3.ライト、ブレーキ、クラクション



 1階の窓はほとんどが開かない構造になっており、中庭に抜けるための通路と非常口には燕尾服を着た念能力者が立っている。2階から上の窓も同様で、非常口の鍵はこともあろうに二重にされていた。屋上のプールにも能力者がひとり。全員同じ装備に見えたから、おそらく同じグループの人間だ。
 そして1階の外周を守っているのは、たぶん誰かの念能力だ。あの視線は人間ではない。監視か感知の能力か、何かを操って兵隊を増やせるタイプの能力を使う人間が少なくともひとりいる。それが中から見えた能力者のうちの誰かなのか、外にまだいるのかまでは判別がつかない。

 頭が痛くなってきたが、ようするにつまり、完全に封鎖されているということだ。――まさかここまでされているとは。このホテルにはよっぽど凄い何かが潜んでいるらしい。

 消灯された宴会場の椅子に座ってぐだぐだと時間を潰しながら、私は大きく溜息を吐いた。
 上階の大広間で戦闘が始まってから数分が経過したが、さっき見た限り出口を塞いでいる能力者たちは動く気配がない。ということは、彼らはこのホテルにいる誰か(もしくは何か)を守っているのではなく、ここから逃げていくものを阻んでいる――つまりあの暗殺者側の人たちだ。

 戦闘のドサクサでなんとかならないかと思っていたけれど、外の気配が暗殺者側の人間の能力となると厄介だ。感知型の能力者との相性ははっきり言って最悪なので、もう大人しく嵐が去るのを待つしかない。

 私が2度目の大きな溜息を吐きだした瞬間、上階の気配が極大まで跳ね上がった。そして体が揺れるほどの轟音とともに、暗い宴会場にシャンデリアの光が降り注ぐ。

「げ」

 身構えたときにはもう遅かった。

 天井が落ちてくる。椅子やテーブルだったものたちが宙を舞っている。そしてその上に、長い銀色の髪がゆらめいていた。

* * *

 何だかんだと言ってしぶとい方の人間なので、生き埋めになったくらいで気を失ったりはしない。
 それでも現状の把握にしっかり3分はかけてしまった。したたかに打ち付けた頭と、尖った瓦礫に押しつぶされてじわじわえぐれていきそうな手足の感覚をひとつひとつ認識しながら、3回めの溜息を吐く。

 縦にぶち抜かれた大きな空間に存在する気配はひとつだけ。おそらく「お仕事」を終えたばかりの、暗殺者のひとりだ。

 私は少しだけ考えてから、可能な限りの身じろぎをしながら「たすけてー」と小さくアピールしてみた。すると気配の主は意外にも真っ直ぐにこちらへ向かってきた。
 ややあってから、体がふっと軽くなる。まるで落とした皿の破片を拾うように瓦礫が手際よく避けられて、穴の空いた天井と、長い銀色の髪が見えた。

「巻き込んで悪かったな」
「あ、いえどうも」

 大きな手に助けられて瓦礫から抜け出してみると、下敷きにしていた腕が変な方向に曲がっていた。肘関節より上からきっかり真逆に90度、残念ながら骨折だ。

「大丈夫か」
「平気です。わたし無痛症で」

 嘘っぱちを言いながら自分の体を触って確認する。あばらも折れている。足もちょっと曲がっている。肩が上がりにくいのでたぶん外れている。相変わらずもろいものだ。それでも外見に傷がつかなくなったのは、ひとえにジンのきびしい指導のたまものである。

「……念能力者か」
「はい。おじさまもそうですよね」

 素直に頷く私を、彼はやや意外そうに見下ろしていた。ふつうそういうのは隠すことが多いし、たぶん彼が意図していたのも「おまえは敵か?」という意味での確認だったのだろう。全く違うのでここは愛想で誤魔化していく。しかし私の愛想笑いは背後から押し寄せた猛烈な殺気によっていとも簡単に掻き消される。

「イルミ。そっちは終わったのか?」
「うん。ソレなに?」
「ひとをモノのように!です!」

 殺気の主を振り返りつつ抗議すると、相手は事務所で見た黒髪の青年だった。そしてその後ろから銀色のふわふわがひょっこりと顔を出す。

「あっ、おまえさっきの!」

 指さしてそう言ったのは、さっき廊下でぶつかったあの猫目の少年だった。やはりこちらのご一行様で間違いなかったようだ。私はにっこりと笑みを浮かべて「さっきはごめんね〜」と手を振る。ちょっといつもと挙動が違うが振れているはずだ。

「ウデ折れてない?」
「親父、こいつ頭大丈夫?」
「どうだかな」

 自分たちも暗殺稼業なのに他人を変人扱いするその心の余裕は一体どこから来るのだろう。私は悲しい気持ちでそっと腕を下げた。

「一応聞いておくが、お前はこいつらの仲間か?」

 少し間をおいて、銀色のおじさまは私にそう尋ねた。しかし彼が「こいつ」と言ったのはどう見ても消し炭だ。私がきょとんとしていると、彼がそれを軽く持ち上げた。どうやら焼死体の一部だったようだ。

「激しくこげていらっしゃる……」
「わかりにくくて済まないな」

 それはどういう謝り方なのだろう。しかしせっかく出してもらったので、近寄ってまじまじと観察させてもらう。とはいえ丸焦げ。完全にウェルダン。これでは顔かたちもわからない。鼻を近づけると嗅ぎ慣れない不思議な臭いがして、思わず顔をしかめた。

「わかんないですけど、私の仲間はいまヨルビアンの東でゲームしてるかアイジエンの奥地で珍獣追いかけてるかですよ。だからここにはいないです」
「ならいい。撤収だ」

 おじさまがそう号令をかけると、青年と少年は消えるようにその場を去っていった。おじさまはそれを見送ってから私に向き直り、やや腰を屈めて視線を合わせながら名刺をこちらに差し出す。――シルバ=ゾルディック。私でも知っている、あの有名な暗殺一家の名前だ。

「怪我をさせたのはこちらの責任だ。治療費くらいは融通しよう」
「おかまいなく。つば付けときゃ直るので」
「そう……か?」

「広間から煙が出てるぞ」
「誰か消防に連絡を!」
「何、何があったの!?」

 話をしているうちに、外の廊下に騒ぎを聞きつけた宿泊客が集まってきたようだった。
 そろそろ本格的に逃げるか隠れるかしなければ、と気配を薄めようとしたところで、折れていない方の腕を掴まれた。シルバ氏は私の腕を引きながら、こともなげに「行くぞ」と言って歩き出す。

「お前も空港へ行くつもりなんだろう?移動ついでだ、送ろう」
「えっ、なんでそれ」
「事務所に地図と飛行船の時刻表が拡げてあったぞ」
「あ」

* * *

 と名乗ったその少女は、俺達の質問すべてにあっけらかんと、明け透けに答えた。
 状況や言動から敵ではないと判断はついていたが、あまりにも頓着のないその様子にはこちらも流石に毒気を抜かれた。

「出身は?」
「流星街です」
「うちの母さんと一緒だね。どんなとこ?」

 興味があって訊いたのか、単なる暇つぶしのつもりなのか、助手席に座っているイルミがそう掘り下げる。はしばらく考え込んでいた様子だったが、とくになにもない、という表情でまたあっさりと答える。

「実はあんまりよく知らないんだよね。昔いっしょにいたことある少年たちがいつの間にかすごい有名人になっててビックリしたくらい。なんだっけ……幻影旅団?」

 唐突に出されたその名前に、虚を突かれた感はあった。全員が彼女に視線を向ける。しかし彼女はやはり、取るに足らないといった様子で明るく微笑んでいる。

「奴らと知り合いなのか」
「向こうは忘れてると思いますけど」

 そう懐かしげに答える彼女の声は唐突なブレーキ音に遮られた。飛び出しかけたの肩を押さえながら前方を見ると、使用人が冷静に頭を下げる。

「失礼いたしました。鹿が飛び出してきまして」

 そういえば、この辺は自然公園の敷地を横切る道路だった。外を見ると、道の中央に見事な角の牡鹿が倒れている。

「死んじゃった?」
「いえ、驚いて気絶しただけでしょう。すぐ退かします」

 のあどけない問いかけに答えながら外へ出ていった使用人を目で追ったとき、俺はすぐには違和感に気づくことができなかった。――それほど自然に、彼女は姿を消していた。

 そういう能力なのだ、と彼女は言っていた。しかしそれだけでは説明がつかないほど、それは唐突だった。
 牡鹿の体を引きずり上げる使用人の真後ろに彼女の青白い顔が浮かび上がる。そして使用人が気づくより先に、その牡鹿の首元に手を触れた。

「そうだね。こわかったよね」

 視線は虚空を捉えている。口元はそう動いたようだった。ようやく気付いた使用人が動揺している。彼女はそれすら意に介さず、淡々と彼に告げた。

「起きるよ。放してあげて」
「え?」

 彼女の手が離れる。と同時に、牡鹿は跳ね上がるように目を覚ますと、そのまま森の中へと走り去っていった。

 唖然としている使用人をよそに、彼女は静かに車に戻ってきた。表情は虚ろで、存在感がない。――明らかに、先程までとは様子が違っている。

「大丈夫か?」
「はい。呼んだらもどってきました」
「……そうか」

 俺はそれ以上何も尋ねなかった。尋ねずとも、それが何者であるかを理解できていた。
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