9時半を回ったところで、飛行船はようやく目的地に到着した。
 船内のアナウンスに従ってぞろぞろと移動する受験生の人数を数えながら、私も順番にタラップを降りる。
 残ったのは私を含め40名。正確な“本来”の人数は覚えていないが、4次試験に残るはずのメンバーは全員揃っているようだから、問題はないはずだ。
 一息ついてから周囲の景色を見渡す。地上に真っ直ぐに突き立てた巨大な筒のような塔の天辺は、だだっ広く突起ひとつ見えない。

「何もねーし、誰もいねーな」
「一体ここで何をさせる気だ?」

 すぐ横からそんな呟きが聞こえてくる。それを聞いてか、あるいは台本通りにか、タラップのそばで待機していたマーメンが話し始めた。

「ここはトリックタワーと呼ばれる塔のてっぺんです。ここが三次試験のスタート地点になります」

 ほかの受験生の反応をひとまわり見回してから、足下を見る。塔は中心からでは地平線も見えないほど高く広く、屋上は硬い石で造られている。爪先で叩いてみても、下に空間があるかどうかはわからない。

「さて、試験内容ですが……試験官の伝言です」

『生きて下まで降りてくること。制限時間は72時間』

* * *

 隠し扉は案外簡単に見つかった。しかも、おあつらえ向きに2つ並びの、1グループ用と思われる扉だ。ギタラクルを誘って降りてみると、扉は予想通りひとつの部屋に繋がった。

「よく気が付いたね」
「たまたま扉に乗ってたみたいで」

 運がよかったと言うべきか、“知っている"からこそ違和感に気づいたと言うべきか。どちらも正しいが、その違和感の正体を調べようと立ち止まったところがちょうど仕掛け扉の上で、危うくそのまま落ちていくところだったことは黙っておこう。

「上の人数減ってなかったし、一番乗りかな」
「ちょうど2人用でよかったですね」

 まあ、本当によかったかどうかはこの道の試練次第なのだが。見たところ物騒な仕掛けはないものの、わざわざ2人組を作らせたあたり、“原作”相当の面倒なルートなのかもしれない。
 部屋を見回すと、ちょうど背後の壁に『双子の道』と書かれたプレートが設置されていた。プレート下部の説明文に目を通そうと近寄ったところで、頭の上からノイズ交じりの声が降ってくる。

『さっそく揃ったようだな。おめでとう、キミたちが最速スタートだ』
「やっぱり」
「こういうところで運使ってもなー」

 私がぼやいている間にも、試験官だろう男はスピーカー越しに淡々と説明を加えていく。

『このタワーには幾通りものルートが用意されており、それぞれクリア条件が異なる。そこは双子の道。2人の行動が一致しなければ進むことはできず、2人揃っていなければゴールすることもできない!どちらかが脱落した時点でもう一方も失格となるので注意してくれたまえ』
「だってさ」
「努力します……」

 言い方からして、2人でなければ先へ進めないような仕掛けや試練が用意されているのだろう。つまり、私が使い物にならなければ問答無用で針を使われるということだ。それは可能な限り避けたい。

『説明は以上だ。では、健闘を祈る』

 マイクを切る音を最後に、部屋はふたたび静まり返った。ギタラクルは少し考えてから、私を見下ろして自分の顔を指差す。

「顔戻していい?」
「どうぞ」

 針を抜いているギタラクルを待ちながら、改めて部屋の様子を確認する。
 広さはおよそ10畳ほど。廊下のように細長い形をしていて、短い辺は3メートルもない。そして距離の遠いほうの向かい合った壁面に、赤と青2つのボタンがそれぞれ設置されている。出口らしきものは長辺側の壁面中央に向かい合う形で2つ。Aと書かれた赤い扉と、Bと書かれた青い扉だ。急造なのかわざとそうしているのか、ボタンと扉は壁伝いにコードで繋がっていて、扉の真上にランプが二つついている。同時に通電させることで扉が開く仕組みのようだ。比較的単純な構造で、見る限り罠が仕掛けられている様子はない。

「さっそく分かれ道かー」

 振り向くと、よく知った顔が私の手元をのぞき込んでいた。

「どっち行きます?」
「オレはどっちでもいいよ。仕掛けがあっても苦労するのだし」
「そうなんですけど……」

 もし彼が“原作”でもこの道を通っていたのなら、基本的には彼に任せるのが安牌だ。とはいえ私にそれを確かめる術はないし、私が扉を見つけてしまった以上、すでに脇道に逸れている可能性も高い。彼の進路を私が選ぶのは気が進まないが、私がここに来ている時点で後の祭りなのだ。どうせ一蓮托生なら、悩んでいる時間がもったいない。
 ぐだぐだと考えながらも赤いボタンを指差すと、彼は黙って頷いて反対の壁へ向かった。

「せーの――」

* * *

 危惧したとおり、『双子の道』は“原作”に負けず劣らずの難コースだった。

 迷路のように入り組んだ通路で分かれ道のたびに2択を迫られ続ける。別々の部屋で1人ずつクイズを出題され、2人の回答が一致しないと冒険映画でしか見ないようなアナログで大袈裟な罠に襲われる。補給場所かと思いきや突然制限時間つきの脱出ゲームが始まる。3時間かけて5階分降りたと思ったら次の30分で3階分は登らされる――等々、率直に言って腹の立つ構成だ。これを昨日今日会ったばかりの相手と組んで攻略しようとするなら、かなりの協調性と忍耐力が必要になるだろう。
 その上、二択やクイズで選んだ道が正解か不正解かは提示されない。罠が発動するのも「回答が一致しなかった」からであって、不正解だからではない。正解を選んでいれば近道へ進めると信じたいところだが、2人とも正解がわからず適当に選んだ道は次の部屋へ続き、小学生でも間違えないような知識問題で選んだ道は逆戻りだったのだ。もう何が“正解”かもわからない。

「ここまでくると、もはや哲学ですね......」
「正解不正解関係なく、試験官側である程度ルートを操作してるんじゃない?これだけ分岐があって他の受験生と一度も鉢合わせないとか、塔のサイズ的にありえないだろうし」
「たしかに......」

 3次試験参加者は全部で40名。ソロのルートから5人ひと組のルートまで人数割りは様々だが、同時に制御できない数ではない。私たちが通ってきたルートにも”原作”で見たような仕掛けがあったし、彼の言う通り通路や扉は恣意的に選ばれていて、何組かは同じ場所を時間差で通過しているのかもしれない。どれだけ早く攻略できるかはクイズの答えではなく、意見を合わせて罠を発動させないチームワークにかかっている――といったところだろうか。もちろん、本当のところがどうなのかは私の知る由もないことだが。


 もう何問目かもわからない2択クイズに答えて開いた扉をくぐり、石の廊下を進むと、少しひらけた空間に出た。広さは闘技場のリングおよそ2つ分。これまでの部屋に比べれば天井も高いが、主人公組が”原作”で試練官と戦った場所よりはずっと手狭に感じる。壁も床も同じような石造りで、奥に見える堅牢な鉄の扉以外に特別な設備はない。あるのは――いや、そこにいるのは、ケープのフードを目深に被った、2人の男だけだ。

「ようやくだ」

 男のどちらかがそう呟いたのと同時に、彼らの手首から手枷が外れた。重い音を立てて床に落ちたそれを素足で蹴飛ばしながら、男たちは無造作にケープを脱ぎ捨てる。布の下から現れたその鏡写しのような2人の容貌に、私は見覚えがあった。

「あ、バンドルス兄弟」
「誰?」
「知りませんか?何年か前に捕まった双子の殺人犯ですよ。求刑懲役250年、2人合わせて500年って煽りでちょっと前にも話題になってた」
「おまえ変なとこミーハーだよね」
「否定はしませんが」

 もちろん偶然知っていたわけではない。有名人であることは事実だが、この試験に超長期刑囚が出てくることを知らなければ経歴まで調べなかっただろう。

 バンドルス兄弟は今から10年ほど前に活躍した世界トップクラスの格闘家だ。しかし、彼らの恩師である格闘家ジェイン=リー氏の変死事件で容疑者にあげられたことをきっかけに、人気絶頂のうちに表舞台から引きずり降ろされてしまった。

 それでもその人気が消えることはなかったし、彼ら自身もやり方を変えようとはしなかった。狂信的なファンとパトロンがすぐに彼らを支援し、二人は地下でふたたび“試合”を始めることになった。――明け透けに言えば、悪趣味な金持ち向けの殺人ショーだ。

 形骸化した「同意書」を免罪符に行われた虐殺の犠牲者は延べ数百人とも言われ、その“試合”を撮影した動画は今もネット上で転載され続けている。事件現場の俗称である「オルカ地下闘技場」は、ネットユーザーの間では「検索してはいけない言葉」のひとつとしても有名だ。

 しかし、彼らは殺人犯であって殺人狂ではない。箍が外れているのは事実だが、彼らの殺人はあくまで利益のためだ。損得勘定をする思考回路があるなら対処のしようはある。

「さて、説明をしよう。奥の扉を開けるには鍵がふたつ必要だ。ひとつは俺が」
「もうひとつは俺が持ってる。もうわかるだろう?」
「ふたりとも倒して両方手に入れろってことですね」
「その通り。そして鍵は両方同時に使わなければクリアできない」
「お前たちのどちらかが死んだら、その時点で試合終了だ」

 ここまではおおむね予想通りの展開だ。私は軽く頷いて問いかける。

「それで、どんな“試合”をするんですか?」
「俺はデスマッチを希望する」
「同じく」

 これもまあ、予想通りといえば予想通りだ。それをやって囚人になったというのに性懲りもなく何を言い出すんだ、というのが正直な感想だが、そこで自省しないからこその超長期刑囚なのだろう。

 それより問題なのは、世界トップの格闘家であったはずの彼らが完全に力の差を見誤っていることだ。私が舐められるのは仕方ないとして、擬態を解いているイルミさんに全く気づかないのはいただけない。

「命のやりとりはしないほうがいいと思いますけど……」

 申し訳程度に忠告を添えて出方を窺ってみたが、双子の反応は変わらなかった。余裕の表情で私の言葉を聞き流し、そのままイルミさんのほうへ顔を向ける。

「そちらの希望は?」
「とくになし」
「多数決ならこちらの案で決まりだが……不満そうな顔だな」
「では、これならどうだ?」

 双子はそう言って意味深に笑うと、指先ほどの長さの細い鍵をポケットから取り出して見せる。私がまさかと思った瞬間、二人はそれを躊躇なく口へと放り込んだ。太い首が獲物を呑んだ蛇の腹のようにごくりと動く。

「お前が殺しをしたくないというなら鍵が出てくるのを待ってもいい」
「あとはそっちで相談して決めてくれ」

 誘いに乗るのが正解だったか、と苦い顔で隣を見ると、イルミさんはすでに消えていた。数メートル後方の壁によりかかって腕組みしながら、お好きにどうぞとでも言わんばかりにこちらを眺めている。

――がんばって。

 彼の口がそう動いた。あれは完全にやる気がない顔だ。というより、単に私にやらせたいのだろう。私は今までこの手の果し合いで無事に勝ったことがない。

「……試合はひとりずつ?それともまとめて来るんですか?」

 私がため息交じりにそう言うと、双子は面食らった様子でお互いの顔を見合わせた。

「いや……どちらでも構わないが、いいのか?あんたの相方は戦う気がなさそうだ」
「そうみたいですね」
「片方でも死んだらその時点で脱出不可能になるぞ」
「死んだら、でしょ」

 鞄を下ろして上着を脱ぎ、胸元のバックルを外してナイフをホルスターごと床に投げる。自由になった上半身を軽いストレッチで解しながら、私は双子に諦めの目を向けた。

「今さらですけど、命をかけないほうがいいのはそっちですよ。殺さなきゃ勝てないなら勝ち目ないし」
「大層な自信だな。自分は死なないとでも?」
「殺せるように見えます?」

 双子はほんの少し訝しげに表情を曇らせたが、やはり忠告の意味には気づかないようだった。私は彼らが目配せしあって同時に襲いかかってくるのをまっすぐに見つめながら、その腕が振りかぶられるのを待つ。


『 ch.null <模倣犯ニュートラル> に 移行します 』

* * *

 は根本的に、生死にあまり頓着しない。他人の死に同調せず、自分自身の命にも本人が言うほど執着してはいない。

 しかし、彼女はすでに“常識”によって入念に教育されていたし、“普通”であることを強く望まれて育った。――“常識的に考えて”、人殺しは罪であり悪いことで、人が死ぬことはよくないことだ。“普通”に生きたいなら殺してはならないし、みんなが悲しむから死んではならない。そう刷り込まれている。

