そしてきっかり二時間後、私が嘔吐・腹痛・眩暈その他との大乱闘を終えてげっそりし、更にそれをようやく乗り越えた――という絶妙な頃合いで、シルバさんの言ったとおりイルミさんが私を連行しに来た。
ちょうどキルアにほとんど着ないという服を引っ張り出してもらったところだったが、彼もそろそろ修行の時間だそうなのでまたあとでということにして、イルミさんについて部屋を出る。出がけにキルアに手を振ってみたが、イルミさんがいるからなのかもとから振り返す気がないのか、ドアが閉まったのが見えただけだった。――まあ、こんなものだろう。

私が案内されたのは、何やらだだっ広くて、対辺どうしに一つずつ両開きの大きな扉がある以外何もない部屋だった。空調は無いはずだが、空気が少しひんやりとして湿っている。物を置くには向かないだろうが、過ごしやすそうな空気である。
きょろきょろと部屋の様子を眺めていると、先に部屋に入っていたイルミさんがくるりとこちらを振り向いた。

「・・・とりあえず“纏”、できるよね?」
「はい。」

即答した割自信はなかったが、やろうと思えばすぐに思い出すことができた。――本当に一度覚えたら忘れないのか。闘技場編のウイングさんの言葉を脳裏に浮かべつつ、まだ覚束無いながらギリギリ“纏”と呼べるであろうものをしてみせる。イルミさんは私をじっと眺めて、やはり例の無表情で「うん」と言った。

「四大行はわかる?」
「わかります。纏・絶・練・発、ですよね?」
「そう。コツ教えるから、次は絶。」
「はい。」

普段先生や親に向かってするのよりよっぽどいい返事をして、纏のままイルミさんを眺める。――ふと、気配が薄くなった。・・・ような気がしなくもない。

「コレが絶。気配薄くなったの、わかる?」

なんとなく。控えめに頷いて、改めてまじまじとイルミさんを見る。確かに、隠していなければ見えるはずのオーラが見当たらなかった。

「精孔が開いた時の感じは覚えてる?」
「あんまり・・・」
「まあ、いきなりだったからな。いいや、とりあえず思うようにやってみて。その都度指示する。」
「わかりました。」

返事をし、私はぱっと思考を切り替えた。

「(私はいい子凄い子頼れる子)」

ようするに自己暗示である。テスト直前によくやる手だが、私の精神はわりと単純にできているらしくこれがなかなか効く。しばらく頭の中でぶつぶつ言ってから、体を覆っているオーラの様子をざっと確認した。――バサバサしているというか、ものすごく不安定な感じだ。そりゃあいきなりこんなことになってしまったから不安だろうが、自分で見てもうざったい。幸い目的ならあるし、自主的に“燃”の方で鍛えていくことにしよう。今はそれより絶である。

「(・・・精孔を閉じるんだっけ?)」

また闘技場編を思い出しながら、今度はオーラより自分の体の方に意識を配る。精孔、というのが具体的にどういったものなのかわからない以上、やはり何となくでやるしかないのだろう。ひとまず、肌とオーラの間に壁を一枚作るようなイメージをしてみた。うまくいかない。

「(うーん・・・精孔、精孔・・・)」

目を閉じて全身に意識を巡らせる。――いや、とりあえず形ができればいいのだから、別に精孔を閉じるところまで考える必要はない、か?変に肩肘張ってできなくなったらそれこそ笑い話である。
私は目を開け、オーラを“出さない”ことだけを意識してみた。体の内側でオーラを渦巻かせ、だんだんと抑えて、体内で“纏”をする。それからはみ出したような部分を少しずつ仕舞っていく――と、徐々にオーラが人型になっていった。体の外には、もうほとんど出ていない。

「もっと絶つことを考えて」
「はい・・・」

絶つ。――口で言うのは簡単だし、事実簡単なのだと思っていたが、実は纏よりもずっと難しいのかもしれない。目を伏せてううむと悩む。――絶つ。絶つ。絶つ、って、なんだろう。

「(気配を絶つ。隠す。いなくなる。存在を消す。消える。)」

消える。なんとなくピンと来た。

「(きえる)」

ふっと肩を落とし、小さく息を吐く。

「(消える。・・・かつ、精孔を、閉じる)」

遮断する。引き籠る。色々なイメージを並べたて、スライドを切り替えるように次々映していく。――体内の纏が乱れ始めた。徐々に人の形を失い、風化するように靡きだす。まだちゃんとした絶になる気配はない。しかし、

「(スイッチ、オフ)」

試しにそう呟いて、ブラックアウトするテレビ画面と自分のイメージを重ねたときだった。

ふっと、オーラの流れが止まった。切り落とされたような纏の残骸がゆらりと空気に溶け、照明に掻き消されて、消える。慌てて手を見てみても、そこには何もない。流れは完全に止まっていた。

「(あ、あれ?できた・・・)」

なんだか呆気ない。というかいきなりすぎやしないか。絶がそもそも派手な技でないだけに溜めの長さが間抜けである。いや、できないよりかマシだが。

「(それにしてもスイッチか・・・)」

じわじわと感動が込み上げてくるのと、呆れたのとでごちゃごちゃしながらも、ぱっとイルミさんを見上げる。

「一回解いて。」

言われたとおり、何処ともつかない場所の力を緩め、数秒おいてタイミングを見てから引きとめて纏にする。するとすぐ「絶」と言われたので、何だろうと思いながらももう一度言われたとおりにした。合言葉はやっぱり「スイッチ・オフ」だ。なんだか癖になりそうでくすぐったい気分になる。――少年漫画っぽい。すごく少年漫画っぽい。
変に浮き浮きしていると、ふっと何かが近づいて、ぽんと頭に乗った。

はスロースターターなのかな。」

撫でるように軽く(と言ってもやはり結構な重圧を感じるわけだが)頭を叩かれて、手が離れた。と同時に私は疑問符を浮かべる。スロースターター。どこかでゴンがそう言われていた気がする。

「つまりエンジンかかるのが遅い。」

ああー。確かにゴンって決定打がないと本領発揮しないとこあるよなあ。なるほどそういう意味だったのか。納得だ。
――いや、納得の位置が違うのはわかっている。自分に当てはまるものかどうかわからなかったのだ。何せあの平和ボケした日本でふつうに生活していく分にはエンジンなんてかける必要が無い。かけたつもりはあるのだが、かかっていなかっただろう。テスト勉強はダラダラ非効率的に、もしくは零時過ぎてから慌ててやるタイプだ。それもある意味スロースターターなのかもしれないが、とにかくピンとは来ない。

「ま、なんにせよ飲み込みがいいみたいで安心したよ。この調子なら一ヶ月くらいで応用技に入れるんじゃない?」

一か月――っていうと四週間?・・・発は修行方法としては練と被るところが大きいから置いておくにしても、四週間で難しいらしい練を覚えられるんだろうか。というか一ヶ月でできたらそれは天才の域ではないのだろうか。確かにここまではトントン拍子で我ながら脱帽ものだが、調子に乗るのはあまり好きではない。羽目を外すと兄貴に精神的にボコられるという教訓が身に沁みているのである。
しかしうじうじしている場合ではない。状況は一刻を争うのだ。主に私の命のために!

「よろしくお願いします!」
「うん。」

勢いよく下げた頭にまた大きな手のひらが降りてくる。私の頭はそんなに撫でやすい位置にあるんだろうか、と苦笑しながら見上げると、イルミさんがほんの少しだけ笑ったような気がした。それもほくそ笑むようなものではない。

「今日はこれで終わり。俺は先に戻るけど、ここ開けっ放しだから好きに使っていいよ。」
「――は、はい。」

返事をしたときにはもう彼の姿は消えていた。
何秒か置いてゆっくりと閉まった扉をぼんやり眺め、私はふっと表情を緩めた。

「・・・なんだ、お兄ちゃんだなあ。」



兄貴、私大丈夫かも。





written by ゆーこ