――とまあ、怒涛のごとき話の流れだったが、兎にも角にも私はゾルディック家居候の地位を獲得したらしい。

色々と不安ではあるが、思いがけず早々と衣食住が確保できたのである。ゼノさんもイルミさんも私に対して割と好意的に見えるし、喜ぶべきなのであろう。そう、喜んでいいのだ。喜ぶんだ私。もしかすると明日の朝日が拝めないかもしれないとかそういうことは考えてはならない。

まあそれはさておき、私にはここ何年か使っていないという部屋が与えられたのだが、そこの片付けが済むまではキルアの部屋で厄介になる。ここで間違ってもキキョウさんと同室にしなかったゼノさんの采配は流石だ。――これで命の危険も半分くらいには減ったに違いない。私はひとまず胸を撫でおろす。

「・・・まない」
「キッ!!」

ぎゅむうううううう。
とりあえず無事な右手でほっぺたを引っ張ってみる。初対面なので手加減しようかとも思ったが、初対面でまな板なんぞとほざきやがったのは向こうである。それにこのキルアは若干幼いとはいえあのキルアだ。容赦せずギリギリと力を込める。
はじめは平気そうにしていた彼だが、私がマジの目になったのを見てかあるいは本当に痛かったのか数秒で「ギブギブギブ」と両手を挙げた。あまり長くやっても指が疲れるだけなので素直に解放する。

「次があれば全身全霊のビンタをお見舞いしようか。」
「おまっ、部屋の主に向かってそういうこと言うか!?居候のくせに!」
「ひとーつ、女性の体重について触れてはいけない。」
「はあ?」
「ひとーつ、女性の私生活について触れてはいけない。」
「・・・」
「ひとーつ、女性のスリーサイズは国家機密!」
「どんな国家だよ!!」

うおお鋭いツッコミ。間違いなくキルアだ。私は頷きながら、改めて息を吐いた。
――まあ、私もわかってはいるのだ。肩幅と身長がほとんど一緒のキルアの服を着ても然るべき場所が全くきつくならないんだから、お世辞にもあるとは言い難いことくらい。でもそれを試着後コンマ一秒で言うってどういうことなの。いくら男ばっかりの家だからってそれはないんじゃないの。

「サイズ合ってよかったじゃん。靴まで一緒ってのはちょっとアレだけど」
「君はこれから伸びるんでしょ。私はとっくに最大サイズに成長し終わってるよ。」
「そりゃご愁・・・いやなんでもない」
「正解。」

構えた平手をすっと下ろし、今さっき洗ってようやくすっきりした両腕を組む。
一張羅だった自前の服が自分の血によってあっさりと闇へと葬り去るべき存在となってしまったため今や全身キルアの服だが、中々どうしてダサジャージなんかよりよっぽど着心地が良い。まな板の自覚を深める結果になったのは不本意だったが、結果的には万々歳である。それにキルアが貸し出してくれさえすれば、今後もキキョウさんチョイスの服を着なくて済む。

ふっと、居候が決定するなり私を舐めるように見つめてきたキキョウさんの目(・・・か?)が脳裏を過った。マジでキスする5秒前レベルの距離から「化粧乗りがよさそうね」と呟かれたあの恐怖はキルアには分かるまい。私の顔面は自他共に認める中の中だが、なまじベースがプレーンであるばっかりに上書きすると化けるのである。自分では中々やらないが、友達にやられて逆に爆笑されたことがある。ようするに軽度のトラウマだ。

「・・・でも、それでいいわけ?」
「へ?」
「格好。まんま男物じゃん。」
「ああ、ぜーんぜん。兄貴のお下がり着て慣れてるから。」

そもそも可愛いのより格好いい方が好きだ。スカートを穿かないわけではないが、こういう方が性には合っている。まさか初対面のほっぺた抓るような奴が女の子らしいということもあるまい。分相応だ。

「ふーん・・・ならいいけど。」
「うん、ありがとね。」

笑ってお礼を言うと、キルアは一瞬ぽかんとしてから、照れたように目を逸らして「べつに」とぶっきらぼうに呟いた。流石箱入り息子、反応が初心で可愛い。

そのあたりで、私はふとあることを思い出した。しかしすぐにそれを後悔する。――途端に自覚がむくむくと膨れ上がり、目の前がぼんやりとして、ついには足がふらつきだした。我慢したかったが、してぶっ倒れても仕方無いのでおずおずと申告する。

「キルア。」
「ん?」
「眠い。」
「は?」
「おやすみなさい。」
「は!?」

キルアがまだ昼前だなんだと叫んでいるが聞こえないフリだ。しょうがないだろう、向こうは深夜だったんだから、私の体内時計では現在午前三時過ぎだ。こちらで九時だろうが十時だろうが時差ボケに逆らうことはできない。一応断ってから靴を脱いでソファの隅で丸くなり、羊を数えるまでもなく、私はぐうぐうと寝入った。





「キル、・・・あ、寝ちゃったか」

がソファの隅に蹲って寝息を立てているのを見て、兄貴はわかっていたようにそう言った。そういえばイル兄はオレと違ってこいつの詳しい事情も知っているのだった。少なからず疑問はあったのでこの際聞いてみようかと口を開きかけたが、それより先に兄貴が言う。

「たぶん時差ボケだから気にしなくていいよ、そのうち直るだろうし」

言いながら団子のように丸まったの左腕をぐっと掴んだ。そこに傷があることは本人から聞いて知っている。気になるらしく自分でも何かにつけて触っていたが、と兄貴の握力の差は一目しなくともわかりきっている。
案の定、は飛び起きた。というか声にならない叫び声を上げて、ソファの肘掛をばんばんと叩いている。口元はうっすらギブギブ、と動いているが、あんまり突然だったのでやはり声にならないらしい。

「起きた?」
「(コクコクコクコク)!!」

手荒だ。に同情しながら眺めていると、兄貴はあらためて、というような間を置いてから話し出した。

「そろそろ昼飯だよ。」

それだけのためにそんな文字通り傷口を抉るような真似をしたのか――とは後に語る。





叩き起こされて向かったのは食堂だった。
奇妙の塊のゾルディック家だが、依頼や特別な用さえなければ食事は全員でとるらしい。そういうところは案外普通なんだなあと思いながら、勧められた席に着いて料理を眺める。
――なんだろう、嫌な予感が先走って喉の辺りがちくちくする。

「・・・あ、そうそう。それ覚悟して食べた方がいいと思うよ」
「(絶対当たらなくていい予想が当たった・・・!)」

どういうことだ。修行付けるったって私は別に毒とかそういうのとは無縁に過ごすつもりである。少年漫画大好き症患者としてはもっと派手な何かしらを要求したい。かといって派手に吐血する毒を出されても非常に困るが――いやそれ以前に、これまで毒物を毒物と理解した上であえて摂取したこともない人間にいきなりそれはどういうことなんだ。うっかりジャガイモの芽が、とかそんなのが最高である。好んで服毒する趣味だってない。頼むからなるべくピュアな状態で家に帰らせてください。

「心配するな、耐性がなくても死なない程度に調節してある」

それ解決になってない、なってないよシルバさん!という気持ちをいっぱいに込めて視線を送ってみるのだが無視。ゼノさんも、マハさんも、キキョウさんも無視。最初に忠告をくれたイルミさんももう無視。ミルキさんも無視。カルト君はたまにこっちを見ているが、「早く食えよ」という視線である。よく分からないがどうやら私は早速彼に嫌われたらしかった。・・・どうしよう嬲られたり躙られたりしたら。
で、ここで唯一無視しないでくれるのがキルアだ。しかし、よかった、と一人で小さくガッツポーズをするとイルミさんには「何こいつバカ?」みたいな目で見られるのである。居心地が極限に悪い。

「(こういう時どうしたらいいの・・・)」
「(ガンバ)」

あ、どうしよう最後の砦のキルアにも見放された。

「(・・・食べる、しかないのはわかってるんだけども)」

お腹空いてるし。でも痛いのやだ痛いのやだ痛いのやだ。どうか、どうかせめてぼんやり来るやつでありますようにいやそうありやがれ、といまだかつてないほど念じながらソテーにフォークを入れた。――におい、は、ふつうに美味しそうだ。――問題は味である。

二、三度ためらってから、ええいなるようになれと口に入れ、いつも通りに咀嚼する。――美味しい、んだけど、なんだか時々舌がピリっとする。香辛料とは違うのは言うまでもあるまい。
そういえば昔母さんが言っていた。――「賞味期限わかんなかったら、とりあえずニオイがヤバい奴と、口に入れて痛いヤツは食うな」。

「(食べちゃったよ母さん)」

しかも形としては自発的である。これは死んだら自己責任かもしれないな、と半ば走馬灯のように家族の顔を思いながら、ほとんどやけくそで食べ進める。というか食べきった。根性である。

「ほお、初回から食べきるとはな。」
「(喜んでいいのだろうか・・・)」

ゼノさんに苦笑だけ返し、随分前に食べ終わっていたキルアに視線をやる。意外そうな顔だ。ちょっとどや顔をしてみると鼻で笑われたが。

「お前・・・バカ。」
「何で肯定文なんですか。」

バカじゃない、せめて従順と言ってほしい所だ。私はこれまで郷に入れば郷に従い、長い物には巻かれて生きてきた。と言ってもそんなに目立ったシステムの違いや力の違いを目前にしたことはなかったのでやっぱりどうとも言えないが、とにかくバカは言いがかりである。頭脳については紛れもなく“普通”だ。究極の平均値なのだ。

「・・・あの、ちなみに何が入ってたんでしょう」

ふと思い立ったので、今更だが尋ねてみた。するとゼノさんがどこからか密閉袋に入った乾燥した植物を取り出して掲げる。何かラベルが貼ってあるが、そういえば見覚えこそあれ文字が読めないのだった。あとでキルアに教えてもらおう、と思いながら、わからなかったとは言わずに、ただ少し首を傾げる。というか毒の種類なんてわからないので、今の質問自体ただの修辞的な文句だった。辛うじてわかるといえばトリカブトなんかの有名どころだけである。それも乾燥していればわからないだろう。

「お前さんは別に暗殺者じゃああらなんだ。とりあえず有名どころから攻めてくべきだろ。」
「(これは有り難い心遣いと思っていいんだろうか)」
「毒で死ぬ一般人と死なない一般人、どっちが長生きじゃろうな?」
「死なない方ですお心遣い痛み入ります!」

相変わらず目を合わせたら思考はモロバレらしい。がっくりと項垂れて、しかしすぐ立ち直る。――慣れよう。それしかない。

。」
「はい?」

溜息をついている所にシルバさんの声がした。条件反射で返事をして体ごと向ける。

「二時間後、様子を見て開始だ。それまで好きにしてろ。場所はイルミに案内させる。」
「はい。お願いします。」

お辞儀をして、それからキルアに目くばせする。何ってもちろん「眠い」とだ。大分酷い起こされ方をしたので、少し気を抜くだけで体がやたらと重くなる。鍛えたら少しは変わるのかな、と背筋を伸ばしながら考え、キルアが立ったのに続いて「ごちそうさまでした」と挨拶してから席を立った。
・・・背後から小さな殺気がびしばし来るのは、もう私の運命だと思って受け入れようと思う。





written by ゆーこ