乗せられた小さな飛行船を降り、薄暗い廊下をしばらく歩いていくと、重たそうな扉のある部屋に着いた。見覚えはないがなんとなくデジャヴを感じるのは中途半端な知識のせいだろう。シルバさんが扉を開けて下さったので、促されて中に入る。

イルミさんは部屋の中央で眠っていた。その奥のソファにはゼノさんであろう老人と、キキョウさんがいる。私が部屋へ五歩ほど入って背後で扉が閉まると、ふいに目の前が翳った。大きな手がかざされている。

「キキョウ。手を貸してくれる奴に手を出してどうする。」

・・・ああ、うん、やっぱりね。引きつり笑いながら若干後ずさる。――キキョウさん動きそうには見えなかったのに。やはりこの家の人はとんでもない。

「ですが不法侵入に変わりはないですわ!そんな人間をこんなところにまで入れるのは納得いきません!」
「じゃあ他にどうするんだ?条件に合う人間はどの道外部にしか居ない。」

条件?と首をかしげていると、視界を遮っていた手が消えて背中を叩く。私にとってみればけっこうな勢いだったので後ずさった分を一気に取り返して、なお有り余るほど前に出てしまった。と同時に、キキョウさんの顔も見える。包帯は無いようだが、目のアレは記憶のままだ。・・・重そうである。

「で、その侵入についてそやつは何と?」

今度はゼノさんが口を開く。今日の標語は一日一殺らしい。その一殺が既に済んでいることを祈るばかりだ。まあ、彼はおそらくキルアと並ぶ常識人だから、彼らにとってデメリットになるようなことさえしなければ大丈夫・・・のはずだ。とりあえずはキキョウさんに気をつけよう。私が気をつけてどうなるものでもないのだが。

「イルミの説明と食い違いはない。そういえば身に覚えがあるかは聞いてなかったな。どうだ?」
「それはもちろん、ない、です。」

キキョウさんの機械的な恐ろしい視線に耐えつつ、詰まりながら言うと、ゼノさんはなぜか満足そうに笑った。きょとんとしていると、彼はその微笑みを頬に残したままで言う。

「こ奴は今、ちと面倒な呪いにかかったような状態にあってな。今も話が聞こえてるだけで体を動かすことはできんだろう。」
「はあ・・・」

やっぱり念なのか、と納得しながらイルミさんの全身をざっと確認する。特に外傷はないように見える。となると操作系か特質系の念、と判断するのが妥当だろうか。なんとなく予想しながら、ちらりとだけキキョウさんのドレスを見た。

「だが解く方法はわかっておる。・・・“命を捧げること”。」
「命?」

あれ、つまりぶっ殺ってことかな。それはさすがに無理がある。たじろぐと、ゼノさんは慌てる様子もなく弁解した。

「と言っても実際に命を奪う必要はない。呪いを解くにはそれなりの儀式が必要と言うことじゃ。」
「生贄、ってことですか?」
「そう。だがその生贄になるための条件がちと厳しくてな。まず近しい位置にあってはならない上、生贄は自ら身を差し出さねばならない。そしてそこに未練や理不尽があってはならない。・・・どうだ?」

――確かに、私ならば条件を飲めそうではある。とりあえず殺されないならまあ、痛いのも百歩、いや千歩譲って我慢してもいい。手を出すなら仕舞いまでやれ、と某有名アニメ映画で言っていたし、やっぱり義理人情で動きやすい性質だし、ある種ミーハーな気持ちも多少なりとある。最初から、あんまり痛いことにならない限りは手は貸すつもりで来たところもなくはない。正しくはそこまで考えていなかったが、なんとなく覚悟はあった。
しかし“命を捧げる”までしても、もし私が実はその条件から外れていたら。澄ましてはいるが、本心では未練たらたらで、仕方ないと思い込んでいるだけで、実はこの状況を理不尽に思っていたら――きっと効果はないだろう。それが嫌なのだ。私は内心ううむと唸り、口元に手をやって俯いた。

「話じゃ、こいつを怨んではいないんだろう?」
「それはまあ、そうですが・・・」
「ですが、何じゃ?」

――私のエアリーディングスキルがまともに働いていると仮定すれば、これは絶対手を貸せという雰囲気ではない。たぶん、手をお貸ししたいのは山々ですが申し訳ありませんできませんとでも言えばその辺に放してくれるだろう。しかしろくに自然と触れ合ったこともなく、無論文無しで、身分証明すらあやふやな私が、突然そこらに放りだされてやっていけるのか。もちろん否である。
私はおずおずと視線を持ち上げ、ちらっとゼノさんを見て、頬を掻くような仕草をしながら答えた。

「・・・あんまり痛いのは遠慮頂けると嬉しいです。」

言ったものの頬がひくつく。私がマゾか何かならもうちょっと楽しめたのかもしれないが、生憎とそういう資質はないのだ。だがまあ、どちらにしろ命が懸かっているのなら、せめて人助けをしようじゃないか。キキョウさんの視線が(たぶん)柔らかくなったということはこれが正解の選択肢だったようだし、あとは「儀式」の内容に賭けよう。うんそうしよう。

「ほう、随分献身的な娘じゃのォ。」

呆れの混じった感想に苦笑いを浮かべながら、私は小声で「たまに言われます」と答えた。危険を冒してまでとか、身を呈してどうとか、時々だがそういう風に言われるのだ。しかし先に言ったように不特定の人助けには興味がない。仲のいい友達が陰湿なイジメに遭ったとか、やたら気の合う男子が一方的なケンカでやられてるとか、それほど深刻な事態でなくとも近しい人が何やら困った状況にあるのを見つければ、私は当たって砕け散る勢いで手を貸しに行く。
しかし、ここで私が身を呈するのはそういう理由ではない。確かに「イルミ=ゾルディック」は好きだし、だから手を貸そうとしている、と言っても間違いではないのだが、この人はお互い顔を認知しただけで知り合い未満の他人だ。今私が一番どうにかしたいのは、むしろ私の身の方である。
ここで断ればまず間違いなく野垂れ死に、かといって承諾してもうっかり死ぬかもしれない。しかし承諾して、死にさえしなければ、一応恩を売ったということで多少の発言力がつくかもしれないのである。いやきっとすこぶる田舎の農村とかに放り投げてくださいくらいのお願いは聞いてもらえるようになるはずだ。そうなればそれが今のところ私が思いつく中では一番安全で、角の立たない選択肢である。しかし今のうちから取引を持ち出すのはいくらなんでも恐れ多くて無理がある。
ひとり頷いて視線を切ると、ゼノさんはどこからかナイフを取り出した。

「安心しろ、たいして痛まん。多分な。」
「たぶっ・・・、!?」

いつの間にかゼノさんが持っていたはずのナイフがイルミさんの手にあった。そして彼は今まで眠っていたのが嘘のように起き上がり、手術台的なあっさりした作りのベッドから音もなく降りてゆらゆらとこちらへやって来る。
――ほ、ホラーだ!ホラー映画だ!どこかで見たことあるような光景に一瞬頭が真っ白になりかけたが、なけなしの理性で五感をフル稼働させ、隣のシルバさんの言葉を聞く。

「念、って知ってるか?そいつにかかってるのは殺意に反応して体の自由を奪う念だ。“儀式”に入るまでは半永久的に金縛りにあったように動けなくなるらしい。――イルミ、加減しろよ。」
「わかってる。ある程度血を流せばいいんでしょ?適当に止血しやすいとこ切って止めるから」

人形顔が一度迫り、相変わらず兄貴の怒った顔を彷彿とさせる目で私をじっと観察し、それからまた離れて行く。

「さっきはどうもありがとう。」
「へ?あ、いえ」

無表情なのでイマイチ感謝された感がないが、まあいいのだろう。変に表情があっても(たとえば笑ったり)怖い。すげえ怖い。

「腕出して。ていうか上着脱げるなら脱いだ方がいいよ。いくら血を出せばいいって言っても、ちょっと切ったくらいじゃ意味無いみたいだし・・・汚れるよ?」

中学の時のジャージだから別にいいんだけどな。しかしまあ、今はこれが一張羅になるわけだし、お言葉に従っておこう。頷いてファスナーを下ろし、いわゆる芋ジャーを脱いで私服の半袖Tシャツになる。脱いだジャージは迷った末、シルバさんの目配せに従ってイルミさんが横たわっていたベッドに置かせてもらうことにした。

「じゃ、いくよ。」



――とりあえず、何が起きたかわからなかったことだけ言っておこう。



「う、わ!?」

何かがぶつかった。見えるものは何もなかったが確かにそう感じて、私はとっさに喉を庇ってしゃがみ込む。が、息を吸えば何か言いようのない熱い空気が膨れ上がるように気管を押し広げ肺の奥をぐっと押して、息を吐けばその空気で声帯がおかしくなりそうだった。

「(何だこれ)」

喉を押さえながら必死で考える。周囲の音は聞こえなかった。耳の奥では炎が燃え盛るような、爆風が吹き付けるような音がごうごうと渦を描きながら轟いている。ふと手を見れば、やたらノイズの入った視界には、赤く染まった左手と、それを覆うものがあった。濛々と立ち昇る、明らかに屈折率の違う二つの「空気」。

「(うそ、精孔開いた!?)」

何で、は嘆く前にわかった。念の解除がそこまで生易しいわけはない。彼が負っていた分私が受けたとか、そんなところだろう。
――いや状況判断なんてしてる場合じゃない。私は周囲を確認するのも忘れて目を閉じた。――纏。纏しなきゃぶっ倒れる。・・・いや、明らかに血減ってるし、もしかするとこの上衰弱したら死ぬのかもしれない。――嫌だ。それは駄目。

「(血・・・血が巡ってるイメージ、血が巡ってるイメージ)」

喉にやっていた右手を左手にやってそっと血を辿り、傷を探る。肘の上、腕の内側にそれはあった。こ、このへん動脈なかったっけ、と僅かに動揺しながらもそこに右手を当て、どくどくと流れてくる血をただ指の間から逃した。

「(だんだん留まる・・・)」

しばらく流れるイメージをしてからだんだんと指を狭め、確か止血点だったろう場所をぐっと押す。違和感が腕全体を走ったが、気を取られている場合ではない。私は懸命にオーラを探り、それが体に留まる様子を想像しながら、必死にイメージを形にする。できなければ死ぬ。死んだら帰れなくなる。

――神様とやらがせせら笑っている気がした。よりによって一番恐いタイミングでこんなことにしておいて、その上いきなり二回も死にかけているのだ。もうこれは神様の悪戯どころか神様の悪行である。一体私が何をしたというのだ。このままじゃ兄貴に殺される。死んで神様のもとに行くのだとすれば、何がどうあっても一発二発はぶん殴ってやる!

罰当たりなことを考えながらイメージをぐるぐると身体の中に巡らせていると、ふいに流れ出て行くような感覚が止んだ。私ははっと目を開いて、弾かれたように顔を上げる。

「・・・驚いたなぁ。」

気づいた時には轟音もノイズも消えていた。イルミさんはしゃがみ込んだ私の正面に立っていて、そう呟いたまましばらく私を眺めて、それから屈むと、血みどろの両手を取って左手から右手を引き剥がし、ぐっと持ち上げた。何やら紐状のものが肩のすぐ下できつく縛られ、傷には包帯が手際良く巻かれていく。

「もしかして念知ってた?」
「知識、だけは・・・」

さく、という音がして包帯が切れ、端が軽くたたまれ、無難にテープで留められる。一部始終を眺めながら、私は左手を動かした。少し感覚がぼやけている気がするが、特に問題はなさそうだ。

「それでわざわざ執事邸まで運んだのか。」

シルバさんに頷き、それから曖昧に笑っておく。厳密にはそこまで考えていなかったが、まあ間違いではないのでいいだろう。するとゼノさんが言った。

「じゃが、お主見たところ普通の娘じゃろ?普通に生活しとって知るもんじゃないと思うが。」
「・・・私の地元なら、知ってる人は知ってます。ただの情報として。」

嘘は言っていない。ふらつきながら立ち上がると、案の定くらくらした。足元の血溜りは私の物差しで言えば既に死んでいていい大きさだ。生きた心地がしない。

「知っているが、使わない――という意味か?」

シルバさんが尋ねた。私は視線を彼へ向けて、頷くような傾げるような半端な相槌を打つ。

「使えない、の方が正しいかもしれません。私には判断できかねますが・・・」
「どういう意味だ?」

やや鋭い切り返しにたじろぎ、どう答えたものかと思考を巡らす。しかしいよいよ頭に血が回らない。目を閉じると足元が歪むような感覚がした。

「・・・すごく違うところから来てるみたいなんです、私。」
「違う・・・?」
「ここ・・・ククルーマウンテン・・・ゾルディック家ですか?」

少し目を開いて、私は訊ねた。――どの人を見てもそうとしか思えないから、もう訊くまでもなく、ほとんど確信している。けれど最後にもう一度確かめておきたかったのだ。

「そうだ。」

あっさりと帰ってきた肯定の言葉に、私はまた目を閉じた。しかしすぐに開いて、シルバさんとゼノさんとイルミさんとキキョウさんの顔を順に見る。

「・・・言い方は色々あると思いますが」

視線を落とす。私の足元だけが赤い。足を引き摺ってみると、掠れることなく血の帯が伸びた。これが全て自分の血だと思うと肝が冷える。しかし恐怖心が湧きあがって来るより早く、私は血の匂いのする空気を吸い込み、顔を上げた。

「――信じてもらえる嘘を吐くのと、信じてもらえない事実を言うのと・・・どちらがいいですか。」






written by ゆーこ