お世辞にもやる気があるとは言えない声をひとまず張ってみる。山の上といえど森の中では谺しないようだが、却ってしんとして嫌な雰囲気だ。こういう空気も嫌いではないが、人並みにホラーが怖い身である以上、逃げ腰になるのはどうしようもない。
「・・・いや、返事があるのを期待したわけでは・・・ないんだけどね」
ひたすらの無音に、予想していたふうに呟きながらもぐったりと項垂れる。そしてしばらくしてから本気を出したナマケモノ程度の速度でうねった木の根を掴んで、私の背丈ほどの崖をなんとか登り、節くれだって歪んだ、それでも背の高い木を見つけてさらに高くへとよじ登った。視力はさほどよくないが、それでもこういう方法が一番効率が良いように思えたのだ。しかし思ったような収穫はなく、頭上の太陽の位置が変わり始めたのが見えただけだった。
時間の流れは平等だが理不尽である。数学の授業や校長の話は寝落ちするほどゆっくり進むというのに、大事な時や必要な時に限って、それはもうまさに矢の如く過ぎ去っていくのだ。私がここへやって来てからも、もうはやひと月が経過していた。
となれば人生最大級にザックリ切れた腕の傷も塞がる。多少激しい運動をしても問題ないだろうということで、少し前から“修行”には体力作りのためのメニューが加わった。念の方はあくまで広く浅くのスタンスで、発はひとまず後回しに、順調に応用技のさわりまで来ている。毒入り料理は居候の運命として受け入れたら気が楽になったし、普段うろつく範囲では迷わないようにもなった。使用人さん達は親切で、日常生活でこれといって困ることもない。常識人のキルアがいて、一番歳と趣味が近いミルキとは普通に話せるようになって、ゼノさんは時々お茶に誘ってくれる。――中々に平和な居候ライフではないか。
まあ、無理せずに言ってしまえば、キルアと相部屋という貴重な体験は二日目であっさり終了して今は隣の部屋に一人だし、もう片方の隣はカルト君ですごく怖いし、あの子めちゃくちゃ睨んでくるし、マヨネーズの蓋とか色々投げてくるし、五回に三回はキルアかイルミさんがわざわざ仲裁しに来るほどの殺気が籠ってるし、それだけでも十分頭が痛いのに、今の部屋になってからずっと、一時間以上留守にして帰る時は必ず、キキョウさんからのサプライズプレゼントという名の危険なトラップがお見舞いされるのである。これはまあ、流石お母さんというか、あまり度を超すものがないからまだいいのだが、カルト君の私嫌いの方は誰の目にも明らかに理不尽な速度でエスカレートしつつあるわけで。
これはもうまず間違いなくマイナス値を叩き出している。どう頑張ってもプラマイゼロとは言い難い。状況が状況だから嘆き悲しんで塞ぎ込むことこそないが、「一般人だってやるときはやるんだからねっ!」とキルアに言っているのはもちろん空元気である。
「・・・無茶です」
苦労してよじ登った木から飛び降り損ねて見事に背中を打ち付けた体勢のまま、私はぽつりと呟いた。
―――事の発端はおよそ一時間前、正午過ぎにまで遡る。
私が昼食後の腹痛と嫌な痺れを耐え抜き、メニューに従って走り込みをしようと外へ出ると、今日に限って出口の外でイルミさんが待ちかまえていた。と言っても私はただ走るだけである。きっと他の誰かの修行をつけているのだろう、と適当に挨拶をして走り去ろうとしたのだが、彼は私の肩を捕まえて、まるで思いつきのように言い放ったのだ。
「よし、かくれんぼをしよう。」
「かくれ・・・え?」
「はそこで目隠しして一分待って。」
「え?私が鬼なんですか?」
「うん。キルアとカルトはもうその辺に隠れてるから、日が暮れる前に俺含め全員見つけること。いい?」
よくない。全然よくない。――と言えるほどの度胸があったらこうはなっていなかったのかもしれないが、結局は万人が予想した通りの結果となり現在に至るわけである。
「・・・いじめだ。これはいじめだ。」
真顔で淡々と呟き、八つ当たりのように勢いを付けて起き上がると、思い切り溜息を吐く。
いくら念を覚えたと言っても、円が使えない以上この状況で使えそうなものは絶くらいだ。しかし絶じゃカルト君に背後を取られたとき私の人生が終わる。かといって凝をしても、結果的には他の部分に気が回らなくなってしまうわけだし、得るものもたいして大きくない。見えるのはせいぜい木々が吐き出す場に似合わない綺麗なオーラだけだ。そもそも、その作業すらしんどいような実力では、気配を絶って隠れている人間のオーラと識別できるかどうか。まず無理だろう。だからと言って諦めるわけには行かないのだが。
崖沿いに歩いて、手頃な木を見つけては登り、怪しいところは練習を兼ねて凝で確認しながら、気配らしいものを探る。しかし相変わらず何かが見えることも、聞こえることもない。気配は、するといえばするが、しないと思えばしなかった。
「(単に勘が悪いとかかな・・・)」
かなというか間違いなくそうなのだが、それでも諦め悪く練り歩く。途中で木から降りるのが面倒になって枝を飛び移ったりしてみながら(キキョウさんのサプライズ攻撃に比べたら落ちるくらいなんでもないと気付いた)ときどき空を見上げて、やはり出るのはため息である。まさか一人くらいはと思ったが、これはとんだ無理ゲーだ。見つかったら奇跡のような気がしてきた。
「(そもそも隠れる時間60秒というのはいらんハンデではなかっただろうか)」
決定事項のように言われたので(あと怖い)つい流してしまったが、よく考えたらやっぱりおかしい。主に庭の面積が。そしてメンツが。どう考えても鬼のスペックと釣り合っていない。――というのをその時に考えられればもうちょっと初心者向けにしてもらえたかもしれないのになぁー。
「結局自分のせいか・・・」
ことさら大きく溜息を吐くと、背後で巨大な鳥が凶悪な囀りを響かせた。――ここでも私は万人が予想する通り、自分の悲鳴を聞くが早いか、本日何度目かの浮遊感に文字通り身を投じたのだった。
太陽が南中から更に西に傾いた。今はどうやらこちらも夏で、山地といっても日が当たる場所で動きまわっていれば暑い。時間的にもちょうどそのピークである。借りパク状態のキルアの服はすでにしっとりと濡れて、土埃に塗れていた。これは流石にちょっと申し訳ない――などとは思うものか。なぜならこの土埃のほとんどは、人為的に降り掛けられたものだからである。
「・・・オイ、誰だ・・・落とし穴なんてベッタベタな手使った奴はぁあ!!」
大声でアピールしてみれば頭上(かなり上だが)で茂みの揺れる音と人の気配がする。――そう、気配には気付いていた。まさかこんなふざけた罠を用意されているとは、それもかなり本格的にガッツリ深いとは、全くこれっぽっちも思いもしなかったが、自らを省みるよりは彼の頭をツンツンしながらネチネチ文句を言いたい気分である。
「やっぱりキルアか・・・」
そう言ってこれ見よがしに溜息を吐くと、地上から彼が飛び降りてきた。この高さで躊躇いが無いのは流石としか言いようが無い。
「わかった?の割には落ちたけど。」
「(このクソガキ)気配はね、するなあとは、思ったんですよ?一応。」
「一応、ね。」
そうさ一応さ。キルアっぽい気がするなあ、やっと見つけられたのかなあ、くらいしか思ってないうちにこの穴に収納されたくらい申し訳程度にしか役に立ってないさ。気配が分かったとしても、これでは恥ずかしすぎてどうにもならない。というかこれはもしかすると遊ばれているんじゃないだろうか。なんだかそんな気がする。いや、気がするどころか間違いない。じゃなければこんなに楽しそうに降りてくるはずがない。そう思うと自然と眉間に皺が寄った。
「プッ、怒ってる怒ってる」
「笑うな!人を使って楽しむな!素人を陥れてそんなに楽しいかこの小悪魔め!」
「だってこんなのくらいしかかかんねーし、俺もたまには遊びたいもん。」
「だからって人をおもちゃにしちゃいけません!」
イルミさーんキルアが間違った道に進もうとしてますよぉぉぉ、とこれまた大声でアピールしたらなぜかスパンときれいにツッコミ――いや、これは殴られたのだろう。気持ちはわからないでもないが、この期に及んでそれってどうよ、とじろじろ見ていると、キルアが悪びれた風も無く「まあまあ」と両手を軽く挙げる。
「子ども相手にムキになんなって。」
「ムっ・・・馬鹿深い落とし穴掘ったのも憎まれ口叩いたのも殴ったのもそっちだろぉぉぉぉ!?うおおおぉぉぉお畜生うおおぉぉお・・・!!!」
「・・・ムキになってんじゃん」
「お黙り!!」
指差して息巻くついでに堅い木の葉と枝に埋まった体を起こし、キルアに無言で踏み台代わりを要求する。こうまでされて遠慮はしない。彼は「はいはい」とめんどくさそうに目を細めながらも、壁際に立って両手を組むと中腰で構えた。私は葉っぱの地面をできるだけ踏み固めてから距離をとり、申し訳程度の助走をつけてそこに飛び込む。キルアは私の足を持ち上げて、上に放り投げる―という寸法だ。ふつうなら構図が逆だが、この場合彼の腕力がトン単位なので問題ない。
「ああ、ただいま地面・・・」
良く見ればカモフラージュがバレバレの、掘り返した痕が残る地面にへばりついていると、すぐに登って来たキルアがわざとらしく溜息を吐いた。
「やっぱってわけわかんねー。カルトには無抵抗のくせに変なとこでマジギレしてさ。贔屓だろ」
「マジじゃないからキレられるんだって。私だって本気では怒ってないし」
怒ってたら怒鳴る余裕もなく右ストレートだよ、と起き上がってそんな動作をしてみると、キルアは納得していないような顔で相槌を打った。
「まあ、なんにせよキルアめっけ!よかった、カルト君見つける前にパーティー増やせて。」
「確かにね。カルトも何か仕掛けてたけど、今度は引っ掛かんなよ?」
「ほんとによかったなあキルア君が仲間になって!」
何かってあれかな、もっと殺傷力の高い罠とかかな。高らかに笑いながら(ドン引きする)キルアの腕を(無理矢理)とり、スキップで走行を開始した。隣でキルアが心底離れたそうにしているが、私とて彼に迷惑を掛けたくはない。格好よく次のターゲット探しに出られればもちろんそれが一番理想的である。
しかし、何を隠そうカルト君は私のことが大っ嫌いだ。それはもう、何の脈絡もなしに「死ねばいいのに」と仰るほど、食事中だというのに素晴らしいコントロールで私の眉間にマヨネーズ(瓶入り)の蓋を飛ばしてくるほど。まして私への奇襲攻撃が誰かに阻止されようものなら、その視線の禍々しさは筆舌に尽くし難い。その上泣く子も叫喚する暗殺一家ゾルディック家のことである。――――これはもう、隙さえあればマジで消されかねない。
「(これはキルアに助け船を頼むしか・・・殺されかけるのはなんとなく慣れたけど、誰かに助けてもらわなきゃギリギリどころか余裕でアウトなわけで)」
このド素人がほぼ常時纏でいられるのはひとえに彼のお陰だ。それほどの警戒を必要とし、それほど警戒しても怪我をするのである。しかし、技量が追い付かないのは私のせいだけではない。カルト君が腕を上げているからだ。ゼノさん曰く、私が来てから彼の修行への気合いの入りようには目を瞠るものがあるらしい。
どうしてそこまで嫌われるのか、理由は未だわからない。彼は毒を吐くくらいで何も言わないし、私から近寄ろうものなら秒殺だからだ。
どいつもこいつも可愛い顔してとんでもない、とぶつぶつ悪態を吐きながら、乱暴に地面を踏む。視界がやけに狭まった。
足の裏の違和感もキルアの声も差し置いて、目の前の光るものに意識の全てが集中する。身体を動かす余裕はほとんどない。思考は止まっていなかったが、咄嗟に浮かんだのはブリザードを吹き荒らす兄貴の顔くらいだった。
はわからないヤツだ。
普段は至って真面目で従順な所謂「いい子」。遠慮がちで、何かあっても口に出さずに黙っているか(顔には思いっきり出てるけど)申し訳程度の反論をするだけだ。押しに弱いとかいう問題ではない。
それでも諦めきっているというわけではなかった。カルトにいくら突っ掛かられても、それで俺にグチグチ言っていても、本当に屈した顔には絶対にならないからだ。
「・・・死ん、だぁ・・・」
思った通り、カルトの罠はほとんどこいつを殺す気のものだった。ナイフではなく千本なのはきっと兄貴の計らいだろう。まんまとかかったは倒れたままぼそぼそと呟き、頭や心臓を庇った腕に刺さった千本を呆然と眺め、もう一度「死んだぁ」と繰り返した。――防御堅いのは知ってるけど、これだけ適当に刺されて痛いの一言もなしかよ。わざとらしく溜息を吐いてみたが、反応はなかった。文句を言う余裕はないようだ。
屈んで、の腕の傷のないあたりを掴む。すると茂みからこちらを窺っていたカルトが不満ありげに姿を現した。てっきり逃げると思っていたので少し意外だったが、とりあえずを引き起こしてやると、カルトは小さく舌打ちした。
「・・・あいかわらずしぶとい。」
「カルト君・・・君は私を標本にしたいんですか?」
「死んでほしい。」
「・・・。」
やけに玄人じみた圧迫感がじわりと広がる。二人はそのまましばらく睨み合うとどちらともなく視線を外し、カルトは踵を返して離れていった。はそれを横目に腕の千本をゆっくりと抜く。顔には苦い表情が浮かぶだけで、既に怒気はない。
「・・・平気なのかよ、それ。」
「わかんないけど・・・気持ち悪くないし、骨は平気みたい。」
は自分の血の付いた千本を取り落とすようにその場に捨て、ポケットから包帯を引っ張り出した。どうして持っているのかは知らないが、使い込まれているあたり、この間まで腕に巻いていたものだろう。
「ったく・・・ちょっとは周り見て歩けよな。それに踏んだあと固まんなきゃ避けられたじゃんか。」
「だって、ちょっと走馬灯見かけてたし」
「アレで見るならいつも見てんだろ。」
はけらけら笑って包帯を俺に寄越す。千切って、と言うので一瞬何のことかと思ったが、考えてみれば怪我は両腕だった。言われた通りにしてやって投げ返すと、は苦心しながら巻き付けはじめた。
「・・・で、どうする?兄貴探さないで戻ってもいいけど。」
「ううん、別に特に動くわけじゃないし、平気。やる。」
「そ。」
――これもわからない。
すぐに自分を一般人だの力不足だのと嘆いて塞いだような顔をするくせに、すぐに復活して動き出す。言っていることは後ろ向きなくせに、やっていることは前しか見ていない。天邪鬼なのである。
気を取り直したように前を向いたを先頭に、今度こそ普通に歩き始める。とは言ってもの方はまだ慣れない山道に手こずっているらしくいちいちまどろっこしい。――そのくせ、あの殺気である。小さく溜息をついても、はじたばたと苔の上を歩くだけだった。
