急転直下




 衣擦れの音がした。

 ようやく出てくる気になったか、と背後に過ぎた歓楽街を振り返ると、遥か向こうに白装束の人影がふたつ横切っていくのが見えた。だが音の主は別にいるはずだ。おそらくまだあと数人、どこかに潜んでいる。

 は相変わらず「占いの館」の店先で仏像と睨み合いながら、渋い顔で何やらぶつぶつ言っている。見慣れない化粧のせいでいつもより表情が読み取りにくかったが、気付かないふりをしている顔ではなさそうだ。

 純粋な"感覚の鋭敏さ"の話はともかくとして、彼女は決して勘が鈍いわけではない。観察力や識別能力はオレと比較しても高く、分析力もある。だからこそ模倣コピーの能力も成立する。
 しかし身を護るという一点に於いて、彼女は完全なカウンター型を選んだ。それを正しく機能させるためには不要な情報を切り捨てる必要がある。"悪意ある攻撃に対して即座に適切な防御ないしは反撃を行う"という複雑な処理を瞬時に遂行するために、"悪意あるもの"に該当しないと識別された情報はあえて認知から外しているのだ。その識別能力の精度の高さはオレ自身何度か試して知っている。

 つまり、彼女に敵とみなされていない時点で、あの白装束に危険性はない。しかし喧嘩を売られているのは明らかだ。離れて煽っているうちは無視してやろうかとも思っていたが、ここに来て急にあからさまになった。やはりこの分かれ道がの言うところの「試練」に関係しているのだろう。

 彼女は真面目に受けようとしているようだが、オレはそれに付き合う気はない。回りくどい試練をパスするよりも、この辺一帯の人間を全員捕まえてナビゲーターの居場所を吐かせたほうが遥かにわかりやすい。たぶんあの白装束もそのあたりの事情に詳しい側の人間だろう。

 服に刺した針を抜きながら、路地に潜む気配を探る。
 白装束たちは独特の足運びで距離や人数を誤魔化している。暗歩の応用技にも似たようなものがあるが、これはわざと足音を聞かせて相手を惑わすための技術だ。飛行船のエキストラよりは面倒そうな相手だが、今度はそれほど大人数ではない。音ではなく気配で手繰れば、いつか必ずボロを出す。相手は決して「いないふり」はしない。

 こちらから通りに向かってすぐの横道に3人。

 まずは右の1人を捉え、行動の自由を奪う。左の2人はすぐに気配を誤魔化して別の路地へと逃げた。それを追って歓楽街に逆戻りしたところで、オレは景色に違和感を覚えた。――さっきまであったはずの人影が一つ残らず消えている。

 また衣擦れの音がした。路地からひとりの白装束が姿を現し、ゆっくりとこちらを指差す。オレがその意味を正しく理解するまで、それほど時間はかからなかった。

――の気配が消えている。

 逃げるように路地へ戻った白装束に背を向け、「占いの館」の派手な紫色のカーテンを捲り上げる。

 中は無人だった。暗い空間に丸椅子とテーブルが置かれているだけの、館とも言えないような狭苦しい小部屋だ。の携帯のGPS信号は既に途切れ、行方はわからない。だが最後のログはこの場所から発信されている。

 椅子とテーブルを端に寄せて床板を調べると、入り口から見て丁度真正面の足元に僅かな窪みがあった。指先を差し込んで引き上げると、それは苦もなく持ち上がる。
 覗き込むと、そこには深い縦穴が口を開いていた。切れかけの街灯のような黄色くくすんだランプが鉄製の手すりを点々と照らしているが、底は見えない。

 単に先に行かれただけなら、白装束は指をさしたりしなかったはずだ。わざわざオレに喧嘩を売って足止めしたのは、オレと彼女を分断するためだったのだろう。それに歓楽街から消えた連中――考えるほど面倒だ。

 こうなると少し事情が変わってくる。一時的に別行動するだけなら特に問題はないが、父さんからの依頼の関係上、足取りの掴めないを放置して先に進むことはできない。
 面倒だが仕方がない。裏道が塞がれてしまったなら諦めて郷に従うほうが合理的だ。

「真っ直ぐ、ね」

 頼りない鉄のポールに手をかけ、一思いに闇に身を投げる。
 冷たく湿った地下室の匂いがする。深い穴の底からは、何かを叩くような音が幽かに響いていた。