2.はじめましてよろしくおねがいします
盛大に事故られたせいか豪快に血まみれだった私は目からビーム君(仮)に引っ張られてツリ目のかわいい女の子のお家に放り込まれ、されるがままに手当を受けて血まみれの服を着替えると、再びビーム君(仮)に引っ張られてガスマスクを被った不思議なおじさんと対面した。
話が難しくてよくわからなかったが、なんでも私は「新入り」らしい(あの世の?)。
「です」と名乗ると、ビーム君(仮)がちらりと私を見た。そういえばさっきは別の方を言ったかもしれない。どちらにしても本名由来のあだ名なので似たようなものだ。
そして(途中知らない人に色々もらったり立ち話したりしながら)ビーム君(仮)のお家らしき場所に辿り付くと、彼は今ちょうど思い出したというふうに名前を教えてくれた。クロロ=ルシルフル君というらしい。何人だ。どういう字を書くんだ。というか日本語お上手ですね。などと思ったりはしたが、まあ、あの世でそれはナンセンスだろうと閉口した。十年以上言われ続けてきたので、喋り過ぎて人を困らせる短所があることはわかっている。一応。
「で、君は結局なの?なの?」
「どっちもだよ。どっちかというとかもしれないけど」
頻度的には。正直どっちでもよかったので、乾いた血でがびがびに固まった髪を弄りながら適当に答える。クロロくんは何を考えているのか、無言で私を観察している。
手持ち無沙汰の私は物の少ない室内を見まわし、ひび割れたガラスがはめ込まれた窓の外に連なるゴミの山々を眺め、ふうんと唸る。
変な所だ。スラムというには人々はなんとなくきちんとしているし、たくさんの物がある。ただ、そのほとんどはゴミのようにがらがらと無造作に積み上げられていた。でもゴミにしてはずいぶん小ぎれいなものもある。正面の窓からちょうど見える山の机や椅子やロッカーなんて特に、絶対うちの学校の備品のほうがボロだ。
「本名は?」
「。クロロ君風に言うとかな」
がファーストネームだよ、と付け足すと、クロロ君は何やら不思議そうに首を傾げた。
「ジャポン人か?」
「(ぽ?)日本人だよ?」
「なんだ、それは」
「あれ?」
日本って別にマイナーじゃないよね?少なくとも世界地図ではわかりやすい感じの国だよね?小さいけど。まあ、クロロ君十一、二歳だろうし、ここ教育環境よさそうじゃないし、変ではない。
まあまあとごまかして、私は話題を変えた。
「ところで、さっきの可愛い子はカノジョさん?」
「マチのこと?あいつは男に興味無いよ」
「え、百合の人?」
「百合?」
クロロくんが可愛らしく首を傾げて聞き返すので、直球な言い方をするのがなんとなくためらわれた。なけなしの引き出しをひっくり返して「女の園的な?」とふんわり表現すると、彼は「ああ、そういう」と冷静に頷く。察しのいい少年だ。
それにしても、マチ。マチちゃん。ほんとうに可愛い子だった。可愛い上にあんな首の皮一枚ならぬ背骨一本でつながっている傷ををきれいにもとの形に戻してくれるなんて、天使か魔法使いに違いない。
自分のお腹をくるくる撫で回しながら彼女の鮮やかな針さばきを思い返す。マチちゃんにも「なんで生きてんのそいつ」と言われたけれど、いや、死んでるけど、こんなのをよくもまあ、どうにかしてくれたものだ。おかげさまで死体のくせにピンピンしている。まあ心臓とかはさすがに止まってるだろうけど。
胸に手を当て、静かに目を閉じる。
「……あれっ?」
「なに?」
「あ、いやこっちの話」
クロロ君から目を背けて、もう一度じっと心臓の鼓動を確かめる。手のひらには小さく震えるような感覚が確かに伝わってくる。
――気のせいじゃない。
手を擦り合わせれば感覚がある。でもあんなにちぎれていたお腹は少しも痛くない。胸に手を当てれば身体に温度があるのがわかる。でも塞がる前のお腹からは一滴の血も流れなかった。
もしかして、そもそも死んだというのが気のせいなのだろうか?これもぜんぶ気のせいで、夢なのかも。いやまさか。夢や気のせいであんな死に方をさせられてはたまらない。
ぶつぶつひとりで考えていると、クロロ君が突然私の顔を覗き込んできた。真正面から見てみると、彼もかなり可愛らしい顔立ちをしていることがわかる。
彼が動かないのでそのままじっと見つめ返していると、今度は手首を掴まれた。しばらく黙り込んだかと思うと彼は急に立ち上がって、何も言わずに外へ出た。私も引かれるまま裸足でよたよたとついていく。
そしてしばらく歩くと、何やらガタイの良い少年たちがたむろする場所に辿り付いた。まさか今度はリンチ?という顔でクロロ君を見てみたが、反応はない。どうやらひときわデカイのの横で珍しそうにこっちを見ている、大人っぽい容姿の女の子に用があるらしい。
「パク、こいつを見てくれ」
「え? いいけど……見ない子ね。どうかしたの?」
「さっき落ちてきた。フィンが言ってなかったか?」
「ああ……って、アレ人が落ちた音だったの?」
「色々聞きたいことがあるんだが、本人がわかってない」
それはおっしゃる通りだ。落ちてきたなんて初めて聞いたし、派手にぶつかったせいか記憶もあやふやだ。たしか学校に行って、いつもどおり帰ってくる途中だったはずだけれど、今はそのくらいしか思い出せない。
パクちゃんのきれいな金髪が目の前でゆれて、長い指が私の手を掴んだ。握手?と握り返せば、やけに真剣に尋ねられる。
「あなたは、何者?」
「……死にモノ?ちがった、死人だ」
「は?」
何を言ってるんだ、とでも言いたそうな顔をしていた彼女が、ふと何かに気が付いたように手を離した。そして私のお腹のあたりを見て、顔を見て、クロロ君を見る。
「……本当よ。車に轢かれて……体が千切れてる。生きてるはずがない」
彼女の言葉を聞くなり、ガタイの良い二人がぬっと立ち上がって私を覗き込みに来る。あまりの威圧感に私は思わず後ずさりした。
「普通の人間に見えるけどな」
顔に大きな傷のある、少し顔色の悪い少年が言う。既にかなりの強面だが、口調は案外穏やかだ。反して獣のような少年は私を極限まで睨みつけ、荒々しく離れていく。
それと入れ替わりに、眉無しの、私より数センチだけ背が高い少年がやって来た。なんとなく見覚えがあるような気がして首をかしげ、あるだけの記憶を引っ張り出してしばらく考えてから「ああ!」と合点を打つ。
「さっき会ったね!」
彼はきょとんとした顔をしたあと、怪訝そうに「会ったっつーのか?」と低い声を出した。
「まあ、言いようによっては?」
「なんだそりゃ」
あのときは、もしかしたらまだ身体がふわふわ浮いていたのかもしれない。幽体離脱みたいに、だめになった身体を抜け出して、どこかへ行こうとしている途中だったのだ。きっと。それがどうやってここへ落ちてきたのかはわからないけれど、あれは夢や気のせいなんかじゃない。
「えーと、です。死人です。よろしく」
