覚られまいとして外に出たのなら、キルアが行っては意味がない。他に理由があるのかもしれないが、それが分からない以上ここで席を立つべきなのは俺だろう。

キルアを制して立ち上がり、親父に目くばせしてから歩き出す。出口は数か所あるが、が迷わず行けるのは正面にある一か所だけだ。迷うことなくそこに続く廊下を進んでいく途中、ふと思った。

――がただの操作系なのはなぜだろう。

勿論彼女の性質上の分類は一般人だ。しかし生まれはそうではない。
俺も初めは彼女の自己紹介をあまり信じていなかった。祖父ちゃんは疑わない姿勢だったが、俺にとってみればそれはどう聞いても余計な詮索を煙に巻くための方便であり、真実だとは思えなかったのである。しかし、その考えは徐々に崩されていった。

まず初めに明らかになったのが、共通語を話せているのに文字を知らないという事実だ。
彼女が母国語として使っていた言語は、祖父ちゃん曰く共通語と同音のジャポン語らしい。しかしの持つ文字はジャポン語の所謂「いろは」とは所々違っており、代わりに共通語と完全に対応する五十音表に表されるという。
強調すべきは、共通語の存在自体は知っている、ということだ。記号の組み合わせの特徴なども知っているのに『あいうえお』が辛うじて読めるだけで、使えない。
それどころか彼女は「念も共通語も情報の価値は同じようなもの」と言っていた。氾濫する言語とひっそりと存在する念とでは、価値は明らかに違うのに。

他にも理解に苦しむ点はある。普通に暮らして普通に教育を受けてきたのなら、実際見たことがなくとも図鑑なり授業なりで存在を知るであろう生物に対する反応が、あまりにも大きいのだ。外で動かせてみてわかったが、彼女はどうやら本当に全世界どこにでもあるような物くらいしか知識に入れていないらしい。あまり珍しくない植物にも立ち止まって観察を始めることが多く、それなりに高い山にならどこにでもいる大型の鳥にはまるで化物を見たかのような反応を示した。まあ、これだけならまだこの国、この山と全く違う環境条件の中で暮らしていただけとも考えられるが。

極めつけは、そのあまりにも貧弱な知識とは掛け離れた、ゾルディック家やハンター協会に関する知識の深さと正確さである。
それこそ、うちの家族構成、名前、容姿などは序の口だった。そんなことは紹介するまでもなく完全に把握していたし、この家の性質についても説明するまでもなく理解しており、諭すまでもなく受け入れている。人格に特に問題があるわけではないはずだが、キルアが返り血を浴びて帰ってきても眉ひとつ動かさないのには俺も流石に驚いた。――性質的には完全なる一般人のがそういう対応をできる。となると、よほど前から、それこそ常識として知っていたのに違いない。
ハンター協会についてはゾルディック家ほどではないものの、現在の会長の名前とその容貌、基本性格、略歴等ははっきりと記憶していた。ハンター試験の形式についても詳しいし、ハンターの種類やそれぞれの謂れもよく把握している。考察は少々甘いが、知識だけなら俺より、下手をすると二、三度試験を受けた人間よりずっと持っているかもしれない。

他にもマフィアンコミュニティーと流星街の蜜月関係、サザンピースオークションとその地下で行われる競売の存在、名のあるハンターなど、知識は広い。――それなのに、文字も自然科学の知識も欠けている。地理的な知識もあまりにも希薄である。


ここまでされては、最早認めざるを得なかった。
有り得ないのだ。ハンター協会やマフィアについては一般教養で教わることもあるが、俺達の名前以上の情報を一般人が入手するのはまず不可能である。仮に彼女が一般人ではなく、ハンターやマフィアや暗殺者とつながりを持っているのだとしても、その知識をさも常識であるかのように簡単に口にできるのだから、後ろ暗い方法で手に入れたとは考えにくい。そういう演技をしているのでは、と考えたこともあったが、今のところ彼女が嘘を並べてボロを出さないほど賢いという裏付けは得られていない。頭脳的には先進国家の平均値、といったところだろう。合理的思考はできても、回転は速くない。

とは言え、あえて“異世界”を認めずとも彼女のことを説明することはできる。諜報系の念能力者がそばにいて彼女に間違った価値観を教え込んでいるとか、出身が独自の文化や宗教をもった未開の地だとか。しかしそれも広義で換言すれば「異なった世界」、「異世界」なのである。

結論付けても、まだどこか信じ切れないのが素直な気持ちだ。それでも、彼女の無害さだけは確かだった。
こちらの事情を理解した上で家族と自然に会話をし、与えた課題は真摯にこなし、カルトの奇襲を耐え、キルアの遊び相手を引き受ける。決して踏み込まず、また踏み込ませない距離を確実に保ちながら。一般人を置くとなれば面倒事が増えるかと思っていたが、は想像以上に空気が読める人間だったのだ。

そこまで考えて、思考が脱線しかけていることに気付いた。何を考えていたんだったか――ああそうだ、なぜ彼女はただの操作系なのだろう。


そういう、一口に説明できない(いや、正確には異世界と言ってしまえば間違いなく一瞬で説明が済むが)不可思議な点があり、お世辞にも普通の人間とは言えないのだから、中流志向な性格や性質はさておき、オーラ系統は高確率で特質系だろうと思っていた。だからこそ手間取る発を後回しにして、とりあえずカルトの攻撃を防ぐのに役立つような応用技から教えたのだし、才能がなさそうな体術もひとまず置いておき、本格的に鍛えるのは発の方向性が見えてからにしようと思ったのだ。毒物耐性も予定外に(というかカルトが毒を盛りそうだから)付け続けることになってしまっていたからどの道身体作りはできなかったし、発の形態によれば基礎体力作りだけで済むかもしれない、と思っていた。

――しかし、水見式の結果は予想を裏切った。
あれほど妙な人間でありがなら、異世界などという平凡とおよそ掛け離れた括りの中にいながら、反応はただの、ごく普通の「操作系」だったのだ。
彼女の彼女たる部分だけ、一般人としか言いようがない彼女の姿だけ見て言えば、当然の結果であることは無論わかっている。それでも何か、見落としをしているような不快感が喉のあたりを這っていた。自分とは明らかに違うはずの彼女が、なぜ自分と同じ系統なのか。


長い通路を足早に進み、ふと聞こえた開扉の音と雨音に顔を上げる。雨のにおいが入り込んで、ただでさえ風通しの悪い通路の空気は余計にどんよりと湿った。

「イルミさん。」

驚き半分、疑問半分といったの声が、雨音に混じってこちらに届いた。次いで扉が音を立てて閉まる。――なんだ、無駄足だったか。そう思いながらもとりあえず軽く挨拶をして、確かめるようにその姿を眺める。

全身ずぶ濡れの彼女にはいつもほどの明るさはなく、なぜか生気の抜けたような顔をしていた。読み取り易い単純そうな表情もなく、髪や指先から水滴を垂らしてぼうっと突っ立ったまま、こちらに歩いてくる気配もない。疲れきっているようにも見えた。
しかし、本人は自分の姿について特に何も思っていないのだろう、口元はいつも通り、当たり障りなく笑んでいる。

「夕飯。もう皆席についてるよ。」
「あっ、うわ、すみません。やっぱりそんな時間でしたか。」

その台詞に弾かれたように、しまった、というような表情が浮かぶ。それでもまだどこか暗い。照明のせいだろうか。

「・・・とりあえず着替えて来たら?」
「はい、そうします。」

どこか事務的な口調も耳に残りにくい声色もいつも通りのはずだが、表情が暗く見えていると随分印象が違う。
もしかすると何かあって気落ちでもしたのかもしれない。ふとそう思って彼女の顔を改めて眺めたが、やはり暗く見えるので俺の中でその線が強くなってきた。

「・・・」

何かあったのか。そう聞こうか否か一瞬迷い、隣をすり抜けていくを目で追って、結局やめた。単純なように見えても、育ちが育ちだ。わからないところも勿論ある。そしてそれは俺にとっては特に理解する必要のないことである。あまり入れ込んでも面倒だ。


もう夕食の準備は整っただろう。先に戻って、適当に釈明しておいてやらなければ。






written by ゆーこ