2.結んで開いて手を打って



 半ば引きずられるようにしてジンが拠点にしているという小屋へ向かう道中、いろいろな話をした。

 ジンは私の知らないどこかの島の出身で、どうやら同い年で、べらぼうに運動神経が良く、プロハンターなる仕事をしていて、今はこのとんでもない山の動植物について調査をしているらしい。
 全くわけのわからない経歴だね、と素直な感想を言ったら、お前に言われたくないな、と笑われた。
 私のほうからもいろいろ話をしたけれど、きちんと一から説明ができたことと言えば、つい最近まで流星街という場所にいたこと、どうやら一度死んでいるらしいこと、そしてそれを面白がった少年に軟禁されていたことくらいだ。そのほかは切れ切れに、頭が悪いことを裏付けるような赤点の記憶や、いつも言われていたのであろう不名誉な台詞がふわふわ浮かんでくるだけだった。

「それでお前、どのくらい森に居たんだ?」

 小屋に着いて一息入れたところで、ジンは改めてそう尋ねた。私は座り込んだ足元で燃えているガス缶の炎と、それに添えられた小さな五徳の上でかたかた言い始めた銀色の小鍋を眺めながらたっぷりと考えて答える。

「うーん……一週間くらいはさまよってたんじゃないかなあ」
「徒歩で?」
「うん。でも出れないから、おとといくらいから諦めて川で遊んだり岩によじ登ったり、いろいろしてたよ」
「だからやたら汚れてんのな」

 ジンは頷いて、使い込んだ金属のマグカップを投げて寄越した。なんとか落とさず掴んで、取っ手に手を入れてじっと持っていると、つい今しがた火から上げたばかりの銀色のお鍋から熱いお茶が勢いよく注がれた。

「体温下がってんのは元からか?」
「低いかな?」

 自分であちこちぺたぺたと触ってみたがよくわからない。とは言っても、そもそも他人と比べることがあまりないので、ジンが低いと思うならそうなのかもしれない。温かい飲み物でも飲んだら少しはマシになるだろうか、と貰ったばかりのお茶を啜る。

「火傷すんなよ」
「熱くないよ?」
「沸かしすぎたからスゲー熱いぞ」
「……もしかしたら痛覚とかも死んでるのかもしれないね」

 そうだ。考えてみたら流星街で拾われてから今まで、身体が痛いと思ったことがない。ガラスや金属が散らばっているゴミ山を裸足で歩いていたけれど、人に言われるまで靴を履いていないことも忘れていたし、かといって何か踏んで怪我をした記憶もない。逃げそこねてクロロ君に腕を折られそうになったときはさすがに痛い気がしたけれど、べつにつらくて泣いたりしたわけではない。ただいやな感じがして、折られそうになっているのがわかっただけだ。
 もしかすると、いろいろなことに対して鈍くなってしまったのかもしれない。私が一人で納得していると、ジンは首を傾げながら尋ねる。

「ようするに、普通の人間とどう違うんだ?」

 どう、と言われると困ってしまう。そういうのを言葉で説明するのはあまり得意な方ではない。
 私はカップの中の茶色い水面を眺めながらまたしばらく考え込んで、はたと気づく。 

「ここに来てから何も食べてないや。あ、寝てもないかも」

 ジンの驚いたような視線がじっと注がれる。意思の強そうな顔でも、目つきの柔らかい感じのせいか、クロロ君に凝視されたときのように怖いとは思わなかった。ぼうっと何か言われるのを待っていると、彼はちらっと斜め上を見るような仕草をして、急にもとの気のよさそうな表情に戻った。

「まあ、つまるところ、変な奴ってことだな」

 と、あまりにも適当に言うので、私は拍子抜けして頷きそこねてしまった。ジンはやっぱり、世間話でもしているみたいな、ふつうの顔をしている。

「しばらくここに居ろよ。お前一人でこの山を下りるのはムリだろうし」
「……いいの?」
「日中は調査でいねーけど、今まで一人で平気だったなら何とかなるだろ?」
「それは、そうだけど」

 頷くのも、首を横に振るのも何か違う気がして、私は少し黙り込んだ。
 私は自由を奪われるのが嫌で、だから流星街のあの子たちのところから逃げ出した。それは今でも正しかったと思うし、やっぱり私は自由でありたい。
 でも、ここでひとり過ごしている間、幸せだったかというと、そういうわけでもない。
 たぶん本当は誰かと一緒にいたい。誰でもじゃなく、一緒に遊んでくれるような誰かと。

「……うん、よろしくお願いします」
「おう」

 かしこまって深々と頭を下げた私を見て、ジンは思い切り笑った顔をした。明るい人だなあ、と頭で考えて、数秒してからつられて笑う。
――彼とはいい友達になれそうな気がする。
 きっとみんなそう思うんだろう。ジンはたぶん、そういう人だ。