仔犬の目




 という名の少女がゾルディック家に現れてから一年半が過ぎた。

 彼女の第一印象は「怯えきった仔犬」だった。
 自らの置かれている状況を理解するので精一杯、しかし理解が及ぶ前に恐怖が勝り目が泳ぐ。それでも頑なに毅然とした態度を取ろうとして、震える膝を必死で押さえつける姿が今も目に浮かぶ。
 第二印象は「気丈な少女」。疑うのも馬鹿らしく思えるほどの強がりだった。

『丁度一人必要になったところだ。尋問ついでに協力してもらおう』

 シルバ様がそう仰ったのを聞いて、同情心が湧いたことは誰にも話してはいない。しかし、おそらく側で様子を見ていた者の大半は似たようなことを感じただろう。だからといってどうこうすることはない。何の罪もない野良犬を処分するとき、わずかでも哀れみを持つのと同じことだ。

 しかし結局、彼女は我々が想像した結末とは真逆の道を辿った。

 イルミ様を陥れるほどの使い手が放った念の解除に於いて、当の彼女は何の代償も支払わなかったように見えたという。
 ゼノ様が彼女の滞在を提案した理由の半分は単純な「返礼」だろう。力添えをしてやりたいという気持ちにさせる必死さが彼女にはあったし、ゼノ様の立場からそれを言えば誰も逆らわない。
 しかしもう半分は、彼女が何者であるかを見極める時間が必要だったからだ。
 念も使えない一般人――に見えた彼女が、切り傷ひとつで悪意の籠もった念能力を食い切った理由。何もない場所に、瞬きの間に突如として現れた理由。裏で糸を引いているものが必ずいる。彼女がその手先であるなら――あの強がって涙を堪える姿さえすべて嘘であったというなら、それは迅速に処理されなければならない。

 だが彼女は、この家をすぐに出ていった。家の人間の誰もそれを引き留めようとはしなかった。しばらくは使用人が監視役として秘密裏に派遣されていたが、やがてそれもなくなった。
 そして意外なことに、監視をやめるよう直接の指示を下したのはイルミ様だった。

「警戒するだけ労力のムダ」

――信用。

 それを得ることがどれほど難しいか、きっと彼女は知らないだろう。
 無論、あのイルミ様がただ手放しに何かを信じるはずはない。何か計算や企みがあってそうしているのに違いない。それでも、どこか安堵したような感覚を覚えたのは否めない。


 ハンター試験を控え、彼女はふたたびこの屋敷へと招かれた。

 相変わらず正直な目をした彼女は、我々の歓迎に心底困惑した様子だった。だが彼女はそれだけのことをしてきたのだ。
 傷の増えた体と落ち着き払ったオーラの流れで、彼女がどれほどの努力を積み重ねてきたかはすぐにわかった。
 たった一年半。しかし彼女にとって、それは人生で最も長い時間だったはずだ。

 仔犬の目をした少女はもう、どこにもいない。