「・・・はい?」
出会い頭に一体何なんだこの子は。露骨に「何言ってんのお前」という顔をしてみせると、キルアはそんな私をさらっと無視して楽しそうに背中を叩いてきた。痛い、痛いよトン単位の腕力!その上何がそんなに感動的だったのか知らないが、肩を組むような姿勢で後ろから首を絞めてきた。こ、これは死ぬ、むしろ今死ぬ!
「ギブギブギブギブ強いのはわかったから放しなさい腕力トン単位!!」
「ちぇ、なんだよ人が喜んでやってんのに」
「喜び方が凶悪なんだよ!」
もっと一般人向けの喜び方しなさい、と吐き捨てるように言い、咳払いをして気を取り直す。
「・・・それで、キルア君はなぜ私が死んだとお思いになられたので?」
「お前、いっぺんこないだの決闘思い出してみろよ。あれどう見たって死亡フラグだろ?」
「・・・そうかぁ?」
「しかもそのあと三日も起きねーし」
「・・・は?」
「は?」
「いや、え?三日?」
「え、なに?知らなかったのかよ。」
「し、知らなかったのだよ!」
私は思わず頭を抱えた。――イルミさんはなにも言ってなかったし、ひと晩寝ました〜くらいの感覚しかないのに、三日だと?嘘だ、嘘に決まっている。嘘じゃなかったらなんなの、私の体に何が起きていたというの!
「三日・・・三日・・・?三日寝太郎・・・!?」
「(ネタロウ?)そんなびっくりすんなって、オレもたまにやるし」
「君と比べるくらいならいっそ酢ダコと比べた方が近い気がする・・・」
「意味分かんねーよ、お前頭大丈夫か?」
「なんだと」
もういっぺんほっぺたつねってやろうかなこのクソガキ、と手を伸ばしかけて、そういえば、と自分の頬に触れる。
ザックリ切られていたのでもれなく縫われてしまったようだが、やたらときれいな縫い目なので乙女としての危機感はほとんどなかった。しかし考えてみればこの位置、この形――なんともヤのつく自由業である。間違いない、兄貴のブリザードで殺される。
「、顔すげーぞ」
「そんなことないよー超笑ってるよー」
「目が死んでるって!」
「生きてるよー市場の魚のごとき瞳だよー」
「死んでんじゃん。」
その通りである。私はフッとアンニュイな表情を作り、意味も無くキルアの肩を叩いた。キルアはこいつめんどくせーなという顔で私を見返し、「なんだよ」と言って私の手を払う。いつも通りのキルアだ。
私は予想通りの反応に満足して笑い、ああそうだ、と踵を返す。
「ちょっと外に用事あるんだった。またね」
「外?なんか雨降ってきてたけど。」
「えぇ、雨?まあ、平気・・・だよな。ありがと、行ってきます」
「ん。」
キルアに手を振って、背を向ける。走る必要はないのでいつものペースで歩きながら、相変わらず借りパク中のキルアのパーカーのポケットに手を突っ込んだ。――どうやらばれなかったようだ。
階段を上ってくる幽かな音でキルアが近くにいることを覚った私は、咄嗟に持っていたグラスを服の中に隠していた。
見られても言い訳がきかないわけではないが、表面上はどうあれ潜在的には彼の方がずっと賢くて鋭いのだから、予防するに越したことはない。
生憎ジップアップパーカーのポケットは小さくて役に立たなかったが、パーカー自体だぼついていて、多少の膨らみなら不自然に見えることはなく、グラスも細身のものだ。中に着ているキャミソールはハーフパンツの中に入れてあるので、多少腹が冷えるのを我慢すればそこに隠すことができた。これを咄嗟に思いついたのだから私の平均脳みそも馬鹿にはできない。一応回る時は回るのである。
「(見られてさえなければ、何か持ってると思われても問題ないしねー)」
キルアはそんな細かいことにまで口を出さない。疑問をもったとしても、不確定要素であれば口に出しはしない。ゾルディック家に刷り込まれた彼の思考は、容易に想像できた。
可哀想などと憂うのは嫌いだ。知ったかぶりの悲観的な同情のような気がする。だから私はその事実を飲み込むだけだけれど、それでも少し後ろめたかった。しかしそのことについてはそのうち、彼が出ていった後にでも詫びを入れることにして、今は歩を進める。
私は彼と違い、ここから出ていくことはむしろ良いことだ。それだけ成長できたということだし、出て行かなければ何も始まらない。今の私はスタートラインにすら立っていないのだから、特に今後を大きく左右する可能性のある発に関しては、まだ初期段階だからといって気を抜くわけにはいかなかった。――早い段階から、よく考えておく必要がある。私に合った、それでいて使い勝手のいい能力。
階段を降りて、石造りの暗い通路を歩く。外が近付くにつれ、濡れた土と緑のにおいが近くなっていく。雨はまだ降っているのだろう。
――私に合った能力。
それを考えるには、まず自分のことをよくよく見直さなければならないだろう。しかし私はあまり集中力のある方ではない。やるのなら、なるべく静かな場所がいい。
無論部屋は殺風景だし、修行場はもっと殺風景で、気の散る要素はひとつもない。しかし理想は静かと言っても風や水の音のする場所。修学旅行で座禅を組んだ、あのお寺のような場所がよかった。
幸い、ハリセンボン事件、もといかくれんぼのときに歩きまわっているので、屋敷の出入り口周辺であれば迷わず行き来できる。その範囲内で良さそうな場所の心当たりがいくつかあった。雨宿りまで考えると少し難しそうだが、この際雨に当たるのもいいだろう。機械のある生活が当たり前の現代っ子が言うのもなんだが、自然は偉大だ。――いや、普段機械に囲まれて生活しているからこそそう思うのだろうか。自然のものにふれないと、電波に紛れて自分の本当の姿を忘れそうになる。というか、忘れている。
外へ続く重たい扉をどうにか開けて、サイズぴったりのキルアの靴で濡れた地面を踏む。見上げると背の高い木が曇り空を覆っており、その隙間からは大粒の雨がしとしとと降り注いでいた。
「・・・ふぅ」
暗い。雨なのもあるが、この大きな木のせいでここはいつも暗い。目を細めて顔に雨を受けながら、ぼんやりと立ち尽くす。そういえば、雨を見るのは随分久しぶりだ。
一歩ずつ静かに踏み出して、滑りそうにないしっかりとした足元に目を落とす。そもそも翳っているので、影が淡い。
「・・・よし。」
両手ではさむように頬を叩いて、左手に生い茂る藪を抜ける。そのすぐそばの倒木更新を横目に、私は薄暗い森の奥へと歩を進めた。