 だからこそ、彼女には人殺しのための能力が必要だった。それが<模倣犯ニュートラル>だ。

 は自分を“普通”であり、そうでなければならないものと認識している。しかし実際には、彼女の本質は不定形だ。必要な知識や技術は何であれ身につける貪欲さがあり、不要であれば切り捨てることもできる。意識して中立を守らなければ簡単に傾いていく。これまで「一般の平均」を維持することができていたのは、彼女を育てた人間がそうなれと抑圧したしつけたからでしかない。良くも悪くも逸脱を咎められたからこそ、毛色の違いを悟られないよう中間を選ぶ癖がついた。幼少期からの刷り込みで、本人はそれを自分自身の性質だと勘違いしている。

 自己操作を主軸とする能力に於いて、その認知のズレは致命的なバグを生む。だから設定当初、彼女の能力は正しく動作しなかった。<模倣犯ニュートラル>は言わば、そのバグを合理化するための自己修復システムなのだ。
 不特定多数を母情報とするそれを完全に収録することはできず、チャンネルに2つ以上の空きがある限りはナンバリングも確定しない。番号がないからリモコンからは選択することができず、自分を殺そうとする者が現れたときだけ自動で切り替わる。
 完成しない、正式なチャンネルではない、自分の意思では選べない――つまり、自分のものにしたわけではない――と線引きいいわけをすることで、どうにか折り合いをつけようとしている。

 本当は、その気になれば素面でいくらでも殺せるはずだ。家族から与えられた愛情のろいによって、その選択肢を封じられているだけのこと。針を刺すことができればどうとでもしてやれる問題だが、あの能力を潰してしまうのは惜しい。


 しばらくすると音が止んだ。首のねじれた男の死体がふたつ、石の床に積み重なっている。念ありの殺し合いなら彼女のほうが圧倒的に有利だったはずだが、今朝整えたばかりの容貌は見る影もなく荒れていた。

 殺し方を選ぶくらいの自由はあるだろうに、彼女は相手の手口を真似ることしかしない。「もうちょっとキレイに殺ればいいのに」とこぼすと、彼女は「私に言わないでくださいよ」と言いながら死体を引き摺って仰向けに並べ、豚や魚を解体するのと何ら変わらない手つきで淡々と胸を割きはじめた。オレはその様子をまじまじと見つめながら、感心したような、腑に落ちないような気分で腕組みをする。

って内蔵抜くの好きなの?」
「誰の趣味がモツ抜きですって?」

 彼女は背を向けたまま「不名誉だ」という声でそう言う。それでも死体のはらわたを探る手は止めない。

「……心臓の盗み方教えようか?」

 わざと脈絡なくそう言うと、は今度は動揺と呆れの混じった表情でこちらに振り向いた。

「結構です」
「位置はここ」
「……聞いてないですね」

 背中から心臓の位置を指先で突くと、はわかりやすく硬直して俺を睨んだ。危害を加える意思があったわけではないが、彼女でなければこの時点で死んでいただろう。カルトの癇癪がなくなっても彼女が防御を弛めないのは、オレがこうしてからかいすぎたせいもあるのかもしれない。

「肋骨の隙間を見極めるのにコツが要るけど、の手の厚みならこう、真っ直ぐ差し込んだらすぐに届く。この方向だと腕の位置によって肩甲骨が邪魔して盗みにくいことがあるので、基本的にはすれ違いざまに正面から持っていくのがオススメ」

「あとは撫でるように手首を回して血管から切り離す」

 血まみれの手を背後から持ち上げて動かしてみせながら表情をうかがう。もうこちらを睨んではいなかったが、呆れ半分の伏し目で遠くを見ながら何かを考えている。

「やってみる?」
「みません」

 きっぱりと断りながら、彼女はオレの手に何かを握らせた。双子が飲み込んでいた扉の鍵だ。オレがそれを眺めている間に、はコツを掴んだとばかりに双子のもう一人の胸から鍵を抜き取って立ち上がった。

「早く行きましょう」

written by ゆーこ