昔何かで見たことがある。“本当に攻撃性を求めるなら、ナイフや剣の刃はボロボロの方がいい。”

武器というのはなにも鈍器と鋭器に二分されるわけではない。攻撃方法は他にも星の数ほどあり、中で最も効果的かつ見栄えがするのが「斬る」や「刺す」、最も身近で手っ取り早いのが「殴る」「締める」というだけで、武器はべつに鋭くある必要も手頃な重量である必要もない。武器に限らず道具というのは手足の延長であって、決して我々と別個のものではない。私達の手が多様な動作を可能とし、必要としている以上、道具にも多様性が求められる。ハサミやナイフのように、基本の形状はあれど、種類を挙げればきりが無いものがそれを証明している。

――で、いざというとき回らない頭からそんな長い文句を引っ張り出してまで何が言いたいのかというと、「ナイフはべつに鋭くなくても凶悪な武器である。」ということだ。

「いっ・・・た!!!」

左頬に走った弾けるような痛みにうろたえながら、必死で振袖姿を目の端に捉える。アレ、着始めたの最近だし、ぜったい動きづらいと思ったのに―――いや、そうか。ここはゾルディック家、それ以前にハンター世界。謎の巨大生物が空を飛べてしまう世界である。私の持ち得る常識なんてものは通用するようでしなかったのだ。
どうしようどうしよう、すっごい冒険したくなってきた!なんか妙にわくわくしてきた!しかしこれはきっと単なる現実逃避であろう。早鐘を打つ心臓の二つの意味を、私は珍しく瞬時に理解した。
――呪文が、ぜんぜん効いていない。
無論、ただの気休めにそうはっきりとした効果があるはずはない。しかし、これで乗り越えてきた過去の修羅場の数々(というほど無いが)は、私に少なからず希望を与えていた。それが効かない。攻撃手段を持たない私の唯一の剣が、折れてしまった。
幸先悪い。頬を右手の甲でそっと拭うと、生温いどろどろしたものが首へ流れていった。傷が深い自覚があるせいか、痛みも半端なものではない。

「痛いでしょ?わざと刃を砕いて痛いようにしたから」

ど、ドSだ!この子ドSだ!わかってたけど改めて、ドSだ!
ついヘルプの視線をキルアに向けたが、狼狽えているうちに体の向きが変わっていたようで思い切り外した。仕方ないので再度纏を正して、というよりはぐっと体に引き寄せるようにして、どうにか出血を抑える。――イルミさんに訊いたところ、こういうものは変化系とか具現化系に近い技らしい。闘技場のカストロ戦でヒソカの腕から血が出なかったのはそういうことか、と納得したのを思い出しながら、自分の系統についてもちらりと考えた。
状況的には、特質系になっていてもおかしくはない。一応“異世界人”だ。一般人を強調してはいるが、実際問題“同じ”であるはずがないのである。しかし某奇術師の論を正しいとするなら、特質系だけは有り得ない。個人主義、あるわけない。カリスマ性、あったらよかった。

そうしていよいよ現実逃避に雪崩れ込もうとする私を叱咤するように、キツい一撃が腹部を襲った。
一応弁解しておくと、ぼうっとしていたわけではない。むしろ警戒は最高レベルまで引き上げてあった。それでも見えないし、避けようがないのだ。
纏もあるが、頬の方がひどいからそんなに痛くは感じないし、踏ん張るくらいはできるからなんとか受け切れたが、これは良くなない。打撃を受けるときは、少しタイミングをずらして飛ばされるかうまく体を引くかして往なすべきなのだ。とキルアが言っていた。

「・・・ガード固い」

どうもありがとう。
そう言いたかったが、今度は腕を引かれたかと思うと思いきり床に叩きつけられ、額の端とさっき切られた頬をざらついた床にこれでもかと打ちつけてそれどころではなかった。石の床は、いくらなんでも固すぎる。

「―――っ!!」

悶絶している間に首に小さな冷たい手が伸びる。――ああ、やっぱり駄目だ。ついそう考え、いやいやと唇を噛んだ。ただやられるつもりはないと言ったではないか。

「―――カルト君。」
「!」

どこからか血が流れてきて、前が見えない。それでも無理矢理瞬きして目を見開くと、暗い背景にぼんやりと映るカルト君の肩がほんの少し跳ねたのが見えた。私の声はひどく冷たい。それが満身創痍だからなのか、殺気立っているからなのか、自分ではわからなかった。ただ怖いのをどうにか押し込んで、八歳児とは到底思えない強さで押しつけてくる手を握る。私の手の方が冷たかった。

「あのさぁ・・・私の、どこが君の気に食わないの?」
「・・・」
「答えてくれないなら勝手に想像するしかないよ。」
「すればいいじゃん」
「(あ、キルアと声似た)」

少しだけほほえましい気持になっても、緊迫した空気に酔ったように頭が揺れる。それでもなんとか彼を見て、頬や頭が痛いのも努めて無視して、咽喉が震えるのを無理矢理制御するように腹の底から声を出す。

「――どうして教えてくれない、の」
「・・・」

温かい小さな手が、声をつぶすように力む。私は呼吸しそこなって噎せ、それでもカルト君の白い顔をじっと見上げた。大きな黒い目が、震えているように見える。私の視界の方が歪んでいるのかもしれないけれど、呼吸と一緒に漏れてくる音が、不自然に戦慄いていた。

「・・・ね、え」

カルト君の手を力いっぱい引き放しながら呟いても、相変わらず答えはない。表情は、至って平常。無表情。
頭の上で小さく砂利を踏むような音がしたのを耳に、私は一度目を閉じる。すると絞める手指は本格的に殺す方向へ動き出した。
気管が少しだけ自由になる。代わりに血管が押さえつけられて、頭がガンガンするのはどうしようもないが、息が吸えると不思議と恐怖が遠のいた。声が出せる。
私はゆっくりと目を開き、できる最悪の目つきで、その辺の日本人なんかよりずっと艶のある黒い髪と目を捉えた。怯えのない、しかし光もない、いやになるほど暗い目。それでも、べつに怖くはない。――当たり前だ。殺される可能性にさえ目を瞑ることができれば、怒った兄貴の方がずっと怖いんだから。

私は今まで体の下に埋もれていた左手を伸ばし、締め付けてくるカルト君の手を両手で力いっぱい引き剥がそうとした。恐怖感は徐々に薄れていたが、そろそろ本当に頭に酸素が回らない。腕にも力が入らなくなってきていた。

「(やばい、かも)」

やられっぱなしのつもりはない。けれど、力の差がありすぎた。諦めそうな自分に気づき、また唇を噛む。――違う。そうじゃないだろう。まだ本気で怒っていないじゃないか。諭せる相手ではないのに、話をしようとしても無駄だ。和解のための決闘ではない。

遠のきかけている意識の中から、じっとカルト君を見上げる。――やはり、無表情だが、何か歪んでいる。泣いているんじゃないかと思うくらい、雰囲気が揺れていた。こんな圧倒的に不利な状況だというのに、無性に心配になる。

「・・・」

口を開き、しかし何と言えばいいかわからなくなって、どうしたものかと暢気にも迷ったあと、カルト君の手から右手を離し、そのまま上へと伸ばして、頬を少しだけ引っ張る。精一杯のジョークだったが、それでも咽喉の手は緩まなかった。
カルト君は私に引っ張られて伸びた頬に、私の首を絞めていた両手のうち片方をやって、かわりに片手に体重を乗せてきた。今度はまた気管が潰れ、急に息が詰まったのと、いきなり血の巡りが良くなったのとで頭の中が麻痺したように揺れる。
カルト君の手が私の右手を引き剥がそうとする。何がしたいの、とでも言いそうだったから、苦しがりながら笑ってやった。

「仕返し。」

――そもそも、私は怒りっぽい方じゃない。
もちろん気に入らないことがあれば頭にくるし、たまにものすごく許せないことが起こると後先考えないしなりふり構わないけど、知らない人の幸せも不幸せも興味無いけど、手が届く範囲の人には優しくしているつもりだ。

――だからこそ、カルト君に嫌われたり、攻撃されるのに腹が立った。それだけだったのだ。

ああもう、何を言ってるんだか。やっぱり私の頭はあまりスペックがよろしくないらしい。
カルト君にはどうにも怒り切れなかったり、怒鳴るにしても途中で飲み込んでしまったり、ずっと前から態度に出ていたのに。とっくに結論は出ていたのに。私は一体何をしようとしていたんだろう。呪文なんて、効かなくて当然だ。

「・・・私の負け、です。」

そう言ってしまうと、すべての荷が下りたような気がした。確かに強さは欲しい。負けたくなかったし、負かしてやりたかった。けれど、限界は私が欲しがるよりずっと手前にあった。
ふっと息を吐いて笑う。瞼がやけに重たい。
カルト君の手は離れて行ったのに、私は動くことができなくなっていた。





written by ゆーこ